第6話 彼女の居場所は 後編
(え、真紅が――?)
空也は、静馬から言われたことが理解できなかった。
呆けていたが我に返ると――その言葉を確認するように繰り返す。
「え――領主の娘? しかも、領民の不平?」
「ああ――怒らずに聞いて欲しい。領民から税を搾取し、私利私欲のまま、その金を使う。安く作ったものを、高く売りさばいて暴利をむさぼる――通称、悪徳令嬢だ」
「な――ッ!」
思わず我を忘れて立ち上がりかけ――静馬の目を見た瞬間、それをぐっと堪える。浮かしかけた腰を降ろし、深く息を吸い込んでからゆっくりと静馬に聞き返す。
「人違いの可能性は?」
「もちろん、あり得る。だが、名前を聞く限り、そうだろう」
「その人の名前は、シンク・クルセイド――姓こそ違えど、東方風の名です。正しい可能性も、間違っている可能性はあり得ます。ですが……」
不意に、飛鳥の視線が険しくなる。疑うような視線――突き刺すような冷たさに、空也は思わず戸惑いの視線を返す。
すぐに気づき、静馬は制すように手を掲げた。
「飛鳥、止せ。間者の可能性を疑うのも分かるが――空也は、違う」
「根拠は、あるのですか?」
「ない。だが、刃を合わせた。自分から見れば、それだけで十分な根拠だ」
「――分かり、ました。静馬様を信じます」
すっと引き下がる飛鳥。余程、静馬のことを信頼しているのだろう。
一方の静馬は、やれやれと首を振りながら、すまない、と謝罪の言葉を口にした。
「疑うつもりはないんだ。繰り返すようだが、嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつくはずだし――キミの太刀筋は、乱れがなかった。とても、人を騙す刃ではない」
「ありがとう、ございます……」
「礼には及ばない。それよりも――経緯を話そう。飛鳥は……一旦、あれを持ってきてくれるか?」
「――分かりました」
飛鳥が腰を上げ、天幕から出て行く。それを見送ってから、静馬は咳払いし、二人の間にある地図の一点を指し示す。
「まず、シンク・クルセイドが所属する自治体だが――ウェルネスの北方の国、ソユーズ民族連合――通称、ソユーズ連邦の一角だ」
「ウェルネスとの国境付近ですね……」
「ああ、隣接しているといっても過言ではない。そこの城砦都市、キグルスがシンク・クルセイドの統治する都市だ。他の都市と機能を補完し合い、運営している――その、キグルスから王国に向けて、ある密書が届いたんだ」
密書。不穏な言葉に、思わず眉を寄せる空也。
静馬はそれを認めるように、一つ頷いた。
「曰く、キグルスは財が尽き、困窮している。民草を救うために、ウェルネス王国に助力を願いたい――ということだ」
「それは、純粋に支援要請では?」
「はは……まあ、そう捉えられもするが――実際、そんな隙を見せれば、国が侵略される。だからこそ、自分たちがここにいるのだから」
つまり、その密書に付け込んで、一気にキグルスを制圧するつもりなのだろうか。
空也が思わず眉を吊り上げると、静馬は苦笑い交じりに頷く。
「弁解はしないでおく――ただ、手荒な真似はしたくない、というのも事実だ」
「――静馬さんは、優しい方だから、そう思いたいですけど……」
「ありがとう。でも、自分も大切な人を守るためならば、容赦なく刃を抜く」
彼は剣呑な気配を漂わせながら、はっきりと告げる。その瞳は、騎士のものだ。
「とにかく、シンク・クルセイドは助力を乞うてきた。だが、ハイ援助、とすんなり行くわけではない――特に、ソユーズ連邦の場合だと、猶更だ」
「どういうこと、ですか?」
「キグルスがソユーズの仲間にではなく、ウェルネスに助力を求めた――それが明らかになれば、ソユーズの民から見れば、キグルスは国土を売る、売国奴に見える。そして、それを容認したウェルネス王国は、ソユーズに喧嘩を売るようなものだ」
