第7話 剣士と密偵

「すみません、取り乱しました……」

「無理もありません――もう、大丈夫ですか?」

「ありがとうございます。飛鳥さん」


 空也が一段落落ち着いたのを見計らい、飛鳥が茶を出してくれる。

 渋みの強いお茶――今は、それがありがたい。空也はそれを口にして、身体を温めていると、静馬もお茶を口に運びながら書簡に視線を走らせる。


「今、シンク殿とは、我々の密偵を介して連絡を密に取っている。中の情勢は芳しくなく、領主を糾弾する声が上がっている――実際、都市内ではデモ運動が起きているらしい」

「――真紅が悪徳令嬢だなんて、にわかには信じられませんが……」

「密偵の告げた情報だと、あながち間違いではないらしい。市民の税を上げ、その金で建物を建てている。都市の商会の有力者に金――賄賂を贈っている、など」


 ぐっと拳を握りしめる――その肩に小さく手が置かれる。飛鳥がなだめるように優しく微笑みながら、励ますように告げる。


「貴方は、貴方の信じる真紅さんを信じればいいのです――疑うような、嫌われ仕事は私たちがやります」

「そうだ。客観的情報を統合する必要があるし――軍人の立ち位置で言わせてもらえば、シンク殿が悪徳令嬢であろうがなかろうが、連絡を取る以上は、我々の味方。保護の対象にあたる。彼女の風当たりが強い今、すぐにでも助けに行きたいが――」

「やはり、伝手は必要ですね」

「あいつの力が必要だ――うん?」


 わずかに、静馬が眉を吊り上げる。遅れて空也も気づいて振り返る――天幕の外で、聞き耳を立てている気配がある。思わず腰を上げ、刀に手をかける――。

 飛鳥が柳のような眉を吊り上げ、短刀を懐から抜く。

 静馬は膝を立てながら、一瞬考え込むように顎を撫で、ちらりと空也を見た。

 外を指差す。空也は頷き、鍔を鳴らし――。


 瞬間、踏み込みざま、居合で天幕を引き裂いた。


 外にいる、小さな人影――それが弾かれたような、跳んで引き下がる。その手から何かが放たれる。空也は瞬時に太刀でそれを叩き落とす。

 地面に零れ落ちる、短刀の数々――捌き切ると、一瞬で踏み込む。

 闇の紛れるような、黒装束。目深にフードを被り、風貌すら分からない。だが――。


(間違いなく、騎士ではないな……!)


 黒装束の着地ぎわを刈り取る、下段から斬り上げ。それを人影は短刀で受け止め、傾けて逸らす――だが、その刃の先端がフードを捉えた。

 小柄な少女の顔が、明らかになる――殺気を孕んだ目が、鋭く睨みつけ。

 その口から何かが鋭く吐き出された。

(飛針――!)


「ぐっ!」


 思わず顔を背けて躱す――それが、大きな隙だ。少女が踏み込むと同時に、鳩尾に肘を打ち込む。抉られるような衝撃に、空也が後ずさる。

 その瞬間に、少女の両手が翻る。その手に一瞬にして、握られる短刀――。

 対する空也は、体勢も呼吸も乱れている。回避は、不可能――。


(なら――ッ!)


