第8話 この瞬間だけは、ひたすら無邪気に 中編

 屋敷の跡地。そこの広い空間に、子供たちが集まる。

 その中央に、缶に見立てた、竹筒を置いた。中には、小石が入っていて、蹴飛ばすと乾いた音が鳴るようになっている。それを軽く盛った土の上に置きながら、空也は振り返った。

 その視線の先には、軍服姿の騎士が二人――空也は、苦笑いを浮かべる。


「すみません、リヒトさん、エリカさん――遊びに付き合わせて。しかも、リヒトさんは、まだ矢傷があるのに……」

「構わないよ。俺たちも、身体を動かしたかった」

「ええ――そうしないと、考え込んでしまいそうだったし。慣れないものよね。リヒト」

「ああ、本当に」


 二人の騎士は少し憂いを含んだ笑みを交わし合う――それに空也は敢えて触れず、咳払いをして子供たちを振り返る。

 期待と不安が入り交じった目。だが、傍にいる真紅のおかげで注目が保てている。

 さて、と空也は声をかけ、手を広げた。


「じゃあ、缶蹴りの時間だ――真紅姉ちゃんから、ルールは聞いていると思うが、おさらいだ。騎士のお兄さんとお姉さんから逃げながら、この缶を倒せば、キミたちの勝ち。みんなが捕まったら、騎士の二人の勝ちだ。単純明快だな」

「逃げる範囲は、この敷地内――要するに、柵の中ね。建物の中に、逃げちゃだめだよ? お外で逃げ回ること――いいね?」

「はーい!」


 子供たちの元気な返事。リヒトは軽く準備体操をしながら訊ねる。


「で、俺たちはみんなを捕まえればいいのか。この缶を蹴られないように、立ち回りながら」

「そういうことですね――二人で、大丈夫ですか?」

「なに、五十二人だろ? 多分、いい勝負になるんじゃないか?」

「ええ、我を忘れて遊べそうです。そちらも手加減なし、こちらも手加減なしで、大いに駆け回りましょう?」


 リヒトもエリカも、好戦的な笑みを浮かべている。

 さすがに現役の軍人――頼もしいことこの上ない。だが、数の暴力に抗えるのだろうか。

 その不安が顔に出たのか、二人ははっきりと豪語する。


「問題ないわよ――静馬隊長は、単騎で三百人を食い止めたことがあるわ」

「それに比べれば、二人で五十二人など、容易い」

「――そこまで、言うのなら、遠慮なく子供たちと逃げ回ります」

「ほら、逃げるわよ、みんな!」

「わー!」


 真紅が声をかけ、蜘蛛の子を散らすように子供たちは駆け散らばる。中には、豪胆にも近くの物陰に隠れている子供もいるようだ。

 イリヤとリーシャだけは残り、空也の手を引っ張ってくる。


「ほら、早く行こうぜ。兄ちゃん」

「クウ兄、行こ……?」

「あ、ああ……じゃあ、すみません、二人ともよろしくお願いします」

「任せな。適当なタイミングで、狩り始めるから」

(か、狩る……?)


 本当に、本気でやり合う気らしい。思わず、笑みが引きつる。

 イリヤとリーシャに引っ張られるようにして、空也は駆け出す。あちこち駆け、ふとイリヤが視線を止める。


「あそこに隠れようぜ。三人くらいなら、行けるはずだ」


 それは廃材の木材が積んであるところ。万が一にも、事故が起きないように地面に寝かせてあり、紐で固定されている。その木々の山の間だ。

 空也とリーシャは頷き、そこに身を寄せて隠れる。できるだけ身を低くして、一息。


「しかし――本当に、二人で子供たちを捕まえられるのかね?」

「ま、そこは騎士サマのお手並み拝見、ってところで――」


 きゃあ、きゃあとどこからか楽しそうな歓声が聞こえる。どうやら、騎士たちに追いかけ回されているらしい。耳を澄ませても、缶――もとい、竹筒の音が聞こえない。

 上手くやっているらしい。ほっと一息つきながら、空を見上げる。


「缶蹴りなんて、久々だな……」

「カンケリ、って――兄ちゃんの国の遊びか?」

「そう。子供の頃はよくやったよ――真紅と一緒に、な」

「本当に一緒なんだな、真紅姉ちゃんと、兄ちゃん」

「そうだよ、本当に――チビたちの歳の頃から、今まで」

「分かるよ、真紅姉ちゃんの昔話に、いつも兄ちゃんの話が出てくるから。な、リーシャ」

「はい、です。強くて、かっこよくて、大きい掌の、お兄さん――」


 リーシャが空也の横に寄り添い、腕を持ち上げて、掌を自分の頭の上に載せる。

 茶髪のふわふわとした癖毛。真紅とは違う髪触りだ。それを撫でると、そばかす交じりの愛らしい顔立ちの少女は、えへへと笑みを浮かべた。

 そのまま優しく撫で続けていると、イリヤが、そっと耳打ちする。


「いろいろあって、リーシャは心を閉ざしがちだったんだ――憧れの兄ちゃんが来てくれて、心を開いてくれているみたいで」

「――そっか」

「ああ――ちょっとリーシャの相手をしていてくれ。俺は、様子を見て来るからよ」


 イリヤが物陰からそろりと出て、こそこそと様子を見に行く――それを見届け、空也はリーシャの頭を撫でながら、リーシャに声をかける。


「そんな、僕が特別優しいわけではないと思うけどねぇ……他にも優しい人はいるだろ?」

「ううん……」


 彼女は怯えたように身を縮め、空也の腕にすがりついてくる。


「周りの大人は、怖い……みんな、大人にいじめられて……子供たち――特に、小さい子は、大人に捨てられて、追剥に遭って……」

「いや、リーシャ、言わなくていい――辛いことは、もう忘れろ」


 そう言いながら、リーシャの頭を撫でる。彼女ははっとしたように息を呑み、わずかに表情を緩める――そっと、撫でられるがままに身を委ねてくれる。

 ただ、やはり髪を触れていて分かるが……ぼさぼさで、ぱさぱさだ。

 きっと――苦労を重ねているのだろう。


「リーシャ、少しいいか?」

「ん――?」

「手を、見せて」


 きょとんとした表情の手を取る――その爪が、ぼろぼろに割れているのを見て、少し心が痛む。そっとその小さな爪を見やり、唇を噛む。

 栄養状態が、明らかによくない。血色も、悪い。


(――遊びだけじゃない。もっと、栄養のある食べ物が必要だ……)


 どうにかして、静馬に掛け合わねば、と心に留め――ふと、近づいてくる気配に、思わず息を潜める。そっとリーシャの手を握り、小さく耳打ち。


「誰か来た――息を、潜めて」

「ん……!」


 じっと固まっているうちに足音が近づいてくる――高まる緊張感に、心臓がうるさく感じる。リーシャは口に手を当てて、必死に息を殺している。

 やがて、リヒトが足音を立てて通り過ぎていく――気づかれなかったようだ。

 リーシャがほっと吐息を漏らす。瞬間、足音が止まった。


(まずい、バレた……!)

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