第16話

 今回ファントムと化したアミクスの所有者たる金村遊香を抱えながら、拓真は特別処理班の車両へと向かっていた。その脇には両腕をなくしたまま無表情で歩く陽光と火輪がいて、何ともシュールな光景になっていた。

 こういう状況ではもっと人員が欲しくなるが、ファントムの発生件数が増加し、全国的に人手が足りていないこの状況では文句は言えない。

 と言うより、人員が不足している理由はそんな現状以上に、無闇に人員を増やしてファントムを知る者が増えては困る、という理由が大きいに違いない。


「しかし、あれがミラージュ、か。あんなあどけない少女の姿をしたものが」

「外見に騙されては駄目。可愛らしい少女の外見なら、私もしてる」


 火輪が微妙に表現を変えたことについて、拓真は内心呆れながらスルーしておいた。


「でも、あれは私達とは別格の存在。恐らくプロトタイプのアミクスを基にして発展させたものだと思う」

「プロトタイプ?」


 思わず立ち止まって聞き返す。が、火輪の方は立ち止まらずに行こうとするので、拓真は小さく溜息をついて再び歩き出した。

 平均より小柄の少女とは言え、人一人を肩に担いでいる拓真としては体力的に立ち止まらない方が逆に助かると言えば助かる、

 しかし、火輪のマイペース振りはアミクスとしてどうなのかとも思う。


「プロトタイプは、所有者と人格の交換まで行える特殊なアミクス」

「人格の、交換……」

「あの場で聞いた会話から推測すると、あの時あそこにいた人間とミラージュは人格が交換されてたはず」

「何故、態々そんなことを?」


 ミラージュの人格で応対しても、特に問題などないはずだ。

 それとも何か必要に迫られる理由でもあるのだろうか。


「それは分からない。本来あれは軍用で、詳細な情報は私でも持ってないから」

「軍、用?」


 いきなり物騒な方向に会話が飛び、拓真は驚きを隠せなかった。


「熟練した兵士の人格を、死のない優れた体に移して戦わせる。そうすれば、それは最強の兵士になる」

「な、成程。確かに人格を他の体に移せるのなら、それは有用かもしれないな」


 長年の訓練と実戦で培われた勘を、人間を遥かに超えた身体能力を有する体で駆使できたなら、それは実に理想的だ。単純なAIを使うよりも遥かに応用が利くに違いない。

 しかも、体自体は死のない機械なのだ。これ程に優れた兵士、兵器もないだろう。


「でも、一つだけ人格交換には問題があった。それは人格が交換された状態で体を破壊された場合、本人の精神に酷いトラウマを植えつけてしまうというもの」


 確かに実際には死なないとは言え、直接的な形で殺される疑似体験をしてしまえば、精神的にショックを受けてしまうのは当然のことだ。

 PTSDを発症してしまうのは、ほぼ確実だろう。

 事実、現行のアミクスでも破損時の記憶を共有してしまうと程度の差はあるが、同様のことが起こり得るのだから。


「結局、人格交換は禁止され、無意識下での人格、記憶の共有という現在のような使用方法になってるみたい。軍用には私達のような基本人格プログラムを、ということになってるけど、最近ではもう紛争もなくなってきてるから必要とされてない」


 確かに、現在の形のアミクスが完成したとされる十九年前の時点でほとんどの紛争が解消されていたはずだ。今更軍用も何もない。

 たとえ必要があったとしても、十九年間の技術の進歩によって、火輪のようにAIでも人間以上に状況判断能力、環境適応能力が高いものも生まれ始めている。

 そう考えると、尚のこと、時代遅れのような技術を持ち出してきた意味が分からない。


「なら、何故、ミラージュは態々――」

「だから、分からない。同じことを二度聞くのは感心しない」


 思わず呟いた言葉を必要以上に窘められ、深く嘆息してしまう。


「でも、通常のアミクスより遥かに優れたスペックを持つプロトタイプすら軽く上回ってたあの性能は脅威」


 拓真は火輪の言葉にあの瞬間のことを思い出していた。

 ほとんど刹那の内に火輪も陽光も行動不能に追い込まれていたように感じた。


「陽光。お前も性能差は分かっていたはずだ。何故あの時、俺の制止を無視したんだ?」


 陽光にそう尋ねたが、彼はただおどおどして首を振るだけだった。

 ミラージュによるダメージが大きいのか、その動きはどこかぎこちない。


「よく分からない、と言ってる。あの瞬間、恐怖か何かで頭が真っ白になって、何も考えられなくなったみたい。陽光は私より人格が弱くて幼いから。色々な意味で」


 型番から見れば妹の火輪にそんなことを言われても、陽光は不安そうな表情をするだけで自ら言葉を発しようとはしなかった。

 これもパーソナリティの一例なのだろうが、確かに彼女が言うように少し幼いように感じられる。


「まあ、仕事は冷静に頼むぞ」


 それはきっと時間が解決してくれるだろう。いずれは陽光も火輪のように多弁になるかもしれない。しかし、今は拓真の言葉に彼はこくこくと頷くだけだった。


「それと火輪。お前はあの時本当に撃つつもりだったのか? 人間を」

「そんなつもりはない。ただのブラフ。もう少しで投降しそうなところまでファントムを追い詰めたのに、ミラージュに、人格交換されてた訳だから、あの人間に邪魔された」


 彼女達に与えられた人格よりも奥深いところ、人間で言えば超自我レベルで人間に危害を加えられないようになっている。しかし、あのファントムがそれを知っているはずはないので、はったりも通用した訳だ。策としては悪くはない。


