灯台の灯 ~導き~
阿賀沢 隼尾
灯台の灯 ~導き~
今日は彼女との付き合って一ヵ月記念の日。
約束の――――運命の――――日だ。
待ち合わせの明永駅の像の前で彼女を待つ。
太陽の光が地上を燦々と照らす。
暑さのせいで肌の汗腺から汗が噴き出る。
「夏樹くん」
鈴の様な凛とした透き通る声。
――――叶かなえだ。
でも、いくら何でも早すぎる。
右腕に巻いてある腕時計で時間を確かめる。
いつもはしないが、大切な叶との記念日。
いつも情けない姿を見せているから、今日ぐらいはかっこいい姿を見せないといけないと思い、付けて来たのだ。
――――十一時三十分。
早い。
そう思いつつ、体を百八十度回転させる。
――――陶器の様な純白の、穢れの何一つ無い肌。
――――肩まで伸びた濡烏色の髪。
――――子犬の様な潤んだ瞳に長い睫毛。
――――宝石の如きその体を水色のレースの付いたワンピースに身を包んでいる。
その姿はどこかの氷の国のお姫様のようで。
あまりの可憐さ、美しさに目を奪われていた。
「ねぇ、夏樹?」
彼女の声で我に帰る。
「え? な、なに?」
「もう、さっきから返事がしないからどうしたのかなって。待った?」
「あ、ああ。待ってないよ。僕も今来たところ」
僕は彼女に嘘を吐いた。
実は、一時間前から来ているのだ。
昨日、叶にあげるプレゼントを買って、家に帰ってからずっと楽しみ(緊張して)眠れなかったのだ。
家を出るのも、彼女ともっと早く会いたくて会いたくて堪らなったからで……。
でも、そんなこと彼女に言える訳も無く……。
「そっか。実はね、早く行ったら、早く夏樹くんに会えるかなって思って……。それに……私…夏樹君と今日会えるのとても楽しみで……楽しみ過ぎてつい、いてもたってもいられなくて。それで、約束の時間より早く来ちゃった」
上目遣いでそんなことを言われると困ってしまうわけだけど。
「じ、実は……。僕も居てもたってもいられなくて……。本当は三十分前から来ていたんだ」
「そうなんだ」
暫くお互いの双眸を見つめ合う。
ダメだ。
このままじゃ、恥ずか死ぬ。
「それじゃ、行こうか」
「う、うん。……て、どこに?」
「どこって。昼飯だよ。予約してるんだよ。僕の奢りだからさ」
「え? そ、そんなの悪いよ」
「いいんだ。こういう時くらいかっこつけさせてくれよ」
「ん……。それじゃ、甘える」
ズキュー―ン。
脳天を――――心臓を――――何か刃の様なものが貫く。
やっぱり、叶は最高にかわいい。
そんな甘ったるい声で言われたら困る。
特に何を話す訳でも無く、商店街の中を二人で歩く。
ふと、彼女の掌を見ると、掌を握ったり、開いたりと奇妙な動きを繰り返した。
ああ、そうか。
手を繋ぎたいんだな。
そうだな。
彼女に後悔をさせたくはないからな。
「手を繋ごうか」
「え、いいの?」
「ああ。もちろん」
「えへへ。ありがとう」
ぎこちない表情で笑う。
チクリ、と針で心臓を突かれたかのような痛みに襲われる
じわりとその痛みが心の中に侵入し、感染していく。
その痛みをかき消すように、逃げるように彼女の小さな左手に自分の右手を添える。
彼女の手はどこまでも儚くて、今にも消えそうなほどに限りなく透明で――――。
その手を離さないように、彼女がどこにも行かないようにと、心の中で唱えながら叶の小さな掌を握り締める。
僕らは人ごみの中を縫うように進む。
目当ての店の看板を見つけて、その中に入った。
「うわぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「これは……」
ネットでかなり高評価で味も内装も良さそうだったから予約したけど、これは予想以上だ。
The イタリアと言った感じの内装だ。
天井には、スズランの形をしたLEDライトが付いている。
やっぱり学生の身分でここはきつかったか。
そう思いつつ、歩を進める。
「あ、あの。予約をしていた薬師寺ですけど……」
「薬師寺様ですね。こちらへどうぞ」
「あ、はい」
ぐむ。
どうしても緊張をしてしまう。
奥にあるテーブルに案内される。
叶がソファの方へ行き、僕が椅子に座る。
「こちらがメニュー表となっております」
「あ、ありがとうございます」
