第4話 リテウム平原の戦い
同刻――キグルス北西の、険しい山中。そこには、雪山を突き進む一団があった。
青天の中、白い雪が眩しく思える。ざく、ざくと荒い雪の中を確かめるように踏み進みながら、静馬は荒い息をついた。
「気を、つけて下さい――滑落したら、おしまい、です」
「分かっている――ただ、かなり体力を消耗するな」
支えるように傍にいるのは、ユーラ。今回は黒装束ではなく、防寒具に身を包んでいる。黙々と進む騎士たちの先導を買って出て、進んでいる。
全員、命綱でつなぎ合わせ、万が一にも遭難しないようにしているが――。
ちらりと見える谷底が、まるで奈落の底のように暗い闇がぽっかりと口を開いていた。吸い込まれれば、洒落ではなく、地獄へ真っ逆さまだろう。
「ここが、最後の難所です――頑張って、ください」
「ああ――それよりも、今、キグルスは無事だろうか」
「恐らく、そろそろ接敵すると、思います――今は、信じましょう」
「――そう、だな」
難所を、踏破する。そこで束の間の休憩を部下たちに与える。
天気にも恵まれた。誰も欠けることなく、険しい山の中を移動してきた。この山を北上すれば、すぐにリングストンに辿り着くはずだ。
それでも、半日はかかる――けれど、焦ってもいけない。
静馬は干肉を胃袋に入れ、深呼吸をした。
「――時間、です」
「ああ――行こう」
ユーラの声に促され、立ち上がる。飛鳥も素早く指示を出しながら動き始めていた。
南東に視線を向ける――遠くのキグルスを見つめながら、少しだけ無事を祈る。
そして、踵を返し、行軍を進めていく――。
◇
その頃、キグルス北方、リテウム平原。
そこに布陣したアウラたちは、築城普請を切り上げ、迎撃態勢を整えていた。その土塁の頂点で、空也と真紅は目を細める。
山岳の細い切り通しから進軍してくる、大軍――およそ、十万。
道を埋め尽くす歩兵が、足音を鳴らして接近する――それに、生唾を呑みこんだ。
「えらい数だな――まさに、地を埋め尽くす、というか」
「昔の諸将は、よくこれを見て迎え撃とうと思ったよね……」
場違いな感覚に、空也と真紅は顔を見合わせ、少しだけ苦笑い。
その積み上げられた土塁は――かなり、高い。その眼下には、五本の壕が見えている。階段状に土を積み上げ、段差の部分の壕で騎士たちは身を伏せている。
段の斜面には、木を組んだ柵や逆茂木が埋め込まれており。
騎士たちの手には、弓矢、足元には手頃な石が積まれている。
迎撃の準備は、すでに整っている。
「クウヤ、シンク、念のため下がりなさい。強弓があるとは思わないけど」
背後で立つアウラが静かに告げる。腕組みをした彼女は、落ち着いてソユーズの動きを注視している。二人が彼女の横に下がると、アウラは手を挙げた。
騎士たちが駆けてきて、目の前で跪く。伝令兵、だ。
「もうじき、接敵。基本は一の壕、二の壕で連携し、対応にあたりなさい。三の壕以上は弓矢で援護――特に、弾幕を絶やさないように。細かい差配は一任――行きなさい」
伝令たちが口上を復唱し、拝礼して駆けて行く。
その中でソユーズ兵たちは蠢くように陣形を変えていた。その中央に、悠然と民族衣装の男が姿を現す――遠目でも分かった。
「ロニー……なるほど、奴が指揮を」
「北の傭兵ね。手強くなりそうだわ」
そのロニーが手を挙げる。瞬間、空を震わす太鼓の音が響き渡った。
瞬間、鬨の声を上げてソユーズの兵士たちが、土塁に向けて駆けて行く。打ち寄せる波のような、押し寄せる大軍を見ながら、アウラは冷静に片手を上げる。
それを合図に、法螺貝が戦場に吹き渡った。
瞬時に、壕に潜んでいた騎士たちが立ち上がり、斜めに向けて弓矢を放つ。
空が矢で埋め尽くされ――次の瞬間、ソユーズ兵の真上から矢が雨のように降り注いだ。
悲鳴と怒号が、響き渡る。ウェルネス騎士から弾けんばかりの歓声が上がった。
