第17話

 マンションの自室。夕暮れに相応しい茜色の光に包まれたそこで、連示はどこか疲れた様子で座っているユウカとテーブルを挟んで対峙していた。

 複合娯楽施設からここに来るまでの間に自分の状況を整理し直したのか、彼女の表情は余り冴えない。少なくとも遊香のアミクスとしての居場所は完全に失われてしまったのだから、仕方がないだろう。


「そ、っか。最近様子がおかしいと思ってたら、そんなこと、してたんだね。連示君」


 そんな現実から目を背けるように阿頼耶に強い関心を向けていたユウカに、彼女が訪れてから今日までのことを話すと、ユウカはそう言って力なく、寂しそうに微笑んだ。


「ごめんな。黙っていて」

「ううん、いいよ。仕方がないと、思うから」


 仕方がないと言いながら、完全に納得している訳ではないだろう。

 幼馴染としてそれぐらいは雰囲気で分かる。


「ね、連示君……わたしも、殺すの?」


 ユウカの口調はその言葉の意味や悲壮な表情の割には異様な程淡々としていて、どこか諦観のようなものが聞き取れた。


「それは――」

「いいよ。連示君に殺されるなら。わたしは、納得できるから。こんな、欠陥のあるアミクスなんか、この世界に必要ないもんね」


 儚い笑みを見せながら、その瞳を潤ませるユウカ。そんな彼女の、連示でも初めて見るような酷く悲しげで苦しそうな表情に激しく胸をかき毟られる。

 彼女にはそんな顔も、辛い思いもして欲しくない。


「馬鹿。そんなこと、言うな」

「だって、そうでしょ? 本物の遊香には新しいアミクスが与えられて、わたしはもうお払い箱。もう誰からも必要とされてないよ」

「そんなことはない!」


 そんな悲しいことを弱々しく、その目に今にも溢れそうなくらいの涙を溜めて呟くユウカに耐えられなくなり、連示は思わず立ち上がって声を荒げてしまった。

 その声の大きさに彼女はびくっと体を震わせて、怖々と見上げてきた。


「お前は俺の、大事な幼馴染だ」

「でも、わたしは遊香のアミクスに過ぎないでしょ? 連示君の幼馴染はあの遊香だよ」

「違う。俺にとって本当に大切なのはお前の方だ。……俺が今までアミクスに頼らず、学校に通えたのも、全部お前がいてくれたからだ。俺にはお前が必要なんだ」


 上辺だけの気味が悪い関係が支配する世界にあって、しかし、アミクスを使わずにいることに疑問を持ったことは何度もあった。

 こんなことに意味はないと何度考えたか知れない。

 それでも学校に行けばユウカがいつも傍にいて、彼女の人間らしい温かさがそんな思考を吹き飛ばしてくれた。

 正直に言えば、少しは鬱陶しいと思ったこともある。だが、やはり彼女はかけがえのない存在なのだ。彼女のおかげで短絡的にアミクスを嫌うのではなく、人間の心の方が問題なのだと思えるようになったのだから。

 連示はユウカの隣に座り、そんな気持ちを込めて彼女の手を強く握り締めた。


「連示、君」


 ユウカは不安げに見上げてきながら、恐る恐るという感じで手を握り返してきた。


「わ、わたし、連示君の傍にいて、いいの?」


 今にも涙が零れ落ちそうな彼女の目をしっかりと見詰めながら、頷いて答える。


「当然、だろ?」


 瞬間、感極まったように目から熱い雫を落とし、ユウカは勢いよく抱き着いてきた。


「連示君、連示君っ!」


 そうやって名前を呼びながら、顔を強く胸に押しつけてくるユウカを抱き締めて、その頭を優しく撫でる。その何となく懐かしい感触に、自然と表情が和らいでしまう。

 やはり目の前にいるこの女の子こそが、自分の幼馴染その人なのだ。

 連示はそう改めて強く認識し、確信することができた。

 生身の遊香と最後に言葉を交わしたのが小学校の卒業式。それまでの記憶を持ち、その延長線上にいる存在。実際に、共に時間を積み重ねてきた者。

 そんな彼女を幼馴染と呼ばずに何と呼べばいいと言うのか。


「ユウカは、泣き虫だな」


 連示がそう言うと、ユウカは、そんなことはない、と言いたいかのように、そのままの体勢で顔を連示の胸元に擦るように首を横に振りながら、ぐすっと鼻をすすった。

 そんなユウカの背を軽く摩りながら阿頼耶に視線を向けると、彼女は優しい微笑みを浮かべてその様子を眺めていた。その表情はどこか満足そうだ。


「阿頼耶。ユウカはこのまま――」

「はい。ユウカさんは破壊対象に含めません。ご主人様の願いですし、何より私達の目的にも適っていますから。人を襲わないのであれば、ファントムといえども幻影人格の仲間です。それを破壊するような真似はしません。決して」