「何にせよ、私は人間を傷つけるつもりは欠片もない」


 とは言え、はったりにせよ演技にせよ、火輪が人間を傷つける意思を見せたという事実を前に、拓真は彼女からその言葉を聞いて確認しておきたかった。


「私は人間のために作られたんだから」

「……そうか。なら、いいが」


 時折、人間に対しても厳しい言葉を吐く火輪だが、それもこの本質のせいでもあるのかもしれない。

 人間に与えられた仕事ながら、人間のためになっているとは思えない。

 拓真達が抱いているものに似た現状への疑問、違和感、無力感に苛立っているのだ。


「しかし、プロトタイプ、か」


 あのミラージュの、逆に作り物めいて感じるような整った顔立ちを思い浮かべ、同時に彼女の発言を思い返す。

 人間はアミクスの性能を侮っている。アミクスは人間の奴隷に留まる器ではない。

 そこにあのミラージュの目的、これまでファントムを破壊してきた意味と今回に限ってファントムを助けた意味が隠されているのだろう。

 しかし、余りに漠然とし過ぎて答えには至れない。

 そうこう考え込んでいる内に、複合娯楽施設外の駐車スペースに止めていた大型トラックの前に至り、拓真は陽光と火輪へと振り返った。


 それこそが特別処理班の車両であり、中にはオペレーターの沢北美穂とオペレーター兼運転手の木原雅人が控えている。そして班長である拓真、サポート役という名目の陽光と火輪を含めての五名。

 それが特別処理班東北地方担当の中でも第六地区を担当する第六班に配属されている班員の全てだ。

 第六班に予備の人員はいないので休みらしい休みはない。

 もっとも、そんなものがあったところで、かえって余計なことを考えて気が休まらないに違いないだろうが。


「何にせよ、疑問があるのなら直接聞くべき。会話の中から色々キーワードが読み取れたから、居場所もすぐに特定できるはず。その前に私達の修復が必要だけど。それに――」


 結論づけるような火輪の言葉に拓真は深く頷いた。


「何より、今は与えられた仕事を行うべき、だな」


 そう言うと火輪は言葉を遮られたことが不満なのか、つまらなそうにトラックに荷台側から乗り込んでしまった。そんな彼女に続く陽光を見送り、拓真は眠らせてある遊香という名の少女に視線を移した。

 既に万が一に備え、特定の薬品を注射してマイクロマシンの機能を停止させてある。そのため、人格や記憶が共有され、精神的にダメージを受けることはない。

 これから彼女は別のアミクスが与えられ、特定の記憶を脳から引き出せないように暗示がかけられる。そして、また大衆の中に埋没するのだ。

 実情がどうかは知らないが、そう聞いている。


 この少女もまたどこにでもいるような平凡な人間だ。つまり掃いて捨てても何ら困ることのない、取るに足らない存在。自ら考えることを放棄した愚者の一人。

 だが、ファントムと対峙した今なら、別の可能性もあるのかもしれない。

 しかし、拓真の仕事はワンオブゼムとして生きる道から逸れようとしている者を突き飛ばしてでも、元のオンリーワンにすらなれない状態へと戻してしまうことなのだ。


「悪く、思うなよ」


 それは人々のためなのだ。

 急激な変化によって社会が歪んでしまわないように。

 今は思考が停滞した世界、ぬるま湯の中に人類を浸からせておかなければならない。

 何より、それをしなければ、今度は自分がそこへ突き落されかねないのだ。

 だから、違和感や疑問は押し殺して仕事を全うしなければならない。

 そう拓真は言い訳をし続けていたが、蓋をしようとすればする程にその抑え込むべき感情は徐々に強く、大きくなっていた。押し殺し切ることができない程に。


 火輪は現在を生きる人々のあり方を一つの幸せだと口にしていた。諦めに似た口調で。

 実際、そういう考え方もあるかもしれない。それでもいいのかもしれない。

 しかし、拓真にはそんな世界が酷く歪んだものに思え、どこか受け入れられずにいた。

 だからと言って、何か行動を起こせる訳でもない。社の飼い犬に過ぎない自分には。

 いや、野良犬だったとしても、むしろ、だからこそ何も変えられないだろう。

 拓真は仕事の邪魔になりかねないその思考、感覚を振り払うように顔を左右に振ってから、トラックに乗り込んだ。脳裏では、自分こそが思考を停止させている愚か者ではないのか、と自分自身に問いかけながら。

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