第5話 流れた血の行方 中編

 その地下室には、重苦しい、湿った空気――鉄臭さと酸っぱいような独特の臭気が満ちている。そこに辿り着いた静馬は、目を一瞬だけ閉じた。

 この匂いだけは、一生、嗅ぎたくない。

 それでも、目を背けてはいけないのだ。

 静馬はそう思いながら、目の前に並んでいる人々を見つめる――。

 付き従っている、暗い顔をした飛鳥に、訊ねる。


「――仲間の遺体は、これで全部か?」

「――はい、全てです」


 そこに、並んでいるのは、人、だったものだ。

 いずれも、生気がないが――丁寧に、寝ているかのように並べられている。それらの全員の顔を、静馬は目に焼き付けるように見つめていく。


「エリク――」


『隊長、手合せでの勝利おめでとうございますッ!』

『――で、賭けでいくら勝ったんだ?』

『へへっ、それは内緒ですわ』


 賭け事が大好きで、いつも手合せがあると一番に何かを賭けていた。勝ち負けの嗅覚が鋭く、大体の賭け事で勝ちをかっ攫っていった。

 その賭けで勝った金は、大抵、後輩に何かを奢る金にしていた――面倒見のいい男。

 そのエリクは、首を裂かれて死んでいる――もう、何も賭けることができない。


「シズク――」


『隊長、少しは飛鳥さんのことを考えてあげて下さい!』

『わ、分かってはいるんだが……』

『本当ですか? 早めに声をかけてあげて下さいね?』


 面倒見のいい、女騎士だった。静馬が、まだ近衛騎士ではなかった頃に、隊に編入して慣れない静馬や飛鳥のために何くれと節介を焼いてくれた。静馬と飛鳥の関係にやきもきして、何度もけしかけてきて。

 飛鳥にあげるプレゼントには、大体、彼女が相談に乗ってくれた――。

 そのシズクの胸に矢が突き立っている。その死に顔は、どこか悔しげで――。


「――ッ!」


 視線を逸らした先に、また騎士がいる――長い年月を、共に戦って過ごした仲間の死体。

 思わず視線を伏せさせた瞬間、そっとその手が握られる――温かい手の感触に、思わず救われるように視線を上げる。

 隣に並んだ飛鳥が、濡れた瞳を揺らしながら、必死にじっと見つめていた。

 充血した目が、必死に哀しみを堪えている――。


「――静馬兄さん……もう……いいんですよ……彼らは、役目を全うしました」

「ああ……分かっている……」

「私も辛いです――けど……静馬兄さんの、そんな顔、見たくない……」

「――すまない。だけど、あと一人だけ」


 静馬は飛鳥の手を引き、並んでいる死体の端に向かう――そこには、一層、青白く血が抜けた落ちた顔の、一人の騎士の死に顔があった。

 彼の死体は、水路にあった。必死に城門を開門するために、奮戦したという。

 静馬はその傍に膝をつき、震える声で名を呼んだ。


「ハン――」

「――彼のおかげで、北の傭兵を、退けることができました」

「そう、か……役目を、果たしてくれたんだな……」


『俺は、静馬隊長と一緒に行く――地獄だろうか、修羅の道だろうが』


 中臣隊、古参の騎士――傭兵の頃から、ハンはよく付き従ってくれた。

 どんな死地に飛び込もうが、ハンは笑いながらついてきてくれた。無茶、無謀、数々の戦いを繰り返す中でも、彼は不可能とは言わずに、いつだってついてきた。

 笑い合った。からかい合った。信じ合った。どこまでも、駆けていた。


(だけど――ここで、立ち止まっちまうのかよ、おまえは……)


 その身体を、蹴り飛ばしたかった。早く起きろ、と蹴ってやれば。

 もしかしたら――ハンは、苦笑い交じりに目を覚ましてくれるんじゃないか。そんな期待すらしてしまう。それでも――分かっている。

 ハンは、帰ってこない。死んでしまった。

 ぐっと込み上げてくるものを堪え、静馬はその安らかなハンの顔を見つめて言う。


「――ありがとう。そして――さようならだ」


 それが、限界だった。立ち上がって、顔を背けると、飛鳥がぎゅっと抱きしめる――その優しい温もりに触れて、どうしようもなく目元が熱くなる――。

 温かい。生きている。飛鳥は、生きていてくれる――。


「頼む、飛鳥――飛鳥だけは、生き延びてくれ……どうか、一人にしないでくれ」

「約束します――静馬兄さん。私は、ずっと静馬兄さんの傍に、いますから……」


 優しい感触に、涙が少しだけ零れる――それを、飛鳥はそっと袖で拭ってくれる。

 だが、深く息を吸い込んで、肚に力を込めると――すぐに、視線を上げた。

 飛鳥はいたわるように、そっと静馬の頬を撫でて、訊ねる。


「――がまん、していませんか?」

「している――だけど、もう少しだけ」

「……はい、あとで、一緒に泣きましょう」


 その一言は、限りなく誘惑だった。全てを投げ出して、哀しみの中に浸ることができれば、と思ってしまう。それでも、静馬はその誘惑を振り切りながら、視線を地下室の奥に向ける。そこには、まだ死体が並んでいる――。


「あれは――街の人か」

「それと、ソユーズ兵の死体です。想像以上に、多かったです」

「疫病になる。すぐに、だが、丁寧に埋葬するように、指示を出しておいてくれ」

「了解しました――仲間の死体は、どうしますか。連れて、帰りますか?」

「――いや。さすがに、距離があり過ぎる。火葬にして、遺灰を持ち帰ろう」

「そう、ですね……そのように、手配します」

「頼んだ。自分は、もう少し、ここにいる――大丈夫だ。泣かない」


 気を遣うような飛鳥の視線だったが、静馬は笑って首を振る。

 正直、ここから離れたい気持ちもあったが――まだ、やることがある。

 飛鳥は頷いて、地下室を後にする――それを見届けてから振り返り、声をかけた。


「ユーラ、遊撃ご苦労だった」

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