終章 憧れを追うということ

最終話 追憧の刃

 澄み渡る青空の下、空也は振るっていた鍬を置くと、汗を拭って一息ついた。

 見晴らしのいい高台――吹き渡る、爽やかな涼しい風に心地よさを感じる。振り返れば、そこには念願のマイホームがある。

 木でできた、こぢんまりとしたログハウス調の小屋。そこのテラスでは、真紅が椅子に腰かけて編み物をしている――まさに、平穏と言えるような、時間。

 視線に気づいたのか、真紅が顔を上げてゆったりと微笑んでいる。

 微笑みを交わし合っていると――ふと、近づいてくる気配を、感じる。

 振り返れば――遠くから近づいてくる、一人の騎影があった。

 手を挙げると、手を振り返してくる。やがて、その人は近づいてきて、目を細めた。


「や、空也――いい場所だな、ここは」

「ええ、平和な場所ですよ――静馬さん」


 出会ったときのように、羽織を風にひらめかせる彼は、ひらりと馬から降りて笑った。


「ここに越してきて、一か月――あっという間だな」

「ええ、本当に――このウェルネスに来てからは、あっという間ですよ」


 空也と静馬は並んで目を細める――まるで、この半年間を振り返るように。


 半年前――あの、リテウム平原の戦いは、二日目で唐突に終わりを告げた。

 ウェルネス軍に、首都が占領されたことにより、ソユーズは全面的に降伏――これによって、両国の戦争は終結した。

 ソユーズは、ウェルネスに無条件降伏。キグルス、ケルン、カラムルの三都市をウェルネスへ正式に割譲。また、多額の賠償金に加え、関税自主権の撤廃――。

 日清戦争における、下関条約を思わせるような不平等条約が締結された。


 アウラはソユーズ大統領とその条約を締結させると、速やかに軍を退かせた。

 空也と真紅も当然、それに同道。王都に共に向かうと、そこでは静馬の屋敷に、しばらく身を寄せて滞在していた。

 空也は傷を癒しつつある中、アウラと静馬は約束を履行するために、尽力してくれ。


 そして、一か月前、二人はウェルネス王国の東方、カグヤ自治州の、一つの村に身を寄せて、のんびりとしたスローライフを繰り広げ始めていた。


「いらっしゃいませ。静馬さん――緑茶でよろしいですか?」

「ああ、ありがたい――茶葉の栽培も、始めたのか?」

「ええ、まあ。異世界の知識も、あるので、比較的に楽にできていますよ」


 マイホームのテラスで、テーブルを三人で囲む。

 摘み立ての茶葉で、真紅は茶を煎れて静馬に差し出す。礼を言った彼は、それを口にしてほっと一息つきながら目を細める。


「いい茶だ。落ち着く」

「それは良かった――静馬さん、今日は一人なんですか?」

「ああ、飛鳥かユーラを連れてこようかと思ったんだが、手が空かなくてね」

「――また、戦争、ですか?」

「いいや。でも、また忙しくなる」


 静馬は相変わらず、アウラの下で騎士を率いる部隊長だ。風のうわさでは、もうすぐ叙勲されるかもしれないというらしいが――彼の、穏やかな気迫は変わらない。

 全てを包み込むような目つきで、そっと眼下の景色を眺める。

 畑と、その下に広がる集落。彼はわずかに口角を吊り上げた。


「――不自由はないか? 集落の知り合いに、言い含めてはあるんだが」

「はい――いろいろと気を遣って下さいます。特に、エイラさんは」

「ああ、エイラが……ふふ、あの人は本当に面倒見がいいからな」


 静馬は懐かしむように、目を細めた。

 エイラは近くの集落に住む、穏やかな女性だ。面倒見のいいお姉さん、という感じで、空也が気を回せない、真紅の女の子の部分もケアをしてくれる。

 たびたび、訪れてくれて、静馬の昔話をしてくれたりするのだが――。


「あの人はひょっとして、幼なじみ、なんですか?」

「違う、な。ただ、一時期、あの人に助けられたことがあったんだ」

「――エイラさんは、静馬さんに助けられた、と言っていましたけど」

「助けられたものか……助け、られなかったよ」


 静馬は寂しそうに笑って首を振る――その視線は、どこか辛そうで……。

 空也と真紅には、慮ることができない、重さを感じられる。

 静馬は少しため息をついたが、苦笑いを浮かべて首を振る。


「ともかく――自分が一時期、国に追われていたときがあって、そのときにエイラ姉さんは匿ってくれたんだ。とても、優しくて、心から癒されたよ」

「そう、ですか……まあ、あの人と話していると、心が軽くなりますよね」

「そういう魅力があるからな――だから、エイラが院長をやってくれて助かるよ」


 目を眇めた静馬の視線の先――そこでは、無邪気に遊んでいる子供たちがいる。

 エイラが院長となって作られた施設は――『クルセイド寺院』――。

 キグルスの孤児たちは、静馬たちの好意で丸ごと、集落に引っ越していた。

 イリヤたちは、頻繁に遊びに来て、農耕を手伝ってくれる。一緒に木々を伐り倒して、お風呂を作ったり、焼き物の窯を作ったりしている。

 そんなのどかな日常を、少しだけ語っていると、静馬は嬉しそうに頷いていた。


「――そうか、ヘカテという女性も、ここを気に入った、と」

「ええ、旅をしていたらしいですけど、数日は滞留して、子供の面倒を見て下さいましたよ……静馬さんの知り合いらしいですね」

「ああ――ちなみに、大男が、くっついていなかったか?」

