第6話 大切な人を護る為に

「――ッ!」


 真紅の絶句が伝わる。その間に、ロニーは二本の矢をいっそゆるやかに構える。

 持っていた矢と、掴み取った矢。それを、空也と真紅、それぞれに向ける。

 めまぐるしく思考が迸る。その速度に、視界がスローモーションに感じる。


(体勢は、無理だ、立て直せない――くそっ、もうダメなのかッ!?)


 とにかく、矢を撃つのを妨害できれば。

 だが、短刀はもうない。その上、体勢が崩れている。

 せめて、何か飛び道具があれば……!

 空也の思考が飛び交い、視線が走る。記憶が過去を遡り、何かに縋り――。


『楊心流は、護迫の刃――大切な人を護る為の、迫真の刃たれ』


 静馬の声が、脳裏に木魂した。あの日の光景が、鮮やかに脳裏によみがえる。

 そう語った彼は、宙に放った石を、真空の刃で砕き散らせた。

 絶技〈炸迫刃〉――あれが、できれば――。


(静馬さん――僕に、真紅を、みんなを守る力を――ッ!)


 肚に力を込める。泳いだ身体を精一杯捻りながら、腕を振るい――。

 その、指先に、気迫を込めて――鋭く振り抜いた。

 指が、何かを斬り裂いた――感覚が、迸った。


 破裂音――弾ける音と共に、ロニーの鉄弓が宙を舞った。


「な――ッ!?」


 弾かれて目を見開くロニー。その鉄弓は砕けて中空を舞っている。それを見つめながら、空也は体勢を完全に崩して、駆けた勢いのまま無様に地面に転がる――。

 だが、もう十分だ――空也は、信じ切って笑みをこぼす。

 視界の中で、すでに二の矢をつがえ、しっかりと構えている真紅の姿がある。

 その矢が、静謐に、放たれた。


「――はッ」


 空也はよろよろと身体を起こす――そこには、両ひざを地についたロニーの姿があった。その喉元には矢が突き立っており、それを呆然と見つめながら、喉を押さえ――。

 笑みをこぼして、唇を動かした。


『ざまぁ、ねえな』


 その言葉を最後に、どさり、とロニーは地面に伏す――空也は、荒く息をつきながら、その場に座り込む――振り返れば、そこに駆け寄ってくる、愛しい人の姿があった。

 今にも泣き出しそうな表情で、傍に寄り、射抜かれた腿に手を置く。


「空也くん……っ! 大丈夫っ!?」

「大丈夫――では、ないな……いでで……」


 振り抜いた右指が、ひどく痛む――見れば、腫れあがりつつある。指が砕けたのかもしれない。気合いのままに、全力で振り抜いたせいだろう。

 腿も、矢が貫通している――アウラも駆け寄ってきて、短刀を引き抜いた。

 傍に屈んで矢傷を確かめると、貫通した部分の鏃を短刀で切る。


「シンク、クウヤの足を押さえていて――引き抜くわよ」

「ああ――真紅、手を握っていて」

「う、うん――」


 しっかりと手が握ってくれる――それに縋るように空也は握り返すと、目線でアウラに合図した。彼女は、両手で矢を掴むと、思いっきり力を込めて引き抜いた。


「が――ッ!」


 太ももが引き裂けるような激痛が迸り、頭がスパークする。思わず身が震える空也を、真紅は手を握りしめながら、ぎゅっと肩を抱き締めてくれる――。

 甘酸っぱい、彼女の汗の香り――それだけで、どこか安心できる。

 手を握り返しながら、その匂いを吸い込んで意識を逸らすうちに、アウラが軍服のスカートを破って、それでしっかりと傷口をきつく覆う。

 アウラは布を縛り終えると、目を細めてそっと空也の頬に手を当てた。


「――よくやったわ。ありがとう――クウヤ」

「礼は……後、です。まだ、戦が続いています」

「ええ――他の傷は、後で見るわ。シンク、後は任せていい?」

「はい、もちろんです――っ」


 アウラは微笑みを浮かべて頷くと、すぐに表情を切り換えて大声で下知を出し始める。伝令兵すら、今は戦闘に参加しているせいだ。

