第9話 この瞬間だけは、ひたすら無邪気に 後編

「リーシャ、動くなよ……!」

「ふ、ぇえっ!?」


 再び駆け寄ってくる気配に、空也は瞬時に決断。立ち上がってリーシャの身体を抱きかかえる。お姫様だっこをしながら、彼は地を蹴った。

 軽業のように、廃材を駆け上がり、一瞬でその場から離脱――。

 その後ろで、リヒトが舌打ちした。


「くそっ、クウヤくんは手強い――エリカ、ポイントDだ!」

「了解、リカバーに入るわ!」


 駆ける正面から声が上がり、物陰からエリカが現れる。挟まれた――!

 万事休す――かと思いきや、エリカは不意に踵を返し、別の方向に駆ける――守るべき、缶の方向。そこには、イリヤが駆け込んでいた。

 捕まっている子供から歓声が上がる――だが、エリカはぐっと身を低くして駆け出す。

 ぐんぐんと距離が縮まり、缶の直前で、彼女は追いつき、イリヤは肩を叩かれた。


「はい、捕まえた……惜しかったわね?」

「くそっ、兄ちゃん、逃げろ!」

「さて、クウヤくん、鬼ごっこだなッ!」

「く、そっ!」


 後ろから迫るリヒトの声に、空也は舌打ち。缶から遠ざかるように逃げながら――だが、着実に迫ってくる、リヒトの気配。それに息を吸い込み。

 足を踏み替え、右に行くと見せかけ、左に跳ぶ――。


「う、おぉっ!?」


 リヒトの体勢が、冗談のように傾き、足を滑らせる――絶技〈惑足〉だ。

 我ながら大人げない、と苦笑いしながら、空也は進路を変える。物陰に隠れながら、そっとリーシャをそこに降ろす。ぼうっと頬を赤く染めて見上げてくる少女に笑いかけ、物陰からすぐに飛び出す。

 エリカと、リヒトはじわじわと間合いを詰めていた。


「……いや、二人とも容赦ないでしょう、あれ、他のみんなは?」

「みんな捕まえたわよ……あとは、二人だけ――」

「クウヤくんさえ捕まえれば、あとは余裕だな……」

「うわ、この大人たち、大人げねえ」


 子供相手に、ここまで本気を出すのだろうか?

 捕まっているところには、苦笑いを浮かべる真紅の姿がある。じり、じりと後ろに後ずさる――だが、すぐそこは廃材の山。逃げ場は、ない。


「真紅も捕まえたんですか?」

「ええ、他の子を逃がそうとしているところを、あっさり」

「ああ――真紅らしい」

「でも、キミはそう簡単にいかない、かな?」

「――ええ、まあ」


 背中が廃材にぶつかる。瞬間、廃材に手をつき、地面を蹴った。

 ひらりと後方宙返り、廃材に登ってすぐさま踵を返した。駆けて行くが、すぐさま、食らいついてくる気配――振り返れば、リヒトがすぐ後ろにいる。


「ちぃっ!」


 すぐさま、目の前の廃材を跳び越える。膝を使って地面に着地。進路を変えた先に、待ち構えているのは、エリカの姿。上手い連携だ。

 捕まる前に、見えた建物の壁に向かって跳ぶ。そのまま、三角跳びで高く跳んで廃材の山の上に着地。我ながら、野猿のような立ち回りだ。


「それも、呼影流の動きか!」

「絶技〈跳飛〉といいます――パルクールともいいますが!」


 建物の屋根に駆け上がり、息を整える――その間に這い登ってきたリヒトの魔の手を躱し、地面に飛び降りる。軽やかに受け身を取り、駆け出す。

 廃材のアスレチックを駆使し、必死に飛び回る。その光景に、応援の声があがり始めた。


「兄ちゃん、がんばれ!」

「おにいちゃん、かっこいい!」

「あぶない、兄ちゃん!」

「にげてぇ! がんばれぇ!」


「は――ははっ」


 笑みが思わず込み上げてくる。久々の高揚感に、楽しくなってくる。

 前後からの挟み撃ちを、三角跳びで高く跳んで躱す。

 後ろからの追撃を〈惑足〉で、エリカを転ばせる。

 物陰を利用した〈消影〉で、追跡を一瞬だけ撒く――。

 もはや、恥も外聞もなく、呼影流を全力で使って騎士二人を対処していく。


 だが――それでも、缶には近づけない。そういう連携で、二人が立ち回っているからだ。特にエリカは缶へ気配りを絶やさずに、空也に近づいている。

 そして、次第に間合いが詰まっていく。伸ばされた手を、掻い潜ろうとして――。

 わずかに、肩を掠めた。


「あ――負け、か」

「ようやく捕まえたぜ、畜生……!」


 リヒトがぜいぜいと息を吐き出しながら、爽やかな笑みを浮かべる――エリカも満足げに汗を拭う。空也も息を整えながら、笑みを返して告げる。


「はい――僕たちの、勝ちですね」


 瞬間、からん、からん――と乾いた音が響き渡る。


 二人の騎士の顔が面白いくらいに固まった。振り返れば、そこにはリーシャが勢いよく竹筒の缶を蹴り飛ばしていた。転がった缶に、二人の視線は釘付け――。

 その間に、空也はリーシャのところに行くと、その頭を撫でた。


「あはっ……クウ兄っ、勝ったよ!」

「ああ、リーシャ、よく来てくれたな。ありがとう」


 それを皮切りにわあぁ、と声を上げ、子供たちが駆け出す――真っ先に、空也の元へと。これまでの遠慮は何だったのか、と思うぐらい、子供たちは無邪気に空也の身体中に取り付いてくる。


「兄ちゃんカッコいい!」

「あの動き、どうやったの!?」

「騎士さんよりも、はやかった!」

「あ、あはは……真紅、ちょ、助けて……」

「はい、空也お兄ちゃんと遊びましょうねー」

「わーい!」


 幼なじみは、容赦なく彼氏を子供たちに売り渡した。にこにこと笑って見守られる中、空也の腕や腰に、子供たちが取り付いてくる。

 強引に腕を持ち上げると、ぶら下がる子供たちからはしゃぐ声が上がる。

 もう、どうしたらいいか、分からないくらいだが――。


「良かったな、兄ちゃん」


 どこかイリヤの満足げな顔を見ると、何とも言えなくなって――。

 空也はそのまま、自棄のように声を張り上げた。


「よっしゃ、兄ちゃんが遊んでやるぞ、かかってこいや!」

「わーいっ!」


 その後、リヒトとエリカも交えて、再び缶蹴りを興じていった。

 空也と真紅が鬼になって、大群になって来た子供を捌き切れずに負け。

 子供全員が鬼で、大人四人で必死に逃げ回り続ける、無理ゲーにも興じた。

 子供たちは全員で缶を囲むという暴挙に出たが、大人たちは全力で立ち向かい、空也を足場に真紅が跳び、子供の障壁を跳び越えて缶を蹴ることで決着した。

 みんなで、陽が暮れるまで遊んだあと、くたくたになったところで、静馬たちが来て食事を振る舞ってくれた。みんなで食べた豚汁は、とても美味しくて。


「――空也くん、この日も、いい思い出だね」

「ああ、絶対に忘れない」


 空也と真紅は、二人で笑い合う。そこには、絶えず子供たちの笑顔があった。

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