店員からメニュー表を受け取る。
メニューの中身を見て、あまりの値段の高さに絶句する。
う、うわぁ。
なんじゃこりゃ。
トマト味のスパゲッティが1400円。
そんな値段の品がゴロゴロある。
叶も同じなのだろう。
メニュー表を見て目を丸くしている。
正直、来て後悔している。
でも、ここでカッコつけなければどこでカッコつけるんだ。
やっぱり、彼氏たるもの彼女にカッコいいところを見せつけたいというのは当然だろうと思う。
「え、えと……。今日は全部、僕の奢りでいいよ」
「え? でも――――」
「大丈夫。それくらいの余裕はあるよ。それに、折角の記念日なんだ。こういう時くらいカッコつけさせてよ」
彼女はクスリと笑って、
「それって、いつも夏樹くんがカッコ悪いって言っているようなものだよ」
「だって、そうだろ。この前なんて、飛んで来たボールに当たっちゃったし」
「うん。確かに夏樹くんは昔からおっちょこちょいだよね。だって、小さいころ木に登って落ちちゃったことあるもんね。それに、先生にいたずらをしようとして扉の間に黒板消しを挟んだ時も、自分で引っかかってたし。他にも話しだしたら切りがないよ。でもね、私は夏樹くんのそんなところが好きなんだよ」
「僕も叶のこと好きだよ」
「それじゃ、私のどういう所が好き?」
「どういう所って……。全部」
「全部って。そんなのじゃ納得できない」
ぐ……。
言うの恥ずかしいんだよ。
こいつ、絶対に僕の事からかっているだろ。
顔が笑ってやがる。
しょうがない。
「祈の綺麗な黒髪が好き。細い指も、声も、純粋な性格も、天然な所も、可愛らしい小さな桃色の唇も、白い肌も全部」
「ダメダメ!! 『全部』なんて言われても分からないよ。愛が込もってない。そんな風に一括りにされても分からないよ。女の子はね、ちゃんと具体的に褒めないと懐かないんだよ。ほらほら、褒めて褒めて!!」
う、鬱陶しい。
しょうがない。
こうなったら――――。
「我がままだな。祈は。そういう所昔から変わっていないよな」
「そんなこと無いよ。夏樹君こそ昔から変わって無いよ」
「そ、そんなこと……」
お互いにそうこう言っているうちに、食事が来た。
僕の前にはトマト味のスパゲッティ、祈の目の前にはクリーム味のパスタが載ったお皿が置かれる。
話は続く。
「でも、あの頃にはこんな風に付き合うって想像なんて全然できなかった。夏樹君の事を好きになって、恋に落ちて、恋人同士になって。誰かを好きになるなんて思いもしなかった。誰かと恋人になるなんて私の人生の中でないと思っていたのに。それでも、こんな私と付き合ってくれる人がいるなんて思ってもみなかった」
「僕は、ずっと祈のことが好きだったんだ。今までも、これからも」
「でも、私病気なんだよ。いつ死んだっておかしくない。今、この瞬間も。それにあんなことがあって……。それでも何で私のことを好きでいてくれるの?」
「だって、77億人の人間がいる中で僕は君に恋をしたんだ」
「こんなに体が弱いのに?」
「人を好きになるのにそんなものはいらないよ。君と出会って君に恋をした。これは紛れも無い事実なんだ。それに、僕は後悔をしたくない。だから、祈に告白をしたんだ」
「うん。とても嬉しかった。こんな私でも恋が出来るんだって。恋人が出来るんだって。だから、今日はその記念に――――」
祈はバッグの中から何やらごそごそと取り出してきた。
「ほら。これをあげる」
彼女の掌の中には宝物の形をした箱が乗っていた。
箱の上面の中央に穴が空いている。
「これは――――」
「これで開けてみて」
彼女の左手には金色の鍵が置かれていた。
その鍵を宝箱の鍵穴に嵌める。
すると、上面に空いた穴から映像や画像が出て来た。
二人で初めて行った水族館や動物園、プール――――。
全ての彼女との想い出がそこにあった。
「これって……」
「私達の全ての想い出。私と夏樹くんとの想い出の全て。受け取って。私のささやかなお礼だから」
「でも、これ――――」
これじゃ、まるで君がいなくなるみたいじゃないか。
でも、それを言葉にすることは出来なかった。
今までで一番綺麗な瞳の色。
宝石の如く、輝いている。
彼女の瞳が全てを物語っていた。
そう、遠く無い将来、祈はいなくなると。
