第10話 フクザツで素直な気持ち

「――どうしたんだ? この空気は」

「いやぁ……ちょっと派手な手合せがありまして」


 かく乱作戦から戻ってきた静馬は、その空気を敏感に感じ取っていた。何とも言えない表情で、副官の飛鳥に声を掛ける。彼女も微妙そうな顔で振り返って告げる。


「その、真紅さんと殿下が手合せされたのですが――」

「なるほど、真紅さんが勝たれたんだな」

「見れば分かると思いますね」


 ちょこん、と野営地の隅で膝を抱えている王女殿下を見つめ、飛鳥はため息をついた。

 完全に拗ねている子供である。最初は、ユーラがなぐさめようとしたが、素っ気なく突っぱねられ、今は一人で黄昏れている。

 ユーラは、空也や真紅と真剣に拳を合わせ、騎士たちもそれを見守っている。

 結果、ぽつん、と彼女は一人で拗ねているのだ。


「――しかし、真紅さんが勝ったのが意外ではないんですか?」

「まあ、な。空也の同門なら、不意打ち専門の武術だろう? アウラ様は、打ち込みが真っ直ぐだからな……すぐに引っ掛かっただろうよ」

「ご明察です。ただ――真紅さんの剣術、一見の価値がありますよ」

「そうか、時間があれば見てみよう。じゃあ、飛鳥」

「はい、かく乱作戦を引き継ぎます。今の、指揮は?」

「エリカが取ってくれている。引き継いでくれ」

「了解しました。では――殿下を、よろしくお願い致します」


 ぺこり、と飛鳥は丁寧に頭を下げ、騎士たちが集まっている場所に向かう。

 そのまま、手勢を率いてかく乱作戦に合流する。今のところ、負傷者も抑えながらローテーションを回して行けているようだ。


(あとは、部隊長を集めて騎士たちのコンディションを確認。最終調整を行った上で、ユーラと打ち合わせのタイミングを相談したいが……)


 ちら、ちら、と視線を感じる。さりげなく視線を向ければ、真紅の瞳がこちらを伺うように、ふらふらと彷徨っている。いじらしい仕草に、思わず静馬はため息をこぼしながら、頭を掻いた。

 やらないといけないことを、頭の脇に置く。静馬は羽織を翻し、アウラに足を向ける。

 慌てて視線を逸らしたアウラの傍に、静馬は歩いていき――黙って傍に腰を降ろした。


「――おつかれ。シズマ」

「ああ、ただいま。アウラ」


 ぶっきらぼうな挨拶だったが、気にせずに静馬は傍にただ寄り添う。

 風に吹かれながら、草原を眺めていると、その肩にこつんと頭が載せられる。視線を横に向ければ、アウラがふくれっ面で唇を尖らせた。


「負けたわ」

「だろうな」

「貴方のせいよ」

「そうなのか?」

「ええ――貴方が、最近、構ってくれないから」

「……そっか」


 野暮なことは、言わない。静馬はただ頷いて、寄りかかってくるアウラの小さな頭を撫でる。さらさらとした金髪を手で梳くと、彼女は居心地が良さそうに目を細めた。

 そして、肩から頭を降ろすと、静馬の膝の上にアウラは頭を置いた。

 膝枕。苦笑いで、その頭を撫でる。


「太もも、固くないか? 大丈夫か?」

「ん、いい感じ」

「随分、甘えるんだな」

「甘える。甘えちゃう。甘えさせていただく」


 もぞもぞと静馬の膝の上で寝返りを打ち、アウラは顔が見えないようにうつ伏せ気味になる。だが、耳が真っ赤になっているのが丸見えだ。

 恥ずかしいなら、やらなければいいのに――とも思うが。

 その髪をゆっくり梳きながら、目を細めた。


(――大分、無理をしているからな……)


 本来なら、彼女に王位が譲られるはずはなかった。何せ、第三王女なのだから。

 だが、彼女の兄は政変を企て、その罪で継承権は剥奪。島流しとなっている。彼女の姉は南方の貴族に嫁いでしまい――結果、彼女に王族としての責務が集中している状況だ。

 彼女の父も、老いつつある。無理も、できない。

 結果、静馬とアウラは職務に忙殺され、二人の時間がなかなか取れないのだ。


「アウラ、しばらくはこうしていようか」

「――いい、の?」

「ああ、少しだけなら、構わないだろう」

「ありがと――ね、シズマ」

「ん――ああ」


 視線を合わせず、アウラは手を挙げる。静馬は頷いてその手を取る。どちらともなく、指を絡め合わせて、握り合う――。

 繋いだ指を、撫でるように擦り合わせ、お互いに感触を確かめ合う。

 心地いい沈黙の中で、二人はそうやって微かな愛を紡ぐ。それだけで、満ち足りていた。

 ふと、その指先が止まる――アウラの視線が、空也と真紅に向いていた。

 休憩する空也に、真紅は背伸びをしてタオルで汗を拭いてあげている。


「――あの二人、本当に仲睦まじいわね」

「聞いたところだと、幼少のころから――ずっと傍にいる、とか。十年以上、か」

「そうね……あの距離感には、叶わないかな」

(ああ、全く、この女性は)


 二人のことを見て――その関係が、羨ましくなったのだろう。

 それで、恋しくなったのか……こうやって、子供に甘えてきている。

 いじらしい気持ちに気づき、どうしようもなく、愛しさが胸から込み上げる。

 そっとその前髪をかき分けるように梳くと、彼女は真紅の瞳をこちらに向けた。優しく目を細め、なに? と目で訊ねてくる。

 微笑みながら、そっとその額に掌を当てて、そっと身を屈めた。

 アウラの目が一瞬だけ、見開かれ――受け入れるように、彼女は目を閉じた。


「んっ……」


 数秒間だけの、触れ合い――顔を離すと、アウラは深紅の瞳を潤ませてそっと微笑む。

 触れた唇が、やけに熱かった。想いがあふれるみたいに、胸の鼓動が止まらない。

 気恥ずかしかった。それでも、アウラとは離れたくもない。目も放したくない。


「――シズマから、してくれたの、久しぶり」

「アウラはいつも強引にぐいぐい来るからな」

「なによぅ、人を肉食系みたいに」

「違うのか?」

「……違わないけど。でも、迫らないとシズマ、のらりくらり逃げるから」


 拗ねたように唇を突き出すアウラ。その頬をそっと撫でながら、静馬は目を細めた。


「――もう、逃げないよ。アウラ」

「……え?」


 視線を、空也と真紅に再び向ける。

 今度は、二人で乗馬の練習をしているようだった。ユーラの指導の元、空也と真紅は手綱を掴んで馬を進める。コツを掴んだのか、もう乗れるようだ。

 並んで馬を歩かせながら、二人は視線を行き交わせ、絶えず微笑み合う。

 繋がり合っているような二人を見て――うん、と静馬は目を細めた。


「後悔は、したくないから――もう、想いを隠さない。身分の差も、気にしない」

「あ――シズマ」

「だから――覚悟しろよ? アウラ」


 不敵に笑う静馬に、アウラは顔を真っ赤にして目を見開いていた。零れた吐息は、熱く――ただ、彼女は睫毛を震わせ、乞うように小さく言う。


「その……優しく、してよね? シズマ」

「保証はしない――夜が楽しみだな?」

「やうぅ……シズマが、肉食になった……っ」


 いやいやと膝の上で首を振るアウラ。だが、その顔はまんざらでもなさそうで。

 静馬は少しだけ笑いながら、空を見上げる――涼しい風が吹き抜ける。

 空は、どこまでも澄みわたっていた。

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