第3話 真紅救出作戦 後編

「間に、合った……っ!」


 小さな身体を抱き締め、続けざまに後ろに跳びながら空也は荒く息をついた。

 直後、轟音を立てて、足場が崩れ始める。それを見ながら踵を返し、まだ火の回っていない方に駆ける――。


 突入のタイミングは、ギリギリだった。

 もう、火は屋敷をかなり呑み込んでいて――その業火の中で、真紅がその屋上に立っているのを見た瞬間は、肝が凍りつくかと思った。

 駆け出した空也に、静馬は合わせてくれた。阻もうとする民衆を、彼は一喝して怯ませ、その隙に燃える屋敷に飛び込み、駆けて、駆けて――。


「――追いついたよ、真紅」


 そう告げると、呆然と腕の中で見開かれた、目が焦点を結ぶ。

 唇が震え――目が潤み、真紅は小さな声で訊ねる。


「空也くん……?」

「ああ」

「空也くん……空也くんっ!」

「ああ、ああ」

「空也くん、空也くん、空也くん、空也くんっ!」

「ああ、ここにいる――もう、絶対に離さない……!」


 弾かれたように、彼女はぼろぼろと涙をこぼし、声を上げて泣き始める。その身体を抱き締め、軽く背中を叩いてやりながら――。


(さて、どうすっかな、退路が……)

「クウヤ!」


 不意に背後から声がする。そこには、ユーラが屋上の縁に手をかけてぶら下がっていた。その手に握られているのは、ロープ――。


「これで下に降りて。私も、すぐに行く。シズマさんは、すでに古井戸の近くで退路を、確保している」

「ありがとうございます。ユーラさん」

「――行ける? 私も、手伝おうか?」

「いえ――これは、僕しかできないことですから」


 真紅の身体をしっかりと抱きかかえる――いつしかのように、泣きじゃくる彼女は空也の首を腕で抱き締めて離さない。むしろ、好都合だ。

 空也はユーラからロープを受け取り、彼女を片手に抱きしめる。


「大丈夫――もう、絶対に離さない」

「空也くん、空也くん……!」

「約束だ。約束は、絶対に守る――」


 いつしかのように、彼女に言い聞かせながら、空也は中空に身を躍らせた。ロープをしっかりと掴まり、壁面に足をつきながらするすると降りていく。

 一階は、火が回り切っている。二階の壁面を蹴り、地面に跳ぶ――。

 軽やかまではいかないが、ずっしりと着地。そのまま、真紅の身体を抱きかかえ直す。

 視界の先では、静馬さんが一人で太刀を振るい、押し寄せる暴徒を食い止めていた。


「見ろ! 王国の騎士だ!」

「やはり、あの女、王国と通じていやがった!」

「売国奴め!」


「おおおおおおおおおおおお!」


 罵声を、咆吼が遮った。凄まじいほどの大音声が、びりびりと空を揺るがす。

 静馬から気迫が吹き荒れ、突風のように群衆を圧倒する――その瞬間に、彼は身を翻した。


「空也ッ! 古井戸の中だッ! 飛び込め!」

「了解ッ!」


 空也は真紅の身体を抱きかかえたまま、古井戸に躊躇なく身を閉じる。壁を蹴り、三角跳びを繰り返すようにして、井戸の底へ着地――。

 そこには横穴が開けている空洞――すぐさま、そこに飛び込み、駆けて行く。

 その後ろからユーラ、静馬と続く。静馬は振り返りざま、天井に太刀を突き刺した。

 一気に崩れる天井――入口を封鎖した彼は、そのまま叫んだ。


「脱出だ――急げッ!」


 通路の外は、城砦都市の外の林だった。ユーラが先導して這い出る。

 その後に空也が続く――感じる、気配。こちらに向かって来る者がいくつか。

 静馬も這い出るなり、感じたのか舌打ちをし、指笛を吹き鳴らした。

 直後、木立から馬蹄の音が鳴り響く。現れた、二頭の馬。一頭にユーラはひらりと飛び乗り、空也に手を差し伸べる。


「シンクさんを、こちらに!」

「ああ――すまない。真紅。少しだけ、ユーラさんと一緒に」

「う、うん……」


 寂しそうに首を抱き締めたのも一瞬。真紅は弱々しく地面に降りると、ユーラの手を掴む。彼女は真紅を馬上に引き上げると、馬腹を蹴って鋭く駆け出した。

 その横で、静馬も馬に飛び乗っている。差し出された手を、空也は掴んだ。


「はいやッ!」

「せいッ!」


 静馬とユーラが馬を目一杯駆けさせ、林から出る――振り返れば、少し向こうに見える城砦都市。そこから現れた騎馬隊が、こちらに向かって駆けてきている。

 静馬はちらりとそれを見て――笑みを一つ零した。


「どうにか、間に合ったか」

「――え?」

「正面だ」


 視線を前方に映す――その地平に見えたのは、騎馬隊。その先頭を駆ける女騎士は、見覚えのある黒髪の女性――飛鳥だ。彼女も静馬に気づき、手を挙げる。

 城砦から来た追手は、追撃の手を緩める――逃げ延びることができた。

 空也は思わず安堵の息をこぼすと、静馬は軽やかな笑みを浮かべて告げる。


「やったな。空也――助け出せたぞ」

「はい……はいっ!」


 遅れて喜びが胸から込み上げてくる。思わず、ぎゅっと静馬の腰に回した腕に力を込めると、彼は笑みを弾けさせ、振り返って空也の頭をくしゃくしゃに撫でた。

 その上空は、真っ青に晴れ渡ろうとしていた。

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