エピローグ

第170話 寂しがりヒロインと数年後のお話

「――パパ」


「んん……」


 ……もう少し、眠らせてくれ。折角、いい夢を見てるんだから。


「パパ~起きて。ママが呼んでるよ~」


 小さな力で一生懸命身体をグイグイと引っ張られ、ゆっくりと目を開けた。目の前にはある画面が表示されたままのパソコンがあった。


 そっか……懐かしくて、そのまま。


「起きた?」


 うーん、と身体を伸ばしているとそんな声が聞こえてくる。

 視線をもっていくと小さな愛くるしい女の子が腰に両手を当てて仁王立ちしていた。


 その姿は実に俺の愛する女性に似ている。


「おはよう、真愛音まなね


「おはよう、じゃないよ。二回目だよ。お寝坊さんはめっ、なんだからね」


 まだ六歳でこの仕上がりよう。既に母親の血を濃く受け継いでいるんだということがすごく分かる。


「聞いてるの?」


「聞いてるよ。ママはなんて?」


「ご飯出来たよって」


「もうそんな時間か」


 朝ご飯を食べ終えてからすぐパソコンと向かい合い、そのまま眠ってしまったようだ。

 時計を見ると針がもう少しで十二に到達しようとしている。


「一緒に行こうか」


「うん!」


 真愛音を抱き抱えながら一緒に部屋を出てリビングへと向かった。


「あ、ふたりとも。遅いですよ」


「真理音」


 ちょうど、リビングの扉を開けようとして先に中にいた真理音に開けられ迎えられた。

 すっかりと元の長さに戻った黒髪を後ろで一つに結い、エプロン姿の真理音はあれから数年経った今も健在だ。


「ん、どうしたんですか?」


 数年前からずっと続いているはずなのに、夢を見ていたからなのか今の姿と当時の姿が重なり、ボーッとしてしまった。


「パパね、寝惚けてるんだよ。お昼寝してたもん。お昼はこれからなのに~」


「真人く~ん~?」


 可愛らしく小首を傾げていたくせに真愛音のカミングアウトのせいでジトッとした目で見られる羽目になってしまった。


「昨日、夜更かしはほどほどにしてくださいね、って言いましたよね?」


「……はい」


「真人くんとも一緒に寝たかったのに」


 ぶすっと頬が膨らみ、不服を申された。


「でも、ちゃんと抱きしめておいただろ?」


「そうですけど……私は、一緒に布団に入って真愛音を抱きしめたかったんです。真愛音だって、そうしてほしいですよね?」


「んーーー……いい!」


「「えっ!?」」


 それは、パパ傷つくぞ。胸にナイフが刺さったぞ。


「ど、どうしてですか?」


「だって、パパもママも苦しくなるくらいぎゅっとしてくるんだもん!」


 俺と真理音は何も言えなくなった。

 そして、真理音はどうしたらいいのか分からない様子で矛先を俺に向けた。


「と、とにかく……めっ、ですからね!」


 まだ、三十になっていないとはいえ、その怒り方はどうなのだろうか。六歳の娘と同じなんだぞ。


「聞いてますか?」


「聞いてるよ」


 しかし、いつまで経っても子供っぽさが抜けていない真理音が俺にとっては可愛くてしょうがない。怒られていても気にならない。


 思わず頬を緩ませていると反省していないと思ったのか真理音の頬が再び膨らんだ。


「今日も可愛いよ、真理音」


「なっ……い、いきなりはなしですっ!」


 瞬時に真っ赤になった真理音は逃げるように奥へと引っ込んでいった。


「ママは今日も可愛いなぁ……」


「私は可愛くないの?」


「もちろん、真愛音も可愛いよ」


「えへへへ!」


 ニカッとはにかんだ真愛音を連れて、奥へと進んだ。


 真理音の隣に真愛音を座らせ、真理音の向かい側に座る。

 今日の昼ご飯はオムライスのようだ。

 チキンライスを包むオムレツが光輝いていて食欲がそそられる。


 三人で手を合わせて、スプーンを口へと含んだ。


「おいしいー!」


「ママの料理はいつ食べても美味しいな」


「うん!」


 こういうところはまだまだ子供だな、とオムライスに夢中になっている真愛音から視線を真理音に向ける。

 すると、真理音は頬を微かに赤らめたまま優しそうな笑みを浮かべて固まっていた。


「どうかした?」


「いえ……あの日、真人くんに頑張って声をかけて良かったなぁって……。真人くんに声をかけなければ今も私はひとりでご飯を食べていましたから」


「そうだな」


「否定、してくれないんですね」


「しないよ。だって、真理音とのこれまでをなくしたくないし、もしかしたら真理音が俺じゃない誰かとこうなってたかもしれないだろ? そんなの嫌だから。真理音のこと他の誰にも渡したくない」