「――それは……そう、なってしまうのですか?」
「当事者たちがどう思おうが、あるいは、全て善意で行動しようとも、周りの人間の味方次第で、それの善悪がひっくり返ってしまうのだよ」
その言葉に、空也は思わず黙り込んでしまう。
それは――現代日本で痛感していることもあった。たとえ、善意で行動していても、心ない人間の言葉で、容易く事実関係が捻じ曲がってしまうのだ。
真紅は、現代日本で、お人好しに接していた。
委員会なども率先して所属し、教室のゴミ捨ては自分から行った。嫌がることを率先し、先生の手伝いなどもする――。
だが、それに対するクラスメイトの声はひどく冷たかった。
『見て、水原さん、またゴミ捨てしている……そんなにゴミが好きなのかしら』
『先生に笑顔を振りまいているぜ。内申点目当てかよ』
『あの、媚び媚びの笑顔――見ていて、気持ち悪い――』
いつも聞いていて、胸糞が悪かった。怒鳴ってやろうかと思った。
だけど、殺気立つ空也に対して、真紅はいつも穏やかに笑ってささやいていた。
『ダメだよ。空也くん――私は、大丈夫だから』
(結果的に、大丈夫じゃなくなって――死んでしまって)
そして、またこの世界でもまた――。
ぐっと空也は拳を握りしめる。その彼に、静馬は穏やかに声をかける。
「いずれにせよ、自分たちはキグルスの人々を助ける為に来ている。それだけは、間違いないんだ。シンク・クルセイドも、無事に救い出す予定だ」
「ありがとう、ございます」
「ああ、どういたしまして」
今度の言葉を、静馬は否定をしなかった。ただ、礼を受け止め、穏やかに笑う。
天幕が揺れる――飛鳥が、何かを手に戻ってきた。静馬はそれを受け取り、開いて目を通してから、そっと空也に差し出す。
「シンク・クルセイド直筆の、書簡だ――確かめてみてくれ」
「あ――」
受け取り、それを恐る恐る開く――。
文字が、目に飛び込んできた。見慣れた――懐かしい、文字。
一文字一文字の、癖から分かる。これは……。
「真紅……真紅、だ……っ」
思わず、目が熱くなった。ぼろ、ぼろと零れ落ち、書簡が濡れそうになる。そっと横から伸びた手が、目元を抑えてくれた。
「空也さん――これで、涙を」
「はい……はい……っ!」
飛鳥の声に何とか頷き、手紙を返して布で目を押さえる。それでも、網膜にあの優しい文字が焼き付いていて――込み上げるままに、ぼろ、ぼろと涙が零れ落ちる。
生きている――生きていてくれた。それが、嬉しくて、嬉しくて――。
「――どうだ? 飛鳥。これでも、疑うのか?」
「……いえ、そんな無粋なことするはずないじゃないですか」
涙を流し、嗚咽を漏らす空也を見つめ、静馬と飛鳥は言葉を交わし合う。ひっそりと聞こえないように、囁き合い――その飛鳥の目元がわずかに赤い。
くすり、と静馬は笑って訊ねる。
「もらい泣きか? 飛鳥」
「――考えてみてください。静馬兄さん。死んで、もう会えないと思った人が――生きていたんですよ。二年ぶりに、その人の痕跡に、出会えた――」
「確かに、それは――うん、嬉しいかな」
「嬉しいどころではないですよ……泣くほど、嬉しいに決まっています」
「ん、そうか」
ぽん、と静馬は飛鳥の頭を撫でる。彼女は軽く目を上げ――少しだけ微笑むと、こつん、と肩に頭を預ける。
「静馬兄さん、私は傍にいますよ」
「ありがとう――失くさないように、手を離さないようにする」
「はい――よろしくお願いしますね」
二人の確かな信頼を感じさせるやり取り――その視線は、温かく目の前の青年を見守っていた。
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