キグルスへの潜入

第1話 キグルスの隠れ家

 城砦都市、キグルスはその名に恥じない、重厚感のある街並みであった。

 立ち並ぶ街並みは、石造りの古式建築の建造物が立ち並んでおり、それらは歴史と趣を感じさせる。雪が降ることの多いその街は、目抜き通りに木が敷かれて滑り止めとしている。

 ソユーズ国外との取引の先端にもなるため、交易が盛んで活気のある街。

 ――であるはずだが……。


「――大分、閑散としていますね」

「当然。ウェルネスとは、交易が断絶、している状態。物資も、不足している」


 その目抜き通りを歩く、二人の男女――遊牧民を思わせる、伝統的な衣装をまとった、空也とユーラである。二人は城砦都市内に潜入、その都市内を偵察していた。

 ユーラは自然と空気に紛れ込み、するすると先導して歩いていく。その様子は、周りの街の人に溶け込んでいるが、空也はそこはかとなくぎこちない。


(しかし――本当に、寂しいな。この街は……)


 辺りを見渡す。目抜き通りであるはずの、その太い道の左右に立ち並んだ商店。そこに並んでいる品物は、明らかに少ない。

 また、店を開けている商店すら少なく――当然、行き交う人も少ない。

 どこか、息を殺しているような、死んだ街並み――。

 まるで、シャッターが多くなった、商店街のようだ。


「あまり、きょろきょろしない。浮く」

「あ、ごめんなさい、ユーラさん……」

「謝らなくて、いい。シズマさんの、頼みだから……弟くん」

「はは……はい、ユーラ姉さん」


 緊張をほぐすようなジョークに、空也は笑って答えた。

 二人は姉弟という設定で潜入している。

 ユーラは、無茶な頼みを聞いて――こうやって、空也を連れてきていた。


『頼む。ユーラ。空也を連れていってやってくれないか』


 彼女がキグルスに偵察へ戻る際――空也の同行をお願いしたのは、静馬だった。

 不服そうなユーラに、静馬は拝み倒しながら重ねて言う。


『彼が役に立つとは思わないが――彼の為にも、お願いしたい』

『シズマさんの、お願いなら、叶えたいですが……足手まとい、です』

『空也のあの剣技や立ち回りを見ても思うか』

『――多少は認め、ます。ですが、心構えが、なっていない』

『それは――そうだが』


 静馬は黙り込む。ユーラはため息をこぼし、空也の方を見やった。


『分かり、ました。では、クウヤさん。三つ約束を守れるなら、同行を許します』

『三つの、約束ですか?』

『一つ、邪魔をしない。二つ、勝手な行動をしない。三つ、私に従う』


 その声ははっきりと聞こえた。ユーラは真っ直ぐに空也の目を覗き込んで告げる。


『――約束、できますか?』


 その約束を守ると確約し――空也とユーラは、二人でキグルスを目指した。

 設定として、ソユーズの住民である姉と、長らく王国で出稼ぎしていた弟――つまり、二人は姉弟である、ということ。

 そういう設定をキグルスの門番に話し、正面から堂々と乗り込んでいた。


「――ありがとう、ございます。ユーラさん」

「ん?」

「謝るのがダメなら、お礼が筋かと」

「……ん、どういたしまして」


 彼女の表情は、相変わらずの無表情。

 少しは気持ちが伝わったのならいいが――。


(いや、きっと伝わっている、か)


 短い付き合いだが、それでも気配りができる人だと分かっていた。

 それに、何より――静馬が、信頼を寄せる人である。悪い人であるはずがない。

 そのまま、空也は付き従って進んでいくと――彼女は、途中の路地裏に入る。

 その路地裏は、誇りやゴミがたまった、薄汚れている――動物の死骸が転がっているのを見て、思わず吐き気を催す。

 道端に積んだ、木箱。その脇を見て、ぎょっとなる。

 そこにあったボロ布の塊――に見えたのは、人間だった。泥で汚れ、ぼろぼろになりながら、木箱に寄りかかっている。生きているのかどうか、分からない。


(こんな街で、真紅は暮らしているのか……)