 とはいえ――北の傭兵の幹部は、討った。奇襲も、沈静化するだろう。

 あとは、アウラの仕事だ。

 空を見上げながら、空也は真紅の身体を抱き締め――その温もりと感触を、確かめていた。


   ◇


 それは、圧倒的だった。


「――北の傭兵、ゼクス。さすがの腕前だ」


 ゼクスは、両刀のククリナイフで斬り掛かる。魔神のような剣技だった。

 流れるような美しさと、極めて精緻な技で、ひたすらに斬り掛かってくる。滑らかな刃は一秒ごとに加速し、凄まじい勢いで静馬を斬り刻むべく振るわれる。

 静馬もその猛攻を捌くのが、精一杯だった。


 さまざまな経験を積んだ剣技なのだろう。修羅場を潜り抜けたのだろう。

 刃が首筋を掠め、弾き返し、逆に胸を狙って、弾き飛ばされる。その刃のやり取りのたびに、その熱量が伝わってくる。

 ククリナイフの激しい連撃――振り下ろし、薙ぎ払い、受け止め、叩き潰す。

 二刀一対の刃に、静馬はひたすらに向き合い、受け止め――捌き切って告げる。


「だが――相手が悪かったな。ゼクス」


 その刃は、静馬の元に届かない。圧倒的な、武の頂きを、静馬は見せつけていた。

 たった一本の刃が、全ての猛攻を受け止めきる。攻撃を弾く刃は、相手を斬りつける刃に繋がり、そして、さらに自分を守る刃へと繋がっていく。

 舞うような剣技で、全てを封殺――ゼクスが息を切らし、大振りの斬撃を薙ぎ払う。

 それを、静馬は上段からの振り下ろしで叩き落とす。そのまま、鮮やかに刃を返し、跳ね上がるように太刀を斬り上げた。厳流、燕返し。

 それを避けようと動くが――間に合わない。


 鋭く伸びた刃が、ゼクスの右腕を斬り飛ばした。


「くっ……!」


 体勢を立て直そうとするも、激痛と切らした息でままならず、膝を折るゼクス。

 両者の間に、まるで別物のように、ククリを握った腕が落ちて音を立てる。

 悠然と静馬は血振りをしながら、淡々とした声で告げた。


「二刀流は、確かに強力。防御と攻撃を一手に行える。だが――その実、体力の消耗が激しく、立ち回り次第では、片方の手が動きを邪魔してしまう――長期戦には、向かないな」


 そう告げながら、静馬は鞘に刃を収めて腰を落とす。再び、居合抜刀の構え。

 そうしながら、目を見開いたゼクスに向け、いっそ静かに告げる。


「貴様に手向ける絶技も、なし――名乗る価値もない。ただ、ひたすらに死に晒せ」


 刃が、迸る。走った刃が、鞘に戻った瞬間――どさり、とそれは崩れた。

 振り返れば、ユーラが血に濡れた手を振って立っていた。その周りに散らばっているのは、無数の死体――。


「背中は、守りましたよ。シズマさん」

「ああ――自分たちの、敵じゃなかったな」


 勝利、だった。だが、どこか空しいものすら、感じてしまう。

 こんな、つまらないものたちの為に、ハンたちは――仲間たちは、命を散らしたのだ。

 もはや一瞥の価値すらも、ない。

 ただ、価値があったとすれば――それは、あの二人の為に、だろう。


(空也と、真紅さん……か)


 彼らはひたむきに、追い求めていた。

 互いのことを、そして、自身が見つめる憧れの先を。

 彼らは――まさに、未来へ往くために憧れを追う刃そのものだった。

 その憧れを護れた――そう思えば、少しは救われるものがある、はずだ。

 手を濡らす血を振り払いながら、静馬は、ユーラに声をかけた。


「――作戦を、進めよう。直に、へロス将軍の部隊も来るはずだ」

「はい――早く、戻りましょう。アウラ様の元へ」


 ユーラは見透かしたように、どこか寂しそうな笑みを浮かべる。そっと手を繋ぎ合わせ、二人でソユーズの深奥へ歩んでいく。

 大切な誰かを、護る為に――。

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