第2話 真紅救出作戦 中編

「侵入者だ! 出会え!」

「ちっ、気づかれた――!」


 ユーラが築いていた隠し通路の一つ。

 外を騎兵たちが攪乱している間に入り込んだが――さすがに、街の中で巡回の兵士たちに見つかった。向かって来る兵士たちを相手に、ユーラは舌打ちする。


「予想はして、いましたが、兵たちはもう、領主を見限り、住民に加担しています!」

「構うな! 斬り拓く! ユーラは後衛、左右は、ハンとリヒトに任せる!」


 静馬は吼えながら、腰から太刀をすっぱ抜く。その横に並ぶように、空也は滑るように駆けた。身を低くしながら――その手は、何も握っていない。

 深呼吸を、一つ。胸の底にある、覚悟を確かめる――。

 真紅の笑顔。それを思い浮かべ、空也は駆けながら指を折り曲げた。

 鉤爪のように、構える――その指先から、気迫が迸る!


「呼影流――徒手の構え〈斬指ざんし〉――」


 そう宣言しながら、静馬の前に出るように駆ける。

 その前から迫ってくるのは、五人の兵。剣を構え、次々と突き掛かっていく。

 その懐に飛び込み、空也はその兵の喉元に、指先を閃かせた。


 ずぶり、と何か生暖かい感触に指が包まれる。


 嫌悪感は、一瞬だけだった。それを振り捨て、兵の喉元を指で抉る――まるで、削ぎ落すかのように、指を振り払った。

 もう片方の手は、他の兵の喉を掴んでいる。それが撫でるように動き――。


 次の瞬間、二人の兵が喉から血を噴いて崩れ倒れた。


 目を見開き、喉を押さえながら転がる兵。何が起こったか、分からなかったはずだ。

 その血飛沫を浴びながら――空也は、止まらない。

 踏み込みと同時に、構えられた剣を払い除け、その胸に無造作に指先を突き刺す――鍛え上げられた、指先が、易々と肉を割る。

 胸を抉られ、血を吐く兵――瞬時に、その身体を盾にして構える。

 正面から放たれた矢が、次々とその兵の背に突き立っていった。

 矢が途切れる――その瞬間、飛び越すように静馬が駆けた。


「じぇあああああああああああああああ!」


 裂帛の気迫と共に、彼が刃を走らせる。気迫が吹き荒れ、怯んだ兵を一刀両断。

 返す刃で、踏み込む――防御する敵の守りごと、刃風が薙ぎ払われ、首が舞う。

 その切り込みを切り拓くように、他の騎士たちが突っ込んでいく。後ろから、死体を捨てた空也とユーラが続く――ユーラは、鮮血に染まった空也を見て目を見開く。


「クウヤ、その、技は――」

「呼影流の技です――本来、呼影流は、こういう武術です」


 真っ赤に染まった指先を血振りするように払いながら、空也は答える。

 呼び覚ますのは――古い記憶。真紅と共に、道場の秘伝書を読み取ったことだった。

 中学の頃、呼影流の起源を知るために、真紅と共に古い蔵の書庫に忍び込んだのだ。そこで知ったのは――おぞましい、呼影流の正体。

 江戸時代――宮仕えしていた、一人の忍びが編み出した、粛清の技。


「呼影流は――源流が、暗殺拳法なんですよ」


 時代を経て、その血染めの部分は封印され、奇襲や急所狙いの拳法――すなわち、非力な女性でも身を守れる、護身術として姿を変えていた。

 楊師範も、この武術は人を害するために使うな、と戒めていた。


(だけど、師匠――すみません)