 スラム、という単語が頭に浮かんだ。

 ユーラはそれらをきっぱり無視し、道を曲がって進み――とある建物の前で止まる。小さな石造りの家だ。薄汚れていて、扉の横には木箱が積まれている。

 彼女はその扉を軽く三度叩く。しばらくして、扉が小さく開いた。

 顔を覗かせたのは、黒装束の女性だ。いぶかしげに、空也を見やる。


「おかえりなさいませ。ユーラ様。その方は……?」

「シズマさんから、預かった、客人……私が、面倒を見る」

「――かしこまりました。では、中に」


 女性に招かれ、ユーラは中に入る。空也もそれに続く――中は、清潔に磨かれた床と壁が目に入る。埃を落としながら、彼女は小さく告げた。


「ここが、隠れ家。万が一、何かあればここに」

「分かりました」


 二人は玄関から中に入り、一室に入る。空也は入った瞬間、目を見開いた。

 その部屋の壁には、至る所に紙がびっしりと貼られている。地図や短い書き殴り、似顔絵なども複数ある。それらにユーラは慣れた様子で目を通す。

 そして、机の上の書類を何枚か確認して、一つ頷いた。


「まだ、暴動には踏み切って、いない――さすがに、シンク・クルセイド、賢い」

「どういう、ことですか?」

「上手い時間稼ぎをしている、ということ。前もって、できるだけ時間を稼ぐよう、密書の取引の際に、お願いしておいた」


 ぽつぽつと彼女は言いながら、壁に貼られたメモに目を通していく。

 指先で一つ一つ押さえ、しばらく考え込んでいる。その背に、空也は遠慮がちに声をかける。


「あの、真紅の元に、僕が行くのは――」

「ごめん、なさい……それは、できない。何故なら、私たちももう、無理だから」


 彼女は背を向けたまま、そう告げた。

 その足が、別の壁に向かう。そこにあるのは、地図――。

 大きな円に囲まれ、蜘蛛の巣のような線が走っている。城壁に囲まれた、道のようだ。

 つまりこれは――キグルスの、街の地図。

 その一番、中心――大きな建物を指差した。


「この中央の大きいものが、屋敷――だけど、その周りはすでに民衆に囲まれている。隙は、もうすでにない。一触即発の事態にまでなっているから」

「そう、です、か……それは――」

「だから、私たちが行うべきなのは、情報収集」


 彼女の指が、指揮棒のように揺れる。その指先には、いつの間にか木炭が握られていた。

 素早く、数か所に黒い丸印がつけられていく。


「この数か所は、シンク・クルセイドが携わった場所」

「たずわった――?」

「つまり……散財を、繰り返した、場所」


 人知れず、空也は拳を握りしめる。だが、ユーラはそれに構わずに言葉を続ける。


「貴方はシンクを知っている、という。だけど、私たちは、シンクを知らない。だからこそ私たちは、彼女が、何の目的で行動するか――その真意を、確かめなければ」

「――分かり、ました」

「ん、そして、貴方はそれに、同行して――意見を、聞かせて」

「意見?」

「これが、本当に貴方の信じる、シンクが行うことなのか。どういう意図で、行ったと思うのか。なんでも、いい。細かいことでも、いいから」


 その言葉は、はっきりと響き渡った。彼女はそう言いながら、壁の地図に触れる。

 そして、その手を横にスライドさせると――がらり、と壁が動いた。その後ろから見えるのは、ナイフやワイヤー、針――暗器と呼ばれる数々だ。武器倉庫になっているらしい。

 その短刀をいくつか選んで取りながら、ユーラは振り返った。


「護身用――貴方も、持つ?」

「……では、いくつか」


 その隣に並んで、手頃なナイフを手に取る。太刀は、静馬に預けている。

 街の潜入には、怪しまれないように、丸腰である必要がったからだ。

 ゆったりとした伝統衣装なので、そこに隠すように短刀を二本、腰にぶら下げる。それとは別に袖の下――手首の下あたりに、リストバンドをつけ、短刀を忍ばせる。


「随分、馴れて、いるみたい」

「僕の流派――呼影流は、不意打ちの武術です。短刀術なんかも教わっているので」

「ん……あの、猫だましも?」

「ええ、あれは〈空突〉という技です」


 ユーラと刃を交えた際、決め手となった技。

 あれは、猫だましというほど、シンプルではない。

 相手の意識を逸らし、その意識外から予想外の衝撃を加えることで成立する。

 そのことを説明しながら、軽く再現してみせる。


「こう、刃を構えて向き合う――気迫がせめぎ合っている、緊迫した状況で」


 空也はユーラと向き合い、刃を突き合わせる。その中で、彼は不意に前に短刀を突き出しながら――掌から、刃をこぼす。

 落ちる刃に、ユーラが一瞬、目を引かれる。その一瞬に、目の前で、指を弾いた。

 びくり、と彼女は身を震わせ――目を見開いた。


「あ、なるほど……そういう、仕組み……」

「タイミングを見計らうには、大分、修練がいります。ですが、ユーラさんやシズマさんなら、上手くできるのではないのでしょうか?」

「ん、参考になる――終わったら、他の技も、教えてくれる?」

「ええ、差し障りのない範囲でよろしければ」


 空也が約束すると、ユーラは少しだけ目元を綻ばせた。

 だが、それも束の間。彼女は短刀を拾い上げ、空也に返すと、彼女は表情を引き締めて告げた。


「じゃあ――行こう。クウヤ」

「はい、行きましょう。情報収集に」

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