「――微妙に、気迫の読みづらい護衛がいましたね」

「なるほど――変わらないな。二人とも」


 そう苦笑いする静馬は、心の底から安心したように、優しい目つきをしていた。

 まるで、諦めと喜びが同居したような――何かを悟ったような、顔つきで。

 少しだけ、心配で眉を寄せてしまう。


「――どうかしたか? 空也」

「いえ……ただ、大丈夫かな、と思いまして」

「ああ、大丈夫だよ。ただ――うん、安心しているんだ。本当に」


 集落を見つめていた彼は、緑茶を呑みながら囁くように言う。


「大切な人を護るために、刃を振るい続けていた――だけど、同時に、他の人の大切な人を奪い続けてきたのも事実。その現状で、本当に誰かを救えていたのか――少しだけ、不安だったんだよ。でも――」


 視線が動く。集落にあった視線が、真紅に移り、そして空也に移る。


「こうやって誰かを救えていた。それが分かって――安心したんだ」

「――静馬さんも、大変ですね」

「まあ、な。でも、決めた道だから」


 そう言う彼は、晴れ渡った空に負けないくらい、清々しい笑顔だった。

 その笑顔のまま、そっと空也の目を覗き込んでくる。


「空也は、どうだ? 空也の刃は、何の為にある?」

「僕の刃、ですか? 僕たちの刃は――」


 真紅と視線を合わせる。迷わずに頷き合い、重ねた手を持ち上げる。


「少し前は、真紅の為に、ありました」

「私も、空也の為に、捧げていました」

「でも、今は違う?」


 もう一度、二人で頷く。やはり、迷いはない。自然な笑顔と共に告げる。


「二人の、未来の為に――今、この刃はあります」

「――そう、か。じゃあ、キミたちの刃は、追憧の刃、だな」


 憧れを、追い続ける――優しい、刃だ。


 静馬は目を細めてそう囁くように告げると、腰を上げた。湯呑をテーブルに置いてテラスから降りる。空也が腰を上げると、静馬は乗ってきた馬を曳いてきた。


「この子を、キミたちに。自分の愛馬の子でね」

「――いいのですか?」

「ああ、足としても、農耕としても上手く使ってくれ――願わくば、この子は戦場に出さないでほしいかな」


 彼は苦笑い交じりにそう告げ、空也に手綱を引き渡す。

 鹿毛の大人しそうな馬だった。掌を首筋に当てると、その子は軽く嘶いた。それを見て、静馬は満足げに頷く。


「じゃあ――自分は、帰るとするか」

「もう、行かれるのですか?」

「ああ、エイラに顔を出して、少し話してから帰るよ。また、直に来る」

「はい、今度はアウラ様や飛鳥さん、ユーラさんも、一緒に」

「良ければ、リヒトさんとエリカさんも連れてきてください――子供たちが、また騎士さんと缶蹴りしたい、とせがんでいますから」


 真紅も見送りに来る。静馬はおかしそうにくすりと笑うと、頷いてくれる。そして踵を返して、手を振りながら斜面を降りていく。

 彼が集落の方へ行くのを見送りながら、空也と真紅は並んで手を繋ぐ。


「僕らの刃は、追憧の刃、か……」

「憧れを追い続ける――素敵だね」


 視線を合わせる――それだけで、また繋がり合える気がする。

 自然と笑みを浮かべながら、二人は家に戻る。馬は、ひとまず軒先の木のあたりに繋げておくと、その鬣を撫でながら、真紅は告げる。


「この子の家――厩も作らないと、ね」

「ああ、すぐに作れるだろう。他に、何を作るかな?」


 風呂や、畑も作った。石鹸も作っている。

 スローライフは始まったばかり、快適に暮らすために――工夫をこらし続けている。ちらり、と真紅は家の裏に目をやる。


「そういえば、焼き釜、作っていたよね?」

「ああ、イリヤに手伝ってもらって作っているけど」

「じゃあ――焼き物ができるようになったから、陶器を作らない? 空也くん」

「ああ、時間はたっぷりある――何でも、作れるぞ」

「あはっ、やった。釉薬も作って、いいもの作ろう? それで――」

「子供たちに教えて、お金を稼ぐ方法にする、だろう?」

「……空也くんは、本当にお見通しだねえ」


 しみじみと呟く真紅を見やりながら、空也は苦笑い。手を洗ってから家に上がり、二人で並んでベッドに腰を降ろした。彼女のお人好しは、変わることはない。

 きっと今後も――空也と真紅、二人の関係性が変わることはない。

 昔から幼なじみで、恋人で――大切な、人なのだから。


「――あ、そうだ。もう一つ作りたいものがあったよ、空也くん」

「ん? なんだ?」

「えへへ、その――」


 真紅は少しだけ照れくさそうに笑う――頬を赤く染めた彼女は、そっと自分のお腹を撫でて、上目遣いで空也を見つめる。

 それを意味するところに気づき、空也は言葉を詰まらせ、頬を掻いた。


「ん、まあ……そう、だな……ゆっくり、やろうか」

「えへっ、最近、毎日のように可愛がってくれるからね、空也くん」

「まあ、二人暮らしだから――自然にできるよ。それで――」


 そっと指を絡め合わせ、目線を合わせて二人は笑い合う。

 子供の頃のように。日本にいた頃のように。

 優しく、お互いに気持ちを温めるように、笑顔を交わし合った。


「二人の憧れを――いつまでも、追いかけて行こう」

「うん、一緒にいつまでも――未来まで」

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