 空也は手首を返し、太刀を投げた。目を見開きながらも、黒装束はそれを弾く――その瞬間に、空也は距離を詰めていた。

 両手は空。それを一気に突き出し、黒装束の目の前で――。


 鋭く、柏手を弾いた。


「――ッ!」


 凄まじい破裂音に、黒装束は虚を衝かれた。思考が真っ白になり、動きが一瞬だけ止まる。

 だが、空也の動きは止まらない。その喉仏を潰すように、拳が動き――。


「そこまでだッ!」


 叩きつけるような声に、ぴたりと空也が動きを止めた。喉仏の直前で手が止まり――黒装束の少女は、よろ、よろと三歩後ろに下がって。

 へたれ込みそうになるのを、傍に寄った静馬が肩を抱いて支える。


「――大丈夫か。ユーラ」

「は、い……」

「えっと……静馬さん?」

「すまん、二人を少し試させてもらった――紹介しよう」


 静馬は黒装束の少女の傍に寄り添い、支えながら告げた。


「彼女が、ユーラ――私たちの密偵だよ」


 密偵、ユーラ――気配を消し、柔軟な動きでさまざまなところに潜入。変装なども得意とし、王国語、帝国語といった多様な言語を各地の訛りで話せる。

 基本的に無表情で、どこか捉えどころのない、茫洋とした顔つきをしている。

 どこにでも溶け込め、情報を掴んで、主の元に舞い戻る――敏腕な、密偵だ。

 その彼女は、空也の目の前で頭を下げていた。


「すみ、ません――盗み聞きなど、無粋な真似を……」

「い、いえ、こちらこそ本気で斬りかかってしまって――」


 空也も慌てて頭を下げ返す。明らかに、手心を加えない立ち回りだった。

 容赦ない動き――下手をすれば、二人とも大怪我になりかねなかったのである。

 静馬は苦笑い交じりに手を挙げて、制した。


「二人とも、そこまでだ。謝り合ってもキリがない――知っていて、空也を焚きつけた私に一番、原因があるのだから」

「そう、です……シズマさんは、私の気配を、一番知っているはずなのに」


 ユーラは静馬ににじり寄る。その表情が、わずかに不服そうに、拗ねているように見えて――だが、一瞬で彼女は無表情に戻ると、空也の方をちらりと見た。


「ですが、シズマさん、クウヤさんは気づいた、のですか?」

「ああ、飛鳥ですら気づけなかった、ユーラの気配に気づいた。むしろ――」

「むしろ?」

「――いいや、思い過ごしだ。気にするな」


 静馬は意味ありげに空也を見たようにも見えたが、すぐに咳払いをする。

 その場の空気が、引き締まる――飛鳥、ユーラ、空也は思わず背筋を伸ばすと、静馬は視線をユーラに投げかけて訊ねた。


「ユーラ。報告を。空也も一緒に聞いてくれ」

「分かりました」

「では、報告、致します」


 彼女は、小さな声で囁くように告げる。

 途切れ途切れで――だけど、不思議とよく聞こえる声で、彼女は小さく話し始める。


「キグルスは今――いつ、暴動が起きても、おかしくはない、状態です」


 城砦都市、キグルス。

 ソユーズ連邦の最南端にある、城壁に囲まれた都市であり、防衛の要とされる。東西に並んで存在する、二つの城砦都市と連携している。

 本来は、その南にあった民族たちとも連携していたが、そこはウェルネスに併合された。その経緯もあり、ウェルネスに対しては強い敵対心を抱いている。

 だが――そうも言っていられない状態が、城砦内では続いていた。


「食料が、あまりに足りて、いないのです」

「――ふむ、なるほど、ソユーズ国内全体で、食料が不足しているのだな?」

「はい、です。最南端には、食料があまり回って来ません。住民の不平が、溜まっているのです――」


 静馬とユーラが確認し合う中で、飛鳥が横で補足してくれるには――。

 ソユーズという国は、遊牧民族たちの連合。元々、農作技術は得意ではなく、その上、ソユーズ内は山岳ばかりで、農作に適していない。

 昨年の冷害のせいで、農作物は不足――戦で、家畜も使われ、貧困に陥っている。

 そして、その不満の矢面に立たされるのは――。


「シンク・クルセイド――領主の娘か」

「はい、領主本人は連邦首都に、向かっています。食料を工面する、様子です。そのまま、一年間、戻って来ません」

「で、領主は何をやっているのだ、と不満の声が持ち上がる――ま、道理だな」

「その中で、シンクは――」


 そこでユーラは口を噤むと、ちらりと空也を見やる。

 すでに、空也と真紅との関係性は、ユーラに告げてある。それで、何かためらう、ということは――。

 空也は覚悟を決め、頷くと、彼女ははっきりと告げた。


「シンクは、散財を繰り返し、鉱物を買い求める。あるいは、土地を接収する、など――住民を刺激するようなことを行っています」

「真紅が、そんなこと――いえ、すみません」

「構わない。キミの意見も重要だ――だが、今はユーラの報告だ」


 思わず遮ってしまった空也をなだめるように、静馬は軽く肩を叩き、視線をユーラに再度向ける。彼女は無表情のまま――心なしかつらそうに、告げる。


「散財、住民を顧みない、常識知らずの言動――それらが、住民たちの感情を逆なで、暴動寸前までに、向かっています。あの、悪徳令嬢を焼き討て、という声も」

「なるほど――そこまででいい。詳しい内容は、報告書にまとめてくれるか?」

「かしこまり、ました――」


 そこで報告を打ち切った静馬は、しばらく考え込む。その一方で、空也は唇をかみしめていた。ユーラの報告がとても信じられない。

(真紅が――悪徳令嬢だなんて……何かの、間違いだ……)

 全力で、否定したい。そんなことはないと叫びたい。

 だけど――静馬が信頼するのは、明らかにユーラの方だ。空也が何を喚こうが、それはここでは取るに足らない戯言になってしまう――。


「――信じられない、という顔だな。なら――」


 静馬の声に顔を上げる。彼は悪戯っぽく笑みを浮かべて、それを提案した。


「キグルスに、行ってみるか?」

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