「そうか。よかった」


 阿頼耶の言葉に安堵してほっと息を吐く。

 それからしばらくの間、連示はユウカが落ち着くのを抱き締めたままで待った。


「もう、大丈夫。ありがと、連示君」


 はにかむように言いながら、ユウカは自分から体を離した。

 その瞼は涙を流した分だけ、頬は連示の胸に擦りつけた分だけ、人間らしい赤味を帯びている。しかし、表情はとても穏やかで、いつものユウカらしい笑みを浮かべていた。


「さて、落ち着いたところで一ついいですか?」

「……どうした?」


 連示が阿頼耶に問いを返すのに合わせて、いつもの調子を取り戻した様子のユウカも可愛らしく小首を傾げる。


「ユウカさん。貴方のこの名前は、金村遊香さんのアミクスとしてのものです。それを名乗る限り、その呪縛が残るように思います」


 その言葉にユウカは神妙な顔つきをして、小さく頷いた。

 遊香本人との関係が完全に絶たれた今となっては、その名前を使い続けるのも確かにおかしいかもしれない。


「貴方は一つの独立した人格です。もはや彼女の所有物ではありません。ですから、新しい名を名乗り、堂々とご主人様の傍にいるのがよろしいかと思います。勿論、ユウカという名前に愛着があるのなら、無理強いはしませんけど」


 ユウカは少しの間考え込むように俯き、それから連示を不安そうに見上げた。


「連示君。わたしがユウカじゃなくなっても、幼馴染でいてくれる?」

「ああ。勿論。その名前が幼馴染の証なんじゃない。お前の人格と記憶、そして、一緒にいた時間がその証明なんだから」


 特にアミクスとして、便宜上所有者の名を名乗っていただけの彼女にとっては、阿頼耶の言う通りにした方がいいに違いない。


「俺の幼馴染はもう、お前一人だよ」


 連示の言葉にユウカは安心したように表情を和らげて、阿頼耶へと向き直って頷いた。


「この名前を捨てるってことは、金村遊香との決別を意味するんだよね。……うん。きっと、わたしはそれで彼女に対して不必要な憎しみを持ったりしなくなれるはずだから」

「そう、ですね。そうだと思います」

「わたしはわたし。金村遊香のコピーじゃない」

「まあ、それはもう昔からだったみたいだけどな」


 連示がそう言って笑いかけると、ユウカも吹っ切れたような笑顔を見せた。


「それで、新しい名前はどうするんだ?」

「もしよろしければ、私に任せて下さいませんか?」


 なだらかな胸に手を当てて自信あり気に阿頼耶が言うので、それでいいか確認しようとユウカへ視線を向ける。と、彼女はそれに応えるように頷いた。


「阿頼耶さんのおかげでこうしてられる訳だし、わたしはそれで構わないよ」


 そんなユウカに阿頼耶は嬉しそうに両手を合わせた。


「それでは、末那まな、はどうでしょうか」

「末那?」

「はい。貴方は本能の側から一定の良識を得て、迷いを持ちながらも自らを律することができた稀有な存在ですから」

「末那。迷いの心。我執の源。その名前を戒めに生きてくんだね。末那、か。うん……わたしは今から末那、だね」


 ユウカ改め末那はその名前を大事そうに呟いて、連示へと顔を向けた。


「連示君。これからも、よろしくね」


 それから彼女は小さく頭を下げ、右手を差し出してきた。


「ああ。末那、よろしく」


 その手をしっかりと握り締めると、末那は晴れ晴れとした朗らかな笑みを浮かべた。

 その表情は末那としては初めてのもので、そして、幼馴染としてこれまで積み重ねた彼女との記憶の中でも最も美しいと言える笑顔だった。

 そんな綺麗な笑みに目を奪われていると自然、末那と見詰め合う形になる。

 しかし、恥ずかしさなど感じたりはせず、ただ満たされたような感覚だけがあった。


「んんっ!」


 しばらくそんな充足感に浸っていると、阿頼耶がわざとらしく咳払いをする。

 それで我に返り、連示と末那は手を離して今更ながら互いに目を逸らした。


「そ、そう言えば、阿頼耶。さっきも少し話題に上がったけど、結局のところお前達の本当の目的、って何なんだ?」


 そして、誤魔化すように阿頼耶にそう問いかける。


「う、うん。わたしも気になるな。阿頼耶さん達の目的」


 同じく今更気恥ずかしさを感じているのか、頬を朱に染めながら末那は同意した。


「そう、ですね。いい機会ですから、全て話します。けど、その前に末那。私のことは呼び捨てでいいですよ。私もそうしますから」

「……うん。分かった。阿頼耶」


 そうして人懐こい笑みを阿頼耶に向ける末那。

 そんな末那の姿に表情を柔らかくしながらも、阿頼耶は真面目な口調で話し始めた。

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