第三章 運命に打ち勝て

第1話 真紅救出作戦 前編

 翌朝――大平原を馬で駆ける、十人の姿があった。

 静馬、ユーラ、そして、空也。その三人を取り囲むように、七人の騎士が隊列を組んでいた。大平原に馬蹄を響かせ、その十騎は速やかに北上していく。

 ユーラの後ろで、馬にまたがる空也は、複雑な気持ちでその背に声をかけた。


「その――昨日は、申し訳ありませんでした。ユーラさん」

「あやまらなくて、いいのに。それに――シズマさんから、聞いた」


 彼女は小さな身体で振り返り、無表情――いや、目元に笑みを浮かべていた。

 その肩は軽く包帯を巻いて痛々しいが、気にした素振りもなく、彼女は軽く励ますように、空也の肩を叩いた。


「覚悟を、決めたなら――もう、私は、心配しない」

「――ありがとうございます。ヘマは、しません」

「ん、いい目。それなら、信じられる」


 彼女は口角を吊り上げてみせると、手綱を引き締め、前方に視線を移す。

 徐々に見えてくる、遠くの城壁――キグルスの、姿。

 真紅がいる、あの鳥かごのような都市。それを目指し、ユーラは手綱を握る。


「シンク・クルセイド救出作戦――開始」

「はい、よろしくお願いします」

「ん――無事に、上手く行けばいい――」


 そう言いかけたユーラの言葉が止まる。視線が、何かを捉えていた。

 一拍遅れて、空也と静馬も気づく。城砦の方から飛んでくる、一羽の鳥がいる。

 ユーラは腕を差し伸べる。鳥はそれに気づき、急転直下――彼女の元へと舞い降り、彼女の腕を止まり木にした。その足には、何か紙が括りつけられている。


(伝書鳩――?)


 鳩ではなく、猛禽類のような鳥だが――彼女は片手で巧みにその紙を外す。鳥は少しだけはばたくと、ユーラの肩に留まった。

 ユーラは片手で振るように紙を広げ、目を通し――顔を強張らせる。


「シズマさんっ!」

「動いたか」

「はいっ!」


 短いやり取りだった。それだけで、静馬は馬の肚を蹴り上げながら叫ぶ。


「エリカッ! 四人を連れて陽動に動け! その間に潜入する!」

「了解ッ!」


 一人の女騎士が素早く四人の騎士を連れ、先に駆けて行くそれを見届けながら、静馬は別の方向へと進路を取る。キグルスから少し、逸れた方向――。

 迂回、しているのだ。


「ど、どうしたんですか、ユーラさんッ!」

「落ち着いて、クウヤ――」


 彼女はそう言いながら、こくり、と喉を動かす。

 静馬の後を、加速して続きながら、彼女は続けた。


「暴徒が、暴走を始めて――屋敷に、焼き討ちが、かけられようとしているの――!」


(これは、きっと、罰だ――)


 シンク・クルセイド――水原真紅は、舞い上がる黒煙の中でそう思っていた。

 立派な屋敷は今や炎に包まれつつある。全てを呑み込むかのように、一階から徐々に炎が広がっている――やがて、彼女にいる屋上まで火が到達するだろう。


(ううん、それよりもきっと建物の倒壊の方が早いけど――)


 下から響き渡るのは、怒号や罵声――投げつけられる言葉の槍。

 屋上からはよく見える。民衆が、怒りに染まった顔でその感情をぶつけてくるのを。

 それを糧にするように、紅蓮の炎は勢いを増していく。流れてきた煙が目に染み、思わず顔を押さえる――咳き込む。

 それでも――これは、きっと受け止めなければいけない。


(本当なら、私は――あの炎の渦の中で、死ぬはずだったんだから)


 ショッピングモールの、火災。あの業火に巻かれて、死ぬはずだった――。

 いや、もしかしたらその前に、死ぬ運命にあったのかもしれない。

 それなのに、生き永らえて――余計なことをし続けた、罰――。

 空を見上げる――その空は、あの日みたいに、どんよりと濁りつつあった。


 曇天のその日――真紅が、空也の家に泊まっていたあの日。


 父さんと、母さんは死んだ。


 そのとき――真紅は、ただひたすらに泣きじゃくっていた。

 両親に二度会えない。その寂しさも、あった。それよりも――。

 もしかしたら、私も死んで――消えてしまうかもしれなかった。

 その、あり得た未来に、恐怖したのだった。


 二人は、祖父母の墓参りに行っていた。その道中の事故だった。

 対向車のトラックが突っ込んできて大破。炎上――その中で、二人は死んだ。

 本当ならば、そこに真紅がいた。一緒に、墓参りに行くはずだったのだ。


 だけど、真紅は駄々をこねた。


 幼なじみの少年――空也と、一緒にいたかったのだ。

 学校を休みたくない。道場を休みたくない。そう言いながら、一番は、空也と一緒にいたくて――その上、浅ましいことに空也の家にお泊りできることを期待したのだ。

 はたして、お父さんとお母さんは仕方なさそうに笑ってくれた。


『じゃあ、空也くんのお家に頼んでおくから――お行儀よくするのよ?』

『あんまり、夜遅くまで遊ぶんじゃないぞ?』


 それが、二人の最後の言葉――次に会ったのは、葬式の場だった。

 それが、信じられなかった。二人がいなくて、自分は生きている――。

 寂しくて、怖くて、寂しくて、怖くて、怖くて――。


(本当は――そこで私は、死んでいるはずだったんだ――)


 それなのに、生き永らえて――だから、生きて、生き続けた。

 少しでも、生きていた意味が欲しくて、頑張り続けた気がする。

 誰かに覚えていてほしくて、見ていてほしくて――。

 生きている、と認めてほしくて――だけど。


(本当は――私は、生きていたらいけなかったんだよね……)


 あのとき――真紅が死んだときも、炎に包みこまれた。

 やっぱりこうなるんだ、と半ばあきらめていた。真っ暗に包まれそうになって。

 だけど、そこで突然、白い光があふれて――手を引っ張った。

 それに触れた瞬間、どうしようもなく、また怖くなった。

 死にたくない。消えたくない――その思いで、白い光を握り返し。


 この世界で、真紅は、シンク・クルセイドとして生まれ変わっていた。


 そうして、真紅はシンクとして、この世界で生きようとしていた。

 人のために一生懸命、いろいろ動き回った。

 お人好しと言われても、独善と言われても――。

 ここで、生きていたいと感じたくて――また、頑張って――


(その結果が――)


 ぱち、ぱちと火の爆ぜる音に我に返れば、いつの間にか周りは黒煙に完全に閉ざされていた。炎が舐めるように噴き上がった。


 ――もう、逃げられない。

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