第8話 姫騎士と幼なじみと刃と 前編

「シ――ッ!」

「はッ!」


 手刀と手刀がぶつかり合う――弾ける音と共に、両者は距離を置いて笑い合った。

 空也は拳を顔の脇に構えながら、フットワークを刻み、相手のユーラを見つめる。彼女は身体を低くし、這うような姿勢で構えを取っている。

 互いに汗まみれ――これが、何度目の交錯だろうか。

 息も荒れながらも、互いの間合いを感じ取り、神経を張り詰める――。

 ふと、ユーラの気迫が緩んだ。

 一つ息を吸い込み、彼女はすくっと姿勢を上げて、わずかに口角を吊り上げた。


「――ここまでにしよ。クウヤ」

「ええ――もうしばらく手合せしていましたからね」


 空也も拳を降ろす。視線を上げれば、もう陽が高く昇りつつある。

 ユーラは傍に控えていた従者からタオルを受け取ると、空也にそれを一本投げ渡した。片手で受け取り、汗をぐっと拭き上げる。

 ユーラも額を拭きながら、目尻を少し緩めて告げる。


「さすが、暗殺武術――学べるところも、多い」

「ええ、敵の急所を狙うのがモットーですから。そういう、ユーラさんも、お強い」

「伊達に、隠密は、やっていないから」

「――また、後で手合せ願えますか?」

「もちろん。潜入までに、私も少しでも、腕を磨きたい」


 従者が二人に水筒を差し出してくる。それで二人は水分を補給する。ユーラがその場で腰を降ろしたので、空也も横に並んで座りながら、水筒を口に運ぶ。

 湧水なのか、きんきんと冷えていて美味しい。一口、二口飲みながら思う。

 今、静馬はソユーズ軍の兵站線のかく乱に動いている。その間、空也と真紅はそれぞれ稽古に精を出していた。腕を磨き、来たるべき日に備える為に。

 また――戦うために。

 ふと、横からの視線に気づいた。少しだけ気遣うような、ユーラの視線に首を傾げる。


「どうか、しましたか?」

「ん――人を殺すの、怖く、ない?」

「それ、は……」


 思わず、ためらう。その掌を持ち上げ、陽に透かしてみた。

 その手に血はない。だけど、この前、確かにその手は血に染まっていた。それを思い出した瞬間、不気味な感触を思い出す。

 喉仏を掴み、ねじ切った感触。内臓を引きずり出した、湿った感覚――。

 吐き気が込み上げ、水を飲んで堪える――そして、吐息をついた。


「怖くない――というなら、嘘になります。奪った命に重さを、不意に思い出すときも、あります。ですけど……」


 空也はそう言いながら手を降ろし、視線を遠くに向ける。

 そこには、弓矢を構える真紅の姿があった。脇の飛鳥に指導してもらいながら、懸命に弓を引いている。そして、放たれた矢が、惜しくも的を外す。

 悔しそうにまた矢をつがえる真紅の、真剣な横顔を見ながら続けた。


「――真紅を失うことに比べたら……もう、ためらいはしません。それでも、その重さに震えますけど……やはり、この武術は業が深すぎますね」

「その恐れを、大事にして。クウヤ」

「――え?」


 振り返ると、ユーラは限りなく優しい目つきで、微笑んでいた。

 珍しく無表情を崩し、優しい笑顔を浮かべながら、手を伸ばして空也の頭を軽くぽんぽんと撫でる。そして、囁くような声で続ける。


「人を殺すことに、慣れては、いけない――いつまでも、人の命の重さを、知ること。そうすることで、貴方の拳は、大切な人の為に、しっかり振るえる」

「あ――はい」


 その言葉は、すんなりと胸に浸みる――どこか、その重さに怯えていたのが嘘のように、胸の中にしっくりと収まっていた。

 空也は少しだけ苦笑いをする。認めてくれるだけでこんなに楽なのか。


「――ユーラさんは、本当に姉さんみたいですね」

「ふふ、クウヤも、弟みたい」

「そうですか? 静馬さんは兄のように感じますけど。二人とも、頼り甲斐があります」

「ありがと……ん? シズマさんが、兄で、私が、姉。つまり――」


 何かに気づいたようにユーラはぼそぼそとつぶやき――不意に顔を背ける。

 その耳が、赤く染まっていることに気づき、空也は声をかける。


「大丈夫ですか?」

「ん――大丈夫。クウヤ、シンクの様子、見に行ったら?」

「そ、そうですか……熱中症には、気をつけて下さいね」

「ん」


 彼女は顔を背けたまま、水を飲み続ける。どうしたのだろうか。

 首を傾げながら立ち上がり、空也は草を踏み分けながら真紅の方に進む。

 草原から吹き渡る風が、心地いい。汗に濡れた肌を、心地よく乾かしてくれる。それに目を細めながら、空也は真紅の傍に行く。

 真剣な表情で深呼吸をした彼女は、ぐっと胸の前で弓を引き絞る。

 背筋を使い、しっかりと背筋を伸ばして、遠くの的を見つめ――放つ。

 空を裂いた矢は、真っ直ぐに的に飛び――的の真ん中に突き刺さった。