そう。
僕は決めたんだ。
彼女の為にこの時間を使うと。
だから、僕は彼女のしたいことをやらせてあげたい。
「分かった。有難く貰っておくよ」
「大切に……してね」
「もちろん」
食事を全て食べ終わって会計に移る。
「合計3800円となります」
「はい」
ぐわぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
こりゃ、今月はかなり節約しないとダメだ。
はあ、悩みの種が一つ増えてしまった。
でも、この程度のものは祈のデートを祝うのに比べたら何でもない。
「ねぇ、本当にいいの?」
彼女は、不安げに尋ねる。
「あ、ああ。大丈夫だ。任せろ」
結局、泣く泣く僕が全額払うことになった。
――――夕方の六時。
僕と祈は七時から始まる花火大会に向かっていた。
今から行けば充分間に合う。
慌てる必要なんて何一つとしてない。
人混みが多くなってきた。
提灯のほのかな光が人々を優しく照らす。
「祈」
彼女の手を決して離さないようにと、しっかりと握り締める。
「っ……!!」
バッと彼女は顔を上げる。
彼女と目が合う。
直後、顔を真っ赤にして目を逸らされた。
その代わりに、握っている手の力が強くなる。
温かな彼女の柔和な肌の感触が伝わってくる。
「ねぇ、私に付いて来て。夏樹くん」
「ちょっと、祈。花火会場はそっちじゃ……」
「いいからいいから」
彼女に手を引かれるままに歩を進める。
人の流れとは違う場所へ。
三日月橋を渡り、脇に木々が生い茂る細道を登っていく。
「祈……」
「…………」
話しかけても一切返事がない。
ひたすら彼女は歩き続ける。
僕はそれについて行くしかない。
暫くすると、拓けた丘に出た。
「ここって……」
そこは、見覚えがあった。
そう。
ここは、彼女と始めてあった場所。
――――始まりの場所。
頭上には満天の星空。
無数の星が瞬いている。
「ねぇ、夏樹覚えてる? この場所」
「ああ。もちろん」
忘れるわけがない。
「始めて私達はここで出会った。五歳の夏に。とあるキャンプのイベントで、お昼休みの時にたまたま席が近くって」
そうだ。
忘れられていた記憶が、宝物の記録が頭の中で映像化されていく。
「花を摘んで遊んでいた君に僕は話しかけたんだ」
「うん。その時、夏樹はなんて言ったか覚えてる?」
「いや、何も」
祈は懐かしそうに眼を細める。
「あの時君はね、『いっしょにあそぼうよ。ぼくといっしょに、なつをみつけにいこう』って。あの時、私は友達がいなかった。体が弱かった性もあったけど、元々内気な性格だったから。でも、そんな籠の中で引き籠っていた私を、君は外の世界へと連れ出してくれた。家も近いということも分かって、それから一緒に良く遊ぶようになって」
「そうそう」
あの時の僕は、純粋に遊び相手が欲しかったんだ。
それで、彼女を外の世界へと連れ出したんだ。
「私が倒れた時もいつも見舞いに来てくれて」
「ああ。一回、雨の中遊んで祈が風を引いた時があったな。あの時、僕すんげぇ怒られた」
「ふふっ。知ってる」
桜色の小さな唇を抑えて笑う。
その癖も昔から何ら変わっていない。
「小学校に入ってからも、夏樹くんがいてくれたから私は友達を作ることが出来た。中学校の時も。だから、今の私があるのは……夏樹……君のお陰なんだよ」
月明りの下、彼女の濡烏色の髪が微風に揺れる。
その笑顔はどこか儚げで、小さな灯のようにすぐに消えてしまいそうで。
「恋人になってくれたのも。まさか、夏樹の方から告白してくれるとは思ってもみなかったけれど」
「し、しょうがないだろ。だって祈が――――」
そう言いかけた時、唇を人差し指で止められた。
「それ以上は駄目だよ」
いたずらをする子供の様な表情ではにかむ。
「夏樹はこれからも色んな出逢いをするんだろうね」
「え?」
「この世界には70億人もの人間がいて、たくさんの女性がいる。私なんてその中の一部に過ぎない」
「おい。……祈…………何を言って……」
動揺の念が広がる。
まるで、自分がいなくなるようなそんな言い方。
「私がいなくなっても、夏樹はその中の女性とまた恋をして、恋人同士になって、結婚をして、子供を産んで、幸せな家庭を築いていくんだろうね」
「僕は――――」