 心の中で、空也は詫びながら駆ける。静馬と並びながら、血染めの双爪を構える。

 正面から三人の兵が槍を構えて突っ込んでくる――その穂先を見ながら、ぐっと空也は身体を沈み込ませた。獣のように、四つん這いで駆け、兵士たちの足元をすり抜ける。


 そのすり抜けざま、指先を一瞬でその足裏に走らせた。


「――ッ!?」


 兵士たちが訳も分からずその場で崩れ倒れる。足の腱を削ぎ取ったのだ。

 そこに、静馬の刃が、ユーラの刃が降り注ぎ、一瞬で絶命していく。この指先を、手を血で染めながら――空也は、駆けて行く。

 もう、躊躇はしない。どこまでも、この指先を染めていく――。


「大丈夫だ。空也」


 その隣から刃が走った。目の前の兵士を、股から頭蓋へ斬り上げる。

 真っ赤な鮮血を、身体中に浴びながら――静馬は、どこか物悲しそうな表情で笑った。


「一緒だ――大切な人を護る為に、共に汚れよう」

「――はいッ!」


 視界には、もう見えてきている。

 大きな屋敷と、そこから立ち上る、太い黒煙が――。


 もう、逃げ場はなかった、真紅は周りを囲う炎の中で咳き込み、目をつむる。

 熱い、苦しい、締め付けるみたいに、苦しい――あのときの、炎と同じだ。

 命を奪おうと、炎が包み込んでくる。

 民衆の声は、もう聞こえない。それだけが、今は救いだ。


(もう――終わり……)


 業火のうねりの中に包まれて、真紅は静かに今度こそ死んでしまう――。


 そう思った瞬間――不意に、聞きなれた声が聞こえた気がした。


「――あ……空也、くん……?」


 幻聴だ。そうに決まっている。

 だけど、ふと思い出してしまうと――彼の、笑顔が脳裏に浮かんだ。

 最後に見た、彼の泣きそうにくしゃくしゃに歪んだ顔も。

 何度も、名を呼んでくれた、あの愛おしい声も――。


『真紅ちゃん――大丈夫だよ。真紅ちゃん』

『僕が、傍にいてあげるから』

『約束だよ。絶対に――』


 彼は――両親の、葬式のあのとき。

 ずっと泣いていた真紅を抱き締めて、ずっと言い聞かせてくれた。

 何時間も、何日でも――ずっと、傍にいると約束してくれた。

 その優しい声を思い出した。思い出して、しまった。

 瞬間――不意に、大粒の涙がこぼれ出す。


(あ――ダメだ)


 蓋を開けたように、あふれてくるのは――彼と過ごした日々。


 一緒に過ごした、夏の日々。自由研究をして、宿題をして、遊んだ。

 秋の運動会。冬はこたつで一緒に温まって。初詣も一緒に行って。

 道場にも一緒に通い続けた。空也は剣術が下手でも、絶対にあきらめなかった。

 何日も居残りで特訓をして、真紅はそれをずっと傍で見守り続けた。

 いつも一緒の二人を笑う子もいたけど、彼は気にしなかった。


 彼は、どんなことがあっても約束を守り続けてくれた。


(空也くん……)


 中学にあがっても、彼は恥ずかしからずに一緒にいてくれた。

 同じ剣道部だった。真紅がマネージャーをして、空也と一緒に夜まで部活動。

 二年生で主将になった空也が、真紅にはどこか誇らしかった。

 勉強も一緒にした。真紅は理数が苦手で、空也は古文漢文が苦手。放課後の図書室で、一緒に勉強会をした。家でもお泊りで勉強して。


(空也くん……空也くん……!)


 高校生になって――今更ながらに、二人は付き合い始めた。

 空也が真っ赤になりながら告白した、高校二年生の秋。文化祭の後の、屋上だった。キャンプファイヤーを見下ろしながらしたキスは、嬉しくてしょっぱかった。

 一緒に青春時代を駆け抜けた。合宿、キャンプ、バーベキュー。いろいろした。


(空也くん、空也くん、空也くん、空也くんっ!)


 心の奥底から、気持ちがあふれて止まらない。想いが、次々とあふれでる。

 涙も止まらず、ぼろぼろと大粒の涙をこぼす。

 いやだ、死にたくない、会いたい、一目でいいから、会いたい――。


「空也くん――――っ!」


「真紅――――ッ!」


(――え?)

 思わず目を見開いた、瞬間――不意に、ぐらりと足元が崩れた。炎が噴き出し、真下から熱が一気に噴き上がる――。

 寸前、手がぐっと握られ、後ろに引っ張られる。

 抵抗できず、そのまま後ろに倒れ込み――逞しい腕が、受け止めた。


「――間に、合った……っ!」


 声が、届いた。待ちわびていた――聞けるはずのない、声。

 思わず、全ての感覚を疑う。だけど、それを晴らすようにぐっと強く真紅の身体を抱き締めた腕は、真紅の身体を抱き上げる――。


「――追いついたよ、真紅」


 そして――空也は、大好きな笑みを浮かべてそう言ってのけたのだ。

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