第3話 酒場と食事と思い出と 前編

 酒場に入ると、喧騒に包まれた。

 木の内装の酒場――昔の、西部劇の酒場のようだ。テーブル席とカウンター席があり、テーブル席の若者たちが、笑い声をあげている。

 その中で、手を引くユーラは、空也を連れてカウンター席に座る。


「いらっしゃい。何を?」

「適当に食べるもの。あと、温かいジンジャーを二つ」

「あいよ。少し待ちな」


 髭面のマスターに、ユーラが硬貨を手渡すと、素っ気なく頷いた。カウンターから、木のジョッキを二人の前に置く――温かい、しょうがの香り。

 マスターはその後、厨房の方に引っ込んだ。それを見てから、ユーラはジンジャーをちびり、と一口飲みつつ、視線で飲むように促してくる。

 空也も一口飲む――じんわりと、胸から温まってくる。爽やかな、生姜の味だ。


「――貴方の世界に、これは、あった?」

「ありました、けど……こうやって飲むのは、あまり経験ないですね」


 日本には、しょうが湯があったが、あまり飲んだ経験はない。

 どちらかというと、ジンジャーエールの方がなじみ深い。

 真紅は、ジンジャーエールが好きだったっけ、と思い出しながら口にする。

 すると、わずかにユーラは目を細めてささやいた。


「――幼なじみのこと、考えている?」

「分かり、ましたか?」

「すごく大事そうな、目をしていた――もしかして、恋人……?」

「はい、隠すつもりはなかったんですが……なんとなく、あの子のことを恋人というのは、なんだかしっくりこなくて。どちらかというと、家族とか幼なじみとか――」

「――そっか。ずっと、傍にいたんだ」


 酒場だから、真紅の名前をなかなか出せない。隠しながら、二人は会話をする。

 ユーラはもう一口、ジンジャーを呑んでから――遠慮がちに、言う。


「もし、良かったら――二人の、話を聞かせて、くれる?」

「――面白い話でもないですよ?」

「食事が出るまで――折角だし、クウヤと――貴方の大事な人、のことを知りたい」


 それは、真っ直ぐな言葉だった。真紅や空也を疑っているのではなく――純粋に、知りたいという想いが、視線から伝わってくる。

 空也はジンジャーを一口。少しだけ視線を遠くに向けて、言葉を紡いだ。


「じゃあ――少しだけ。真紅と、出会ったころの話でも」


 水原真紅と出会ったのは、近所の公園だった。

 空也の家族は、そのとき、都会から引っ越してきて――そのとき、空也は探検気分で、住宅街に出ていた。親の目を盗んで家から出て、近くの公園に。

 その公園は、とても広かった。都会に住んでいた彼は、団地の裏の小さい公園しか知らなくて――近郊都市であるその街の公園は、とても広かった。

 だから――公園の中で、迷子になってしまったのだ。


『だいじょうぶ?』


 そんなとき、声を掛けてくれたのが、真紅だったのだ。

 その頃からお人好しだったのだろう、友達と遊んでいたのに、わざわざ迷子で泣きべその空也に声を掛けて――。


『わたしは、真紅っ、ねえ、キミは?』

『ボクは――空也……』

『空也くんだねっ、ふふっ、この公園広いよねえ』

『……うん』

『お家、一緒に探そうか?』

『……うん』


 そして、一緒に手を繋いで――空也の家を探し回ってくれた。いろんなところを歩き回って、いろいろと話しかけてくれて、見覚えのあるところを探してくれて――。

 そこに、空也を探し回っていた、両親が見つけてくれた。

 大慌ての両親に思わず涙腺が緩んだ空也の頭を撫でて――笑ってくれた真紅。

 その笑顔が、いつまでも眩しく目に映っていた。


 真紅の家は近所で――だから、幼稚園も必然的に同じだった。

 真紅は一歳上で、年長組。空也は年中組に編入した。馴染めない空也を、真紅は年中組の教室まで来て、一緒に遊んでくれて――。

 自然と、二人は一緒に行動するようになっていた。

 知り合いのいない空也の両親も、人のいい真紅の両親と交流を深め、家族ぐるみの付き合いになっていた。

 一緒の剣術道場に通って、やがて、一緒の小学校に通って――。


 いつもその頃は、手を繋いで一緒にいた気がする。

 それどころか、お泊まりも良くしていた――小学校の帰りの、その日もそうだった。

 その日は、雨がよく降っていたのを覚えている。小学校の帰りに二人で道場に行って、帰りも二人で並んで歩いていた。

 お母さんに買ってもらった、お気に入りの傘をくるくるさせた真紅。

 その真紅の両親は、出張で家を離れていた。だから、真紅は空也の家でお泊りだった。彼女はにこにこと嬉しそうに手を繋いで笑った。


『今日は一日中一緒だねっ! 空也くん!』

『楽しそうだね。真紅』

『だって空也くんと、ずっとに一緒にいられるんだもん! 空也くんは嬉しくないの?』

『――嬉しい、けど……』

『あはっ、良かった。ね、ずっと一緒にいよう? お風呂も、お布団も!』


 女の子と一緒にお風呂やお布団なんて、恥ずかしかった。

 だけど、真紅の上目遣いのお願いを聞いていると――ダメだった。なし崩し的に、空也は真紅のお願いを聞いてしまう。


『こんなお願いをするのは、お父さんとお母さんと、空也くんだけだよ』

『他の子には、しないの?』

『他の子は、意地悪なんだもん。空也くんみたいに、優しい子がいない』

『――ボクも、優しいとは思わないけど……』

『そうかな? ふふっ』


 その言動は、みんなからあざとく思われがちだった。特に――中学、高校に登ると、その見た目や容姿もあって、女子からいじめの対象になっていた。

 だけど、知っている――真紅は、あざとくなんかない。

 決まった人にしか、こういう甘えた一面は見せない、ってことを、このころの空也はすでに実感しつつあって――だからこそ、彼女に頼られるのがすごく嬉しかったのだ。

 照れくさくて、素直に言えなかったけど――本当はお泊りも。

 お風呂も、お布団も――どんなときでも、一緒にいられることが、すごく嬉しかった。


 そうやって、家に帰って家族と一緒にごはんを食べて。

 家族で一緒に、四人対戦ゲームで盛り上がって。

 マッサージしてくれ、というお父さんの上に二人でぴょんぴょん跳ね回り。

 一緒のお風呂に入って、背中の流し合いっこして。

 それで、お布団に入って夜遅く眠くなるまでずっと話していた。


「こんな日々が、いつまでも続くと思っていましたよ――本当に」

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