第9話 姫騎士と幼なじみと刃と 後編
「し、真紅? え、マジで?」
上ずった声を上げる。にこにこと笑みを浮かべた真紅――何故か、目が笑っていない。
彼女の身体から、押さえ込まれた気迫を感じる。思わず後ずさると、真紅は黙って手を突き出して笑いかけてくる――有無を言わさぬ迫力に、木刀を渡すしかない。
だが、一言だけ――空也は、付け加える。
「真紅――手加減だけは、しろよ?」
「ん? んん、できるかな? だって、少しおこなのですよ、真紅は」
彼女はおっとりとした口調で言いながら――視線は、殺気を帯びている。
それに気づいた飛鳥が目を見開き、アウラはふぅんと意味ありげに眉を吊り上げる。
珍しく、真紅が怒っている。
前に見たときは――そう、小学校の頃、一緒に帰るはずだった真紅を置いて、一人で帰ってしまったときだった。あのときは、あやまっても、あやまっても許してくれなかった。
ひたすらぶつかり稽古と称して、竹刀でぶっ叩かれ続けたのだ。
それ以来、彼女が怒っているところを見なかったが――。
「アウラ様? 言って良いことと悪いことがありますよ?」
「――何か、気に障ることを言ったかしら?」
「空也くんと、浮気? へぇ……いい度胸をされています。王族の姫とはいえ、さすがに私も堪忍袋の緒がちょっと……ねえ?」
「だったら、どうするの?」
「ふふ、決まっているじゃないですか――刃で、教えて差し上げます」
怒気を静かにまといながら、木刀をぶら下げて進み出る真紅。
それをあくまで、挑発していくアウラも、木刀を正眼に構える。
二人の間に気迫がぶつかり合い、火花が飛び散る――激しい。
静馬と空也のときは、いっそ静かと言える気迫の競り合いだったが、彼女たちは惜しみなく気迫をぶつけ合わせているのだ。
じり、と真紅は爪先に重心を込める。二人の間に、一陣の風が吹き抜ける――。
瞬間、両者は地を蹴り、激しく木刀を衝突させた。
乾いた木の音が、澄んで響き渡る――それを合図に、休憩中の騎士たちが、取り囲むように集まり始めていた。顔馴染みの騎士――ハンが、空也に肩を組んでくる。
「お、彼女ちゃんと殿下の立ち合いか――なんつーか、二人とも必死じゃね?」
「あ、あはは……まあ、その、アウラ様が真紅を煽り過ぎましたね」
「へぇ、あのおっとりした子があんな怒るんだな。飛鳥副長、どっちが勝つか賭けるかい?」
「いいえ、賭け事は好みません――というか、貴方たちは立ち合いとなると、すぐに何か賭けたがりますよね……静馬様と空也さんのときもそうでしたが」
騎士と飛鳥が言葉を交わし合う。その視線の先で、真紅とアウラは鍔迫り合いを繰り広げていた。アウラの方が、やや押し込み気味ではあるが――。
その様子を見て、ハンはにやりと口角を吊り上げ、巾着袋を取り出す。
片手でぽんぽんと重さを量りながら軽い口調で訊ねる。
「じゃあ、空也、賭けるか? 俺は殿下に銀貨三枚。もちろん、空也は幼なじみちゃんに賭けるんだろ?」
「――いいですよ。それで。後悔しても知りませんからね」
「よっしゃ……てか、後悔しても、って?」
「ええ、だって――」
視線の先で、真紅が動いた。一瞬で足を引き、距離を取る。すかさず、そこへアウラが踏み込んで突きを放った。その刃を防ぐように、真紅は木刀を合わせ――。
絡みつくように、木刀を巻き上げた。
一瞬で跳ね上げられた木刀。アウラは目を見開いた瞬間、真紅が踏み込む。
掌底一閃。踏み込みと共に、アウラの胸に衝撃が突き刺さる――。
「な――!」
飛鳥たち騎士が目を見開く。アウラは辛うじて、後ろに跳んで衝撃を殺したが――それでも苦しそうに吐息をつき、苦々しい笑みを浮かべる。
先ほどの、跳ね上げ――理解できたのは、アウラと空也ぐらいだろう。
木刀の切っ先で、空を回転させ――さながら、棒で水飴を絡め取るようにし、木刀を上に掬い上げたのだ。一瞬の、交錯で。
とてつもない技量でないと、為し得ない技――つまり。
「呼影流の剣術に限れば――真紅は、僕よりも上手ですよ」
それを告げた瞬間、真紅の猛攻が火蓋を切って落とされた。
地を蹴る――呼吸を整える暇を与えない、真紅の踏み込み。木刀を顔の横に構え、霞の構えと共に突きを放つ。アウラは後ろに跳び退く。