「――ん、基礎ができている分、申し分ない腕前ですね。真紅さん」

「いえ、飛鳥さんの御指導あっての賜物です。ありがとうございます」

「ふふ、いえ。経験があった様子ですね? 指導が楽でした」

「ええ、アーチェリー……洋弓を、少し」

「なるほど――なら、もっと勘を寄せれば、いい筋まで行けるでしょう」

「はい、もう少し――」

「その前に、休憩です――彼氏さんも、心配で見に来ていますよ」

「え? あ、空也くんっ!」


 飛鳥のお茶目な声に振り返った真紅は、空也を目にしてぱっと顔を輝かせる。ぱたぱたと子犬のように駆けてきて、胸の前に縋りついてくる。

 空也は苦笑いを浮かべ、呑みかけの水筒を頬に押し当ててやる。


「いるか? 飲みかけで悪いけど」

「ありがとっ、空也くんは稽古、いいの?」

「こっちも休憩だ。あと、他の騎士の人から、乗馬も教えてもらう予定」

「それはいい案ですね。真紅さん、私たちも次は乗馬をやりますか」

「はいっ」


 飛鳥と真紅は笑顔を交わし合う――二人も、仲がいい。

 昨日今日の付き合いなのに、飛鳥と真紅はとても親密になっていた。真紅の人の好さや人懐っこさもあるのだろうが――。

 少し、空也が複雑に思っていると、真紅はにこにこと笑みを浮かべて頬を突いてくる。


「――大丈夫だよ。一番は、空也くんだから」

「いや、何も言っていないぞ?」

「あはは、そうだったね。ふふっ」

「――ったく、真紅には適わないな」


 見透かされてしまう。長い付き合いで何でも分かってしまって――だからこそ、居心地がいい。何一つ、隠さなくていい気分になる。

 真紅の前では、全てをさらけ出していられるのだ。

 飛鳥はくすくすと笑いながら、自分も水筒を手に取りつつ言う。


「二人は、仲がいいですね。真紅さんから聞いてはいましたけど」

「飛鳥さん――真紅が、いろいろ世話になっているみたいで」

「いえ、いえ――お互い、困った人を好きになった者同士、分かり合えることも多いので」

「おい、真紅、勝手に人の話をしているな?」

「えへへ、ごめんなさい」

「ほとんどのろけ話でこっちがお腹いっぱいになります」

「そういう、飛鳥さんも、静馬さんののろけをぶちまけるんですから。こっちも羨ましいな、とか、二人の関係に妬けてきちゃったりします」

「あら、そうなんですか? 私としては、空也さんと真紅さんのこの関係性の方が――」


 二人はガールズトークに興じ始める――なんだか、姉妹や、先輩後輩みたいで。

 思わず空也はそれを笑いながら見守り、ふと思う。


(確か、静馬さんはアウラ様とお付き合いしているはず、だけど――)


 少なくとも、飛鳥とユーラは、静馬に対して好意を向けている。

 そして、彼はそれを自覚しているように見えた。距離感として。

 だが、二人に対して、彼はどのような折り合いをつけているのだろうか――? 少し、気になる点ではある。だが――。


(それを聞くのは、野暮かもしれないな)


 当人同士が納得しているのなら、それでケリがついているのなら――外野から口を出すのは野暮以外の何物でもない。

 苦笑いを一つ。飛鳥と真紅の会話を眺めていると――ふと、気配が近づいてくる。

 振り返ると、金色の髪を風に散らしながら、一人の女騎士が近寄ってきている。


(噂をすれば――か)


「これは、アウラ様――ご機嫌麗しゅう、でいいですか?」

「ええ、苦しゅうないわ、と返すわね。クウヤ」


 視線を交わし合い、アウラはくすりと笑みをこぼす。そして、その手に持っていたものを投げ渡してくる。空也は片手で掴み、それを確かめて苦笑いをする。

 それは、木刀――つまり。


「手合せですか? アウラ様」

「ええ、シズマに勝ったそうじゃない。クウヤ。その実力、試させてもらうわ」

「いや、そんな好戦的にならずとも……」

「だって、暇なんだもん。シズマから、出撃を許してもらえないし」

「んな、駄々っ子みたいに……」

「いいの。いいのです。言ってやります。シズマが構ってくれないなら、クウヤと浮気してやるもん。いずれにせよ、いい暇つぶしになるでしょうしっ」


 拗ねたような口ぶりで告げるアウラ。その言葉の通り、静馬は彼女の出撃を固く禁じていた。その姿はただでさえ目を引き、奇襲に向かないから、と。

 それはただの言い訳で、彼はアウラが傷つくのを心配していたようだったが。

 それで、静馬の姫様は、暇を持て余しているらしい。

 仕方ない、と軽く木刀を素振りしながら前に出ると、そっと真紅が腕を引っ張った。


「ね、空也――私がやろうか?」

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