第7話 キグルスからの脱出
助ける――そうはっきりと断言したユーラの目つきは、どこまでも澄んでいた。
まるで、静馬にそっくりな――何者かを一途に信じるような瞳。
どうやら、肚に決めてくれたらしい――真紅を、信じることに。
イリヤもまた、その視線に気づき、こくり、と喉仏を動かして告げる。
「――約束だかんな、兄ちゃん、姉ちゃん」
「うん」
ユーラが軽く頷いた瞬間、扉が叩かれた。厨房の戸が開き、小さな子供が入り込んでくる。イリヤの傍に駆け寄ると、その耳に何かを囁いた。
イリヤの顔色が変わる。二人を見比べて早口に言った。
「兄ちゃん、姉ちゃん――なんだか、辺りにおかしな雰囲気の連中が、出てきているらしい」
「おかしな、雰囲気の?」
「ああ、なんか黒い民族衣装の……」
ユーラの手下だろうか? 視線をユーラに投げかけるが、彼女は首を振って緊張した面持ちで腰を上げる。
「もしかしたら、この辺で姿を眩ましたのが、バレたのかも」
「この辺を、念入りに探索している――まだ、詳しい場所は、分かっていない、と思うけど」
「ごめん、迷惑をかけた、イリヤ」
「気にすんな、あの隠し扉は、余程じゃないとバレないから。それより、兄ちゃんと姉ちゃんの方だな――こっちに来な」
イリヤは立ち上がると、厨房の奥へ小走りに駆けて行く。
棚を引く――そこには、掘られたばかりと見える穴があった。人一人通るのが、やっとのようだ。わずかに、ユーラは鼻を動かし、匂いを嗅ぐ。
「水の、匂い――」
「近くの水路に出る、隠し通路だ。ここから行けば、多分、連中を撒ける」
「――いいのか? ここがバレるかも……」
「バレたら――そのときは、そのときだよ」
イリヤは壁に寄りかかりながら、開き直ったようにふんと鼻を鳴らす。
その達観した表情は、年齢に合わず、大人びている――。
修羅場が、彼を大人にさせていったのだろう。
「俺たちはシンク姉ちゃんに拾われなかったら、死んでいた。その命を、返すだけだ。無論ただじゃ死ぬつもりはないけど」
「――必ず、助けに来る」
ユーラはそう断言すると、先導して抜け穴に潜った。空也は、イリヤの頭に手を置く。
軽くその頭を撫でると――イリヤは少しだけ懐かしそうに、目を細めた。
「よくシンク姉ちゃんも、こうやって頭を撫でてくれたよ」
「――そっか。絶対に、助けるから」
「ああ、シンク姉ちゃんを、頼んだぜ」
イリヤが、景気よく空也の腰を叩く。それに励まされるようにして――空也は、抜け穴に潜り込んだ。
四つん這いで、穴の中を進んでいく。
中は、真っ暗闇だ。ゆるやかな坂のようになっているようだが――。
ただ、進んでいく、進んでいく――。
視界が利かない状況。どれくらい、進んだのだろうか? どれくらい、中にいるのか。
暗闇の恐怖で押しつぶされそうになりながら、自分を励まし――。
不意に、視界の先に淡い光が感じ取れた。
差し込んでくる、黄昏色の光。それに向かって必死に這い進み、外に出る。出入り口を隠していた茂みから顔を出すと、そこは河原。
茂みの横で待っていたユーラが、小声で告げる。
「キグルスの外れ――ここからだと、抜け穴が近い」
「正面から、出ないのですか?」
「ん、この時間帯から、外に出ると怪しまれる――抜け穴を、使おう」
「了解しました」
二人は泥を落とし、何食わぬ顔で河原から道に上がり、歩いていく――。
その向こう側から、歩いてくる二人の兵士――わずかに、空也は身をこわばらせるが、安心させるようにユーラが肘に触れてくる。
二人は自然体で歩いて行き、兵士とすれ違う――。
瞬間、殺気が迸った。
振り返りざま、空也は袖から短刀を抜き、逆手で構え――その手に衝撃が走った。
刃が交錯する。ユーラは手元から飛針が走る――だが、もう一人の兵士がそれを遮り、指笛を吹き鳴らした。
「王国の密偵だ! 捕らえろ!」
「ちぃっ!」
空也とユーラは瞬時に視線を交わし、頷き合った。
短刀を二人で投擲。一瞬、相手の虚を衝いてから、振り返って駆け出す――先導するユーラにぴったりついて空也は駆ける。
目の前の路地から、三人が飛び出る。空也は、前に躍り出た。
突き出される刃をかい潜り、身を低く懐に飛び込む。そのまま、拳を三閃させた。
骨盤、膝、鳩尾――叩き込まれた衝撃で、兵士たちが呻きと共に崩れ倒れる。
ユーラはその間に駆け抜ける――その前に、立ちはだかっていく、兵たち。
(くそ、追手の速度が速い――バレていたのかッ?)
ユーラが手を一閃させる。それだけで無数の刃が宙を駆け、兵の身体に突き刺さる。
その攻撃を避け、三人の兵が槍と共に突っ込んでくる。空也は腕で槍を跳ね上げ、鳩尾に拳を叩き込む。その身体を盾に、横の男の顔面に肘を叩き込み――。
横の回り込んだ兵の足に足払い。崩れたところを、踵でトドメ。
ユーラは他の兵の首筋を短刀で引き裂き、一気に駆けて行く。
その先にあるのは茂み――そこが、抜け穴らしい。
「早く先に! クウヤ!」
「了、解!」
脇から襲ってくる兵の顔を殴り飛ばし、身体を捻りながら別の兵に蹴りを叩き込む。そこで振り返って、ユーラの元に駆け寄る。
瞬間、ユーラは微かに目を見開き、手を伸ばした。
空也の腕を掴み、引き寄せる――瞬間、何かが目の前を駆け抜けた。
振り返れば――空也が蹴り倒した男が、転がったまま、弓矢を構えている。瞬時に、ユーラは腕を振り抜き、短刀を投げ放った。
「急いで!」
「は、はい……!」
茂みに身体を押し込まれる。それの向こう側に隠されていたのは洞穴――人が立って動けるほど、大きい。そこへ駆け込み、向こう側へと駆けて行く。
ユーラも後ろに続き、駆け抜けながら振り返り、刃を放つ。
瞬間、後ろから崩落音が響き渡り、地面がひどく揺れ、体勢を崩しかける。
「急いで! 退路を、塞いだとはいえ、すぐに来る――!」
「分かり、ました……!」
息を乱しながら洞穴を駆ける。遠くに見える光に向かって駆け抜ける。外に出ると、平原が目に入った――城壁の、外だ。
遅れて、ユーラが出てくる――その姿を見て、言葉を失った。
その肩に矢が突き立っている。わずかに彼女は脂汗を浮かべ、苦しそうに眉を寄せていたが、すぐに空也の腕を掴んで駆け出す。
「馬が、近くにある――それで、すぐに陣に戻る」
「傷は――」
「今は、いい。毒も、塗っていない矢だから」
「――すみません」
「あやまらなくて、いい」
口からついて出てきた謝罪を、彼女は一蹴した。それでも――その肩で揺れる矢を見るたびに、ずきりと空也の胸が痛む――。
分かっていた。これが、甘さの招いた結果なのだと。
それが、空也の腹の中に、いつまでも重たくのしかかっていた。
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