その鼻先に、次の突きが迫っていた。
「くっ!」
顔を背け、躱すアウラ。だが、そこへ次から次へと刺突が襲い来る。三段突きではない――五段、七段とつながっていく、まさしく連撃。
その連撃を、アウラは強引に踏ん張り、木刀で捌いていく。
フェンシングのような構えで、降り注ぐ刺突の雨を的確に捌いていく。おお、とその動きに騎士たちがどよめく。
「さすが殿下――宮廷剣術の達人だ」
「いや、シンクちゃんの刺突の雨――ありゃなんだ?」
「ハイレベルな攻防――残像が見えるようだぜ」
刺突が激しくぶつかり合う。まるで、ダンスを踊るかのように互いの足捌きが一進一退。激しくぶつかる木刀同士のぶつかり合い――。
だが、徐々にアウラの刺突が食いついてくる。それに気圧されるように、わずかに真紅の刺突が緩み、彼女の足が後ろに下がる。
その好機を逃さず、アウラが踏み込もうとし――。
その瞬間、真紅が足を踏み替え、逆に踏み込んだ。
「――ッ!?」
その動きに、アウラの足が追いつかない。足がもつれてよろめく――そこに畳み掛けるように、下段から斬り上げるように踏み込む真紅。
その一撃をアウラは木刀で何とか受け止め、よろめきながら後ろに下がる。
そこに向かって真紅は駆ける。そのまま、刃を振り上げながら突っ込み――。
その姿が、視界から消えた。
アウラは目を見開き、辺りに視線を走らせた瞬間――不意に、喉元に刃が突きつけられる。
いつの間にか姿を現し、肉迫した真紅が、そこでにっこり笑っていた。
その刃の感覚に――アウラはため息をこぼし、木刀を手放した。
「完敗よ――悪かったわね。からかって」
「はい、今後はその手の冗談は控えていただきますと」
その二人の言葉で、騎士たちの空気が弛緩する。
空也は振り返り、ハンの方を見やると、彼は手を挙げて降参の意を示した。
「俺の負けだ。ほれ」
巾着から銀貨三枚取り出し、指先で弾いて寄越してくる。空也はそれを片手で掴み、懐で収めていると、ハンは苦々しい表情で訊ねてくる。
「しかし、あの技は何だ? ただの足さばきにも見えたが――」
「ええ、ですが、それだけでアウラ様は足元を乱したように見えました」
「絶技〈
ハンと飛鳥の不思議そうな声に、空也は真紅の方を見つめて目を細める。
攻撃から防御、防御から攻撃――それらから移行するタイミングは、どうしても重心が移動する。そこを狙って仕掛ける、フェイントだ。
重心移動を乱すことで、足を乱すことができる、高度なテクニック。
アンクルブレイク、とも呼ばれる技だ。
「それに、最後のあの一瞬、身体が消えたのは――」
「絶技〈
人の眼球は上下左右に追いかけやすく、斜めの動きにはついて行きにくい。
それに合わせ、戦いの最中だと人はどうしても相手の武器に視線をやってしまう。
そこで、真紅は武器を振り上げることで、視線を上に誘導。
その間に視界から斜めに身を低くすることで、完全にアウラの視界から消失してみせたのだ。言うのは簡単だが、非常に繊細なことを真紅は大胆にやってのけた。
まさに、一方的なワンサイドゲーム――不意打ちに重ねる、不意打ちで、真紅はアウラを封殺してみせた。
真紅は少し照れくさそうに笑いながら、とことこと空也の元に戻る。
遠慮がちに寄り添いながら上目遣いで訊ねる。先ほどの怒気が嘘のようだ。
「……少し大人げなかったかな」
「いや……僕もまだまだだな、と思い知らされた」
「でも、空也くんの方が上手く〈空突〉できるじゃない」
「〈空突〉と〈斬指〉ぐらいだよ、真紅に勝てるのは……」
ともかく、と空也は真紅の頭に手を置いて撫でる。ん、と彼女は喉を鳴らして、胸に顔を押し付ける。わずかな汗の香りが、風の中に溶ける。
「――かっこよかったぞ。真紅」
「えへへっ、呼影流の面目躍如だね」
褒められて嬉しそうに顔を綻ばせる真紅を褒め称えるように、空也は頭を撫で続ける。
仲睦まじい空気に、しばらく騎士たちは遠巻きに温かく――だけど、どこか引き攣った笑みを浮かべて見守っていた。
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