第8話 護迫の刃

 月明かりがぼんやりと大平原を照らす。涼しい風が、吹き抜けていた。

 中臣隊、野営地――その一角の芝に腰を降ろし、空也はぼんやりと平原を眺める。

 無事、帰還して報告が終わっていた。負傷したユーラは淡々と報告を済ませ、静馬は傷を気にする素振りも見せずに、そうか、ご苦労、と一つ頷くだけだった。

 二人は気にしていなかった。だけど――空也の心には重くのしかかる。

 静馬から休めと言われても――休む気になれない。

 あの、ユーラの苦しそうな顔が、脳裏から離れなかった。

 自分の拳を見つめ――深く、ため息をこぼす。

 ふと、背後から近づく気配に、思わず振り返った。


「やぁ、空也、こんなところにいたのか」


 静馬、だった。彼はゆっくりと草を踏みしめながら、空也の横で腰を降ろす。

 しばらく、黙って彼は風に身を委ね、ちらりと空也を見やった。


「――気にしているみたいだな。ユーラの負傷を」

「……気に、しますよ」

「空也を庇ったときの、傷だから?」

「いえ――僕の甘さが、彼女を傷つけてしまったから……」


 自分の拳を見つめて、もう一度、ため息をついた。

 あのとき、無意識に選んでいたのは拳闘――相手を、無力化する技だった。

 つまり――殺す勇気が、なかったのだ。


「僕が、しっかりと敵を殺せていれば――こんなことには、ならなかったのに」

「それに関しては、自分たちは織り込み済みだったけどな。力はあっても――心構えは、なっていなかったし」

「――そう、ですね……まざまざと、実感させられました」

「それを承知で、ユーラは同行を許した――その点における、キミの過失を問うつもりはないよ。むしろ言うなら、我々の自業自得だ」


 静馬はそこで言葉を一旦切ると、空也の顔を覗き込んだ。

 優しく問いかけるような、視線だった。それを見つめ返すと、彼は静かに訊ねる。


「――叱ってあげたら、楽になるのかもしれないけど……でも、空也にはここで考えて欲しかった。命を奪う意味を。命を奪う、覚悟を」

「命を、奪う、覚悟――」

「そう、身勝手な自分の理由で、相手の未来を奪う――その覚悟だ」


 彼はそう言いながら立ち上がり、腰から太刀を引き抜く。その刃が月光を受け、煌めく。それを彼はゆっくり正眼に構えた。

 その刃が、ぼんやりと光を放ち始める――月の、光ではない。

 どこか、気迫のこもった光に、目が奪われる。


「楊心流剣術――自分の剣術は、この刃を振るうときの心構えがある」

「心構え、ですか」

「楊心流は、護迫の刃――大切な人を護る為の、迫真の刃たれ」


 彼はその一言と共に、足元にある石を蹴り上げた。中空に舞う、石。

 それを見つめながら、彼はじり、と爪先に力を込める。瞬間、彼の身体から気迫が噴き出る。それが、彼の刃に集まり、妖しい光を放つ――。

 瞬間、彼は刃を振り抜いた――それは、空を裂くだけで、終わる、はずだった。


 だが、中空の石が、それに弾かれたように破裂して弾けた。


 細かく砕け散り、砂となって風に溶ける――その光景に、思わず目を見開く。

 静馬は残心の姿勢でいたが、やがてゆっくりと刃を振り、鞘に戻す。振り返った彼は、わずかに苦笑いを浮かべていた。


「今の技は、楊心流の絶技――〈炸迫刃さくはくじん〉だ。気迫を帯びた斬撃を飛ばす技でね」

「絶技――〈炸迫刃〉」

「ああ、これは手合せでは抜くことは、まず、ない。何故なら――大切な人を護る為にしか抜いてはいけない刃だから。そう、心に決めている」


 ふと、手合せのときを思い出す。静馬は、最後まで本気ではなかった。

 つまり、彼が本気を出す、ということはこの楊心流の絶技を放つ瞬間。

 大事な人を、護る為だけに、彼は刃を抜くのだ。

 静馬は振り返りながら、腰に差した別の太刀を抜く。それは、空也が出立の際に預けた刃だ。それを、彼は差し出しながら訊ねる。


「じゃあ、キミは何の為にこの刃を振るう――?」


 その問いが、胸に浸みこんでくる。差し出された刃を受け取り――思う。

 決まっている。そんなことは、この世界に来たときに決まっているのだ。

 真紅の為だけに――この刃を振るう。

 どんなことをしようと、彼女の助けになると――誓ったのだ。


「その想いがあるなら――刃を抜くことを、命を奪うことをためらうな」


 その想いを見透かしたように、静馬の声が降ってくる。

 彼の視線はどこまでも優しく――そして、どこまでも射抜くようだった。突きつけるような気迫が籠っている。だけど、もう、恐れはしなかった。

 堂々と見つめ返しながら、腰を上げる。

 肚に何か重石が載せられたように、落ち着いている。これが、覚悟か。


「――分かりました。静馬さん」

「――いい目だ。空也」


 不敵な笑みを浮かべた静馬。その羽織をひるがえしながら、彼は告げる。


「明日、十騎ほどの供回りを連れ、キグルスまで向かう――そこに共をしろ」

「それは、まさか――」

「ああ、ユーラから状況を聞いた。すぐにでも、救い出すべきだろう」


 いつもの、優しさを感じない。だが、限りなく頼もしい声。

 凛とした声で、彼は月光の下で――はっきりと告げた。


「明日、シンク・クルセイド救出作戦を開始する」

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