だが、矢の雨を掻い潜って土塁に食いつく者もいる。そこに、容赦のない投石が降りかかる。アウラは、よし、と一つ頷いて告げる。
「最初は上出来ね――ただ、油断はできない」
「ええ――総がかりが来ます」
真紅が応じた瞬間、凄まじい勢いでの太鼓の乱打が響き渡る。それを機に、ソユーズ兵が雲霞の如く、押し寄せてきた。それを、空也と真紅は見守るしかできない――。
「前衛の騎士たちを信じなさい。焦っても、仕方ないわ――貴方たちは、戦況から目を離さないこと。絶対に相手は何か手を打つ――平押しだけで、崩せるわけがないもの」
「――そう、ですね……」
目を逸らしてはいけない。これは、護る為に決断したことなのだから。
悲鳴、怒号、歓声――入り交じる戦場で、ただ空也と真紅は目の前の戦況を見つめ続ける。
状況の変化に気づいたのは、戦闘が始まって二時間が経とうとしていた頃だった。
一の壕の前に、死体の山が積み上がり、投石での攻撃がままならない。
それを受けて、アウラは一の壕を放棄、二の壕を最前線にするように指示。
犠牲は最小限に留め、土塁はしっかりとソユーズの兵を食い止め続ける――。
その中で、真紅は何かに気づいたように、視線を細めて空也の手を握ってくる。
「空也くん、敵の本陣――」
「――騎兵が前線に出て来たな。何を、仕掛ける気だ?」
「まだ、一の壕しか突破できていない、はず……」
ソユーズの兵は、犠牲を恐れずに攻め上っている。二の壕に取りつこうとし、落石や槍の一撃で倒れる――だが、それでも強引に突っ込んでいる。
その一部に、空也は目を留めた。盾を構え、落石の中、食い下がっている一団がいる。練度が、明らかに違う――空也は、目を細める。
「あそこの兵が、手練れ――あそこに、何かがあるのか……?」
「――ッ! アウラ様、あそこの兵を退けて下さい!」
真紅は何かに気づいたように振り返って叫ぶ。切羽詰まった声に、アウラは急いで伝令兵を呼びながら訊ねる。
「何があるの? あそこには」
「あそこは、雇った民たちが築いた土塁です。もしかしたら、何か仕込みが――!」
真紅の言葉は、半ばで激しい地鳴りと轟音で打ち消された。
思わず体勢が崩れるほど、凄まじい揺れが足元を襲う。眼下で舞い上がる土煙、その中で大きく太鼓の音が木魂する――状況が、交錯して分からない。
混乱した戦場の中で、アウラは前に進み出て、ぎり、と歯噛みをした。
「なるほど、やってくれたわね――すぐに崩落させられるように、石でも組んであった、ということかしら……!」
土煙が収まりつつある視界――その眼下で、土塁の一部が崩壊している。
崩落は四の壕まで及んでおり、敵を防ぐ柵や逆茂木も崩れている――何より、衝撃で騎士たちが混乱している。その間に、ソユーズ兵は崩落箇所へ食い込み、斬り込んでいる。
それでも――アウラは、落ち着いていた。冷静な声を発する。
「伝令、第四、第五の壕の兵を前衛に――崩落箇所から侵入する敵を食い止めなさい。第二、第三はその場を死守」
「はっ!」
(さすがの将軍――焦らない、か)
熟練の騎士たちも、伝令を受けてすぐに立て直しつつある――。
だが、ソユーズ軍はそれを待たない。太鼓の音と共に、騎馬隊が突っ込んでくる。それを見据えて、アウラは舌打ちを一つ。そして、腰の剣を抜き放つ。
「構えなさい、二人とも――来るわよ」
「まさか、そう来ますか……!」
馬蹄を轟かせ、凄まじい勢いで崩落地点を駆け上がってくる騎兵。その先頭の兵が、次々に弓矢をつがえて放ち続ける。防ごうとする騎士たちは、それに撃ち倒される。
瞬く間に、四の壕まで到達――そして、その騎兵は高く跳躍。
目の前の、逆茂木を跳び越え、一人の民族衣装の男が弓矢を構えたまま、着地する。
「また会ったな、カップル騎士」
そして、北の傭兵、ロニーは口角を吊り上げてそこに立っていた。
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