第2話 野営地でのひととき
「――待たせたな。空也」
静馬の声に、空也は顔を上げる。テントの中に戻ってきた静馬の姿を見て、少しだけ安心する――何も分からないまま、そこに待たされていたのだ。
彼は苦笑い交じりに、その場で腰を降ろす――もう、甲冑は脱いで、着物姿に彼はなっていた。見慣れた――だけど、どこか江戸時代を彷彿させる服装だ。
「部下たちに連絡と報告を回していた。これでも、一部隊の隊長でね」
「助けていただいて、ありがとうございます。静馬さん」
「いいや、これも騎士団の務めだ。気にすることはないよ。さて――」
静馬はすっと目を細める。気迫を帯びた視線に思わず空也の背筋が伸びる。
彼の視線が、空也の身体を上から下まで眺め回し――口を開く。
「さて、空也……カグヤという国に、聞き覚えは?」
「ない、です……」
「ウェルネス、ハルバート、これらの国は?」
「それも、全く――ここじゃない場所から、来まして」
「どういうことか、聞いても良いか?」
わずかに、ためらう。異世界から来た、といって信じてくれるだろうか?
だが、今はこの静馬以外に、空也が頼れる人はいない。
空也はぐっと唇を引き絞り、覚悟を決める。わずかに、静馬は苦笑いした。
「いや、そんなに無理して聞きたいわけではないよ。事情があるなら――」
「いいえ、聞いて下さい――実は……」
空也は説明する。自分が日本という国から来たということ。
どこかにいる、幼なじみの女の子を探すために、放浪していたこと。
何も分からなかったために、盗賊に絡まれてしまったこと――。
それらを、静馬はわずかに目を見開きながらも、しっかりと最後まで聞いてくれた。
「――驚いたな。異世界……いや、そんな話は聞かないわけでもないんだ。ただ、お伽話の部類で、実際にお目にかかるとなると……」
「信じて、いただけませんか?」
「いや、信じるよ。騙そうとするなら、もっとマシな嘘をつく。キミの性根は分からないが今のところ、信じるに足る人物だと思うよ」
そう語る青年は、自信に満ちていて、信念を感じさせる口調だった。
精悍でイケメンな顔だが――何より、瞳が眩しいと思えるほど、強い眼光を帯びているのだ。思わずそれに気圧されていると、彼は笑ってみせる。
「ひとまず、キミの身柄は、私が預かろう。衣食住は、心配しなくていい。ただ、任務が終わるまで、安全な場所には向かえない――それだけは、了承してくれ。もちろん、その幼なじみの子を助けるのに、協力は惜しまない」
「ありがとう、ございます……」
「言っただろう。騎士団の務めだし……何より、私の大切な人なら、手を差し伸べる」
そう言った彼は、とても愛おしそうに目を細める――優しさが、たまらず零れ落ちたみたいに、そっと胸に手を当てる。
その気持ちが……空也には、よく分かった。
何故なら――彼も、真紅を想うとき、そういう気持ちになるのだから。
ふと、静馬は我に返ったように咳払いし、照れくさそうに笑い返す。
「すまん、柄でもないことを言った」
「いえ――その、大切な人が、本当に大切なんですね」
「ああ、大事だ。命を賭しても、惜しくないほどに」
彼はそう言い切ると、立ち上がりながら、空也に手を差し伸べた。
思わずそれを見つめ返すと、彼は笑みを浮かべて言う。
「少し、出よう――野営地の中を、案内する」
野営地は広い大草原の中に構えた、まるでキャンプ場のような場所だった。
テントが張られており、その一番外周には柵が立てられ、壕も掘られている――まるで、映画で見た三国志の陣地のようだ。
それを一つ一つ指さしながら、静馬は語ってくれる。
「あれらの柵と壕で、敵の侵入を防いでいる。あれは、物見櫓――登って見てみるか? 大草原で、山が少し見えるくらいだが」
「いや、大丈夫です――に、しても、戦場なんですね……」
「ああ、話を察するに、平和な世界から来たようだからね。誰も、血を流さなくてもいいセカイ、か……羨ましい」
「平和なら平和でも、虐げる人や虐げられる人もいます」
「血は流れずとも、涙は流れる、か――人はどこまでも、人なのかもな」
二人は外周から内部の方に向かう。天幕と呼ばれる、テントが立ち並ぶ中で馬が一か所に固められている場所がある――そこに、騎士たちが馬の世話をしている。
みんな笑い合い、馬と会話するように丁寧に声をかけている。
それを静馬は目を細めながら見つめ、小さく言う。
「ここが、馬たちの場所――みんな、相棒が好きだからな。こうやって天幕こそ立てているが、普段、騎士たちはここで休憩を取る」
見れば一緒に添い寝をする騎士たちもいた。憩いの時間を、過ごしている。
そばでは煮炊きをしている兵もいる。ここが、炊事場になっているようだ。
芳しい豚汁の香りに、思わず空也が腹を鳴らすと、静馬は笑いながら肩を叩く。
「飯を食って行こう。兵の食事とはいえ、狩り立ての猪肉で作った、上手い汁だぞ」
「では、折角ですから……」
静馬が炊事兵から二杯、豚汁を受け取ると、一杯を空也に差し出す。
それを受け取ると、静馬はその場で腰を降ろした。馬たちと騎士たちを眺めながら、それを一口。空也も並んで、恐る恐る豚汁を飲む。
想像よりも塩辛い――だが、汗をかいた身には丁度いい。
思わず、もう一口飲むと、静馬は小声で訊ねる。
「不安ではないのか? 空也」
「――不安、はあります……けど……止まらないと、決めました」
「その、幼なじみを助ける為に?」
「はい、前に進んで――追いかけると」
それは、彼女の遺言のような一言だった。
こうして追いかけることができる今――ためらうことはない。真っ直ぐに進むだけだ。
静馬は満足げに頷くと、騎士たちを見ながら豚汁を一息に飲み干す。
そして、土がむき出しの場所に、指でさらさらと地図を書く。
「この大陸は――およそ、三分されている。南東のウェルネス王国、南西のハルバート帝国、そして、北方の民族連合。とはいえ、大陸の半分を占めているのが、ウェルネスだ」
そう書き示した地面は、大きな円形を三分した形。言った通り、右下の図形は、全体のおよそ半分を占めている。その左には、その半分くらいの大きさの国――これが、ハルバートなのだろう。
彼はウェルネス王国の北の方を指で突く。
「今、私たちウェルネス王国騎士団は、北方に遠征している――丁度、この辺だな」
「――侵略、ですか?」
「いいや、と言いたいが……それも視野に入れた、軍事演習だな」
彼はそこで口を噤むと、苦笑い交じりに首を振った。
「いや、部外者に言うことでもないな。むしろ、空也は軍属ではない――言ったことは、忘れてくれ」
「は、はい……」
「まあ、何が言いたいかと言えば、今は王国の北……人口も少ない場所だ。その子がいる可能性も、少ないはずだ。任務が終われば、すぐに王都に案内できるよ」
「そうですか……任務は、どれくらいかかりそうですか?」
「さぁ……相手次第だな。もうすでに、ここで三週間留まっている。暇で仕方ないな」
そこでふと思いついたように、静馬は空也に腰を見やる。
そこに差された太刀。さらに腕や身体つきを眺めて――わずかに、目を光らせた。
「――もしかして、空也、剣をやるのか?」
「え、ええ、まあ……」
「なら、丁度いい。暇つぶしに、手合せしてくれないか?」
「――え?」
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