「も、もしかしたら、の話なのに真剣になりすぎです……恥ずかしいです」


「真剣になるよ。真理音のこと、世界で一番愛してるんだから」


 もしかしたら、の世界でも真理音が俺じゃない誰かとこうやって食卓を囲んでいる姿なんて想像もしたくない。


「真理音は俺だけの奥さんで真愛音だけのママだからな」


「はい……!」


 真理音の目にうっすらと涙が滲んでいく。

 それを、拭っていると真愛音がきょとんとした様子で見上げていた。


「ママ、泣いてるの?」


「ママはな、自分の作ったご飯が美味しくて感動しちゃったんだよ」


「あははは、変なママー!」


「真愛音にもいつか分かる日がきますよ……大切な人と一緒にいられることの幸せが」


「そうなの?」


 真愛音には少々難しかったのか、特に興味を示すことなく、再びオムライスに夢中になった。


「ううっ……オムライスに負けました」


「よしよし」


 落ち込んだ真理音を慰めるように頭を撫でる。

 折角、涙を拭えたのにまた滲んできそうだな。


「真愛音にはまだ難しいんだよ。ゆっくり、教えてあげていこう」


 大切な人と一緒にいられることの幸せに気づいている人はどれだけいるんだろう。

 真愛音はまだその事が当たり前だと思ってるから何も気にしないんだろう。

 でも、やがては気づいていってほしい。大切な人と当たり前のように一緒にいられることがどれだけ掛け替えのない幸せなことなのかを。


「甘やかし過ぎはダメですよ?」


「それは、真理音がちゃんとするだろ?」


「よく、お分かりで。では、真人くん。さっきは何をしていたんですか?」


「なんで?」


 さっき、真愛音が伝えたはずだ。寝てたって。


「だって、お昼寝するならそこのソファでいいはずなのにわざわざ部屋で寝てたなんて何かしていたに決まっていますから」


 ふむ、流石、真理音だ。よく気づいてくれるし分かってくれている。


「久々に俺達の物語を読んでたんだ。で、寝落ちしてた」


「ほんと、真人くんはどうしようもないというか……寝不足のままパソコンで読んだりしたからですよ」


「でも、パソコンでじゃないとちゃんとしたのを読めないだろ? それに、スッゲー良い夢も見れたんだ」


「良い夢?」


「うん、真理音とのこれまでを見てた」


 あの春の日、真理音に声をかけられた日から今日までのことは昨日のことのように鮮明に覚えている。

 その記憶を昔に戻ったように夢の中で追体験出来た。


「結婚記念日だし嬉しかったなぁ……」


「ふふ、懐かしいですね」


「ずっと、夢の中にいてもいいって思った」


「やめてくださいよ。真人くんには今の私と真愛音を見てほしいんですから」


「分かってる。ここが、幸せの居所だから」


 触れることが出来ない夢の中より触れることが出来る現実が良い。ひとりがふたりになり、ふたりがさんにんになり。真愛音という可愛い娘と真理音という可愛い奥さんに触れられるここが。