君と一緒がいい。君と一緒に幸せになりたいんだ。
「夏樹が本気なのも知ってる。でもね、もうダメなの」
「――――え?」
「私、もうすぐ死ぬみたい。病院で何かあったみたいなの。何があったのかは分からないけれど、私の脳は、体は死につつあるの」
差し出された右手は、淡い光となって夜の闇に消えていく。
三歩前に出る。
月明りの下、彼女の顔が照らされる。
「知ってるでしょ。私、心臓病だってこと。病院にいるってこと。もう、先は長くないってこと」
「知ってる。けど……」
いくら何でも早すぎる。
だって、担当医師は後一年は持つだろうって……。
「何事も例外は存在するよ。夏樹は何も悪くない。いや、誰も悪くないんだよ。ただ、運が悪かっただけ。それだけなんだよ」
「それでも……」
次に放つ言葉を人差し指で止められた。
「それ以上はだめだよ。私だって生き物だもん。いつかは死んじゃうよ。でも、夏樹はこれからも人生続いていくんだよ。今の数倍の人生を歩むんだよ」
「それでも、僕は祈のことが好きなんだよ。僕、祈がいなくなっちゃったらどうすれば……」
「夏樹……」
祈は、身を翻し、そっと僕の背中に回した。
彼女の温もりを…………感じられない。
「ごめんね。本当は私も夏樹といっしょに色んな所に行きたかった。旅をして同じ物を見て、感じたかった。朝ごはんも毎朝作りたかった。あ、でも私料理は下手だった」
彼女は、えへへとはにかみながら、右手の拳でこつんと自分の頭を叩く。
「料理は夏樹の方が得意だったね。私、まだまだ夏樹から料理を教えて貰いたかったな。ねぇ、夏樹。私達、また会えるかな」
「ああ。会える。会えるさ。生まれ変わったら、僕が70億分の一の中から探し出してやる。運命なんて、僕が壊してやる」
「ふふ。変な夏樹。その時代に私はいないかもしれないんだよ?」
「それなら、何階でも探し出してやる。どんな姿になっても、探し出してやる」
「そっか。それなら良かった」
熱くなる胸を抑えることが出来ない。
両目から溢れる涙を止める事が出来ない。
ぼくは、君に触れる事すら出来ないなんて……。
「最後の夏樹との食事楽しかったよ。アバター用の食事が出せるお店をわざわざ探してくれたんだよね。とても嬉しかった」
「俺……」
溢れる想いが……涙が……止められない。
「もう、最後は笑って見送ってくれるって約束したくせに。私の彼氏になった時からこのことは分かっていたはずだよ」
「ああ。知っている。分かってた。それでも、それでも――――」
実際、体験するとどうすることも出来ない自分が嫌になる。
無力な自分に。
そんな自分を嫌いになりそうだ。
「大丈夫だよ。絶対に私達は会える。こんなにも私を好きになってくれて、大切にしてくれたんだもん。次、夏樹が好きになった人を私と同じくらい好きに出来るよ。大切に出来るよ」
彼女の体が光の粒子となって消えていく。
かき集めても無駄なことなのだろう。
「祈…………!!!!」
「今までありがとう。夏樹。好きだったよ」
手を伸ばす。
が、空を掴んだだけだった。
その時、最後の花火が撃ち上がった。
紅色の華やかな花が夜空に咲く。
綺麗な時は一瞬で。
でも、その一瞬のひと時が人々の想い出を作っていく。
祈も短い人生だったけど、僕の心に彼女との想い出が僕の心の奥底に仕舞われた。
彼女との想い出は、一生残るだろう。
夜空の花が散り乱れ、星たちが瞬く世界へと戻る。
もっと大切にすれば、もっと何か出来たんじゃないかっていう後悔が募る。
今更、そんなことを言ってもしょうがないかもしれないけれど。
後悔はしても仕切れない。
数えれば数える程、その数は多くなっていく。
無力で惨めな自分が露になっていく。
でも、彼女はそんなことを僕に望んではいないだろう。
彼女は僕に「幸せになって」と。
「私と同じくらい周りの人を大切にして」と言ったんだ。
それが彼女の最後の願いなんだ。
それなら、僕は彼女の想いを抱えて前に踏み出していくしかない。
その為に、まずは――――。
「病院に行ってあいつの寝顔をみないとな」
灯台の灯 ~導き~ 阿賀沢 隼尾 @okhamu
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