第5話 二人で得た安寧 後編

「――私が、こっちに来たのは、二年前。こっちの世界に転生したの」


 泣きやんだ彼女は、空也の胸の中で静かに語り出す――泣き顔を見られたくないから、と胸に顔を押し付け、くぐもった声で彼女は訥々と語ってくれる。


「シンク・クルセイドは、もうすでにこの世界にいて――私の意識と、彼女の意識が溶け合う形で、私のものになった感じはあるの。そこから、シンクとしての生活が始まったの。初めは上手く溶け込むために、一生懸命だったの」

「――大変だっただろうな、文化も違うし」

「うん、だけど、お父さんとか――ああ、クルセイドのお父さんだけど、彼も親切に接してくれて、徐々に慣れてきて――それでお父さんの手伝いも始めたの」


 そこで、彼女はキグルス――そして、ソユーズの問題に直面することになる。

 文化の違いから迂闊な発言をしてしまい、民衆の顰蹙を買ったこともあった、という。それでも彼女は父親と一緒に、キグルスの食糧難に立ち向かった。


「ねえ、知っている? 空也くん。キグルスでは、お米は食べないんだよ?」

「――そう、なのか?」

「うん、なんか文化的に合わなくて、毛嫌いされているの。それを知らないで、私は『小麦がないなら、お米を食べればいいじゃない?』って言ってしまって」

「それだけ聞くと、マリー・アントワネットだな」

「多分、民衆の気分も、そんな感じだったと思うよ。この世間知らずが、みたいな」

「――そっか」


 頭を優しく撫でる。髪を梳くように撫でると、彼女は身を震わせた。

 触れると、分かる――彼女の髪が少し荒れている。丁寧に、手入れはしているようだけど――こちらの文化圏では、厳しいのかもしれない。


「ね、真紅」

「ん?」

「顔、見せてくれないかな」

「――いや」

「お願い。ゆっくり、顔も合わせていなかったから」

「――う、うう……」


 彼女はおずおずと空也の胸から顔を上げる――その前髪を指で掻き分け、その顔を見つめる。どこか幼さを残した輪郭の顔に、バランスの整った目鼻立ちは記憶通り、クラスメイトが羨んだものだ。

 ぱちくりと、くりくりした大きな瞳が不安げに揺れる。その目は、充血している――そっと頬に手を当てて、そこを撫でながら――やはり、と思う。

 彼女の身体ならよく知っているから、分かる。

 ほくろの位置まで同一で、真紅なのだと分かる一方で――。

 肌が少し荒れていて、目元に色濃い隈が浮かんでいて。

 この世界での、苦労が滲み出ているのだ。

 もう一度、ぎゅっと真紅の身体を抱き締め、その頭を撫でた。


「苦労したんだな――でも、もう大丈夫だ」

「ううう……ずるいよ、空也くん……何もかも、見透かしたように……」

「見透かしはできないけど……分かるよ。幼なじみだから」


 また震え出す真紅の身体を抱き締め、よっ、と掛け声をかけながら体勢を変える。

 真紅を膝の上に載せるようにし、しっかりと膝の上で座りやすい姿勢にさせる――これも、長い付き合いでどういう姿勢がいいか、分かっていた。

 そうやって向き合って抱きしめると――まるで、子供の頃に戻ったようだった。


「あ――これ……」

「昔も、こうやっていたよな」

「うん――空也くん……」


 震えた身体。ぽつり、と肩口に雫が落ちる――静かな涙を見ずに、そっと頭を撫でる。


「イリヤたちのこと――大変だったな。匿うの、苦労したんだろ?」

「あ――」

「それと、特産物に、黒色火薬を生産するのはやり過ぎだ――兵器になるぞ」

「あう、それは……」

「累進課税も、いいと思うが、改革を進め過ぎだ。急激な改革に何が起こるか――身を以て分かったんじゃないか?」

「うう……徳川吉宗将軍を尊敬します――」

「享保の改革な……よし、よし」

「ううう……やっぱり、空也くん、全部、見透かしてくるよぅ……」


 ぽろり、ぽろり――次第に、小袖の肩の部分が湿って重たくなってくる。

 それでも、ゆっくりと声をかけながら、彼女にいたわるように声をかける。

 この二年の空白を埋めるように、彼女に歩み寄るように――。


(僕と、真紅だけの距離感で――それから、歩き出せばいいのだから)


 しばらく、小さくささやくように言葉を交わし合ううちに。

 真紅は落ち着きを取り戻し、肩の湿り気も乾きつつあった。

 空也は少しだけ安心しながら、軽くそっと肩をなだめるように叩き――。

 ふと、気配を感じて視線を上げた。


「外――多分、静馬さんが来た」

「え、ほんと……? ちょっと待っていて」


 真紅は慌てて居住まいを正し、髪を整える。それが終わってから、空也は外に向かって声をかけた。


「――どうぞ」

「ああ、気づいてくれたか」


 天幕をくぐり、静馬が入ってくる。少し遠慮がちだったが、真紅の笑顔を見て少しだけ表情を緩める。


「もう、大丈夫そうだね」

「はい、おかげさまで」

「なら、良かった――二人も来て欲しい。もうじき、将軍が来る」

「将軍――? 静馬さんのボス、ってことですか?」

「まあ、そういうことになる――ああ、真紅さん、そんな固くならなくていいぞ?」


 言われて気づく。真紅の顔がこわばり、ぎゅっと空也の腕を抱き締めている。

 彼女は困ったように眉を寄せ、口を開いた。


「でも、静馬さんの上司、ということは――アウレリアーナ様ですよね」

「ああ、そうだが」

「――緊張しない方が、無理ですよ。あの人は、ただの将軍じゃない」

「ただの、将軍じゃない?」

「うん」


 真紅はひく、ひくと眉を動かす。肩に力が入っているときの癖だ。なだめるように手を握り返し、その目を見つめ返すと――彼女は固い声で言葉を紡いだ。


「アウレリアーナ様は――王国の次代を担う、王族の姫様なの」

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