「真理音とも後で一緒に読みたいな」


「誘うなら最初からにしてくださいよ。仲間外れにされたようで寂しいです」


「でも、いつもは恥ずかしがって中々付き合ってくれないじゃん」


「だ、だって……私達の仲が筒抜けで恥ずかしいんですよ。真人くん、私のこと大袈裟に表現していますし」


「俺は俺の目から見た真理音のことをありのまま表現してるだけだよ」


 頬を赤らめて、恥ずかしそうにもじもじと肩を揺らしながら、涙目で見つめてくる。

 ほら、俺の視点に間違いない。一寸の狂いも生じてない。


「それに、あれでも抑えてるんだからな。斑目には、真理音はもっと可愛いでしょ、って怒られるくらいだし」


「真人くんも九々瑠ちゃんも私を辱しめて楽しんでいるんですよ」


「そりゃ、目の保養になるしいつまでも愛でたくなる可愛さだからな。仕方ない」


「変なところでふたりは意気投合するんですから」


「俺とアイツは真理音バカだから」


「意味が分かりません!」


 ぷいっ、とそっぽを向いた真理音に口角が上がる。

 笑われたことにほんのりと機嫌を損ねた真理音を宥めながらオムライスを食べ進めた。



 結婚記念日、ということで真理音も読書に付き合ってくれるようでリビングに置いてある本棚に向かう。

 数冊ある中から、一冊を取り出し、ある写真が目に止まった。


 真っ白なスーツに身を包む自分の姿と隣に立つ真っ白なウエディングドレスに身を包んだ真理音がいる。


 ほんと、毎日が幸せだよな。


 とても楽しそうに笑い合っているふたりの姿を見て、思わず感慨深い気持ちになっていると、


「真人くん?」

「パパ?」


 ソファに座っていたふたりから声がかかった。


「今、いくよ」


 最愛のふたりが待つ元へ向かう。

 真愛音を膝の上に乗せた真理音の隣に座った。


 数年前からずっと続いてる気持ちの良い並び方。こうやって、隣合うと自然と癒されるのだ。


「真愛音も付き合ってくれるのか?」


「だって、ひとりは寂しいもん!」


 もう何回聞いたか分からない程、聞き馴染んだ言葉。

 もう何回言われたか分からない程、言われ馴染んだ言葉。

 その、俺と真理音を繋いでくれた合言葉のようなものが娘から聞けるのは嬉しくてたまらない。


 真理音もきっとそう思ってるんだろう。

 俺に向けてくれていた優しい笑みを浮かべながら、真愛音の髪を手でとかしていた。


 その事にほんの少しだけ嫉妬した。


「ま、真人くん!?」


 真理音の肩に頭を乗せるとびくっと身体が跳ねる。

 もう、数えきれいない数の触れ合いをしてきたのにな。


 いつまでも意識してくれることに嬉しくなり、ますます真理音に甘えてしまう。


「真愛音だけじゃなくて俺も相手してほしいぞ」


 しかし、甘えたにも関わらず真理音は何もしてくれない。


「こ、これは、仕返しです。真人くんだって、さっき真愛音だけを抱っこしてました」


「ええ~じゃあ、どうしたらいいの?」


 痩せ我慢していることはぷるぷると身体を震わせていることから伝わってくる。

 だから、ニヤニヤと笑っているとこっちを向いて目を閉じた。

 そんな真理音にそっと唇を重ねる。


「これでいい?」


「ま、満足です」


 やや、不服そうだったのでもう一度唇を重ねた。

 すると、真理音が満足したように笑った。


 当初の目的を忘れ、ふたりで笑い合っていると、


「もー、いつまでも笑ってないで早く読んでよー!」


 ぷくぅっと頬を空気でいっぱいにした真愛音が抗議の声を上げた。


「ほんと、パパとママは仲良し過ぎるんだから! 幼稚園の友達にいっつも仲良くて良いね、って言われるの私なんだよ?」


「よし、じゃあ、自慢してやるんだ。超仲良しなんだよって」


「そうですね。愛は争いを生まない、ということを早くから教える必要がありますし」


「もー、いいから早くしてよー。この後、お出かけするんでしょー!」


 夕方から出掛けるんだということをジタバタと暴れる真愛音のおかげでしっかりと思い出した。


「分かったよ」


 本当はもっと真理音との仲についてじっくりと教えたかったがいいだろう。どうせ、この本を読めばあらかた伝わることだろうし。


 手にした本に目を落とす。


 真理音にプロポーズをしたあの日、彼女に渡した俺達の思い出を俺はネット小説という形で公開した。

 もちろん、真理音に渡したのと内容や名前は少し変えてある。真理音の可愛さを独り占めしたいし、彼女との思い出は世界でたった一つのものとしておきたいからだ。


 そんな、誰に読まれるつもりでもなく何気なく公開した物語が意外と人気になり驚くことに本になったのだ。


 本にしませんか、と提案された時の驚きようは言葉では表せない。

 真理音と顔を見合わせ、暫くお互いに開いた口が塞がらなかった。


「真人くん」


「ん?」


「愛しています。これまでも。これからも。ずっとずっと……」


 そうやって優しく微笑んでくれる真理音。

 俺はそんな彼女に同じようにして笑いかけた。


「俺も愛してるよ。これまでも。これからも。ずっと……永久に……」


 すっかりと慣れた。いつの日か、私にも向けてほしいと言われた心の底からの笑顔を。


「じゃあ、読もうか」


「わーい。タイトルは何だっけ?」


「真愛音~? 何度も教えていますよね?」


「だって、いっつもママ途中で笑いだして最後まで教えてくれないんだもん」


「……え、本当ですか?」


 自分で気付いていなかったらしい真理音が若干のショックを受けた様子で聞いてくる。


「実はな」


 真理音は本になる時もなった今もとても恥ずかしがっている。自分達の日常が赤裸々になるのは外を歩けません~、と泣き言を漏らすほどに。

 けど、実は誰よりも喜んでいることを俺は知っている。実物が届いた時、五分に一回は眺めていたし最初から最後までももう何回読み切ったかも分からない。

 それくらい、好きでいてくれるのだ。


「それで、タイトルは?」


 俺と真理音は顔を見合わせて笑い合った。


「一緒に言う?」


「はい!」


 俺と真理音は頷き合って、一緒に口を開いた。


「「寂しがりヒロインが一緒にいようと俺にだけグイグイくる」」






                ―完結―

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寂しがりヒロインが一緒にいようと俺にだけグイグイくる ときたま@黒聖女様3巻まで発売中 @dka

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