第5話 SkyDriver in the Rain
その夢は、必ず、深い森の中から始まる。
そして僕は、まるで何かに導かれるように歩みを進める。その足取りに迷いはなく、鬱蒼と茂る深緑をかき分け、少し開けた場所に出る。
その先に立っていたのは、僕が昔からよく知る一人の少女だった。
「ミカ姉ちゃん……」
近所に住む僕より少しだけ年上の女の子。年齢のわりに少しだけ大人びていて、ものしりで、しっかり者で、僕が困ったときや、辛いときにいつもそばに居てくれた正義のヒーローみたいな存在。僕は彼女のことを本物の姉のように慕い、心のうちではそれ以上の感情を抱いていた。
僕は、彼女の背に向かって声をかける。それでも、彼女はこちらを振り返る気配はない。僕の声は届かなかったのだろうか。
「ミカ姉ちゃん! ミカ姉ちゃんってば!!」
僕は、彼女にゆっくりと近づきながら叫んだ。
それでも彼女は振り返ってくれない。そして、なぜか彼女との距離はゆっくりと離れていく。
僕は、彼女に少しでも近づこうと駆け出した。それでも、まるで鬼ごっこをしているかのように、僕が進んだ分だけ、彼女も離れていく。
「はぁっ。はぁっ。待ってよ。ミカ姉ちゃん!」
息が上がり、走るスピードも少しずつペースが落ち始める。
すると、彼女のほうもそれに合わせてゆっくりになる。
あと少し。あと少しで追いつく。
僕は彼女に聞かなければならない。言わなければならないことがある。そのためには、何としても彼女に声を届けなければならない。
その一心で僕は必死に走り続ける。
どれだけの間、森の中を駆け回ったことだろう。時折、木の根っこや草に足を取られ転びそうになりながらも、何とか彼女に追いすがった。
そして、ようやく彼女の足が止まる。彼女は、遠くの空を見つめ、崖のすぐそばで立ち止まっていた。
「はぁっ。んっ。はぁはぁ」
僕は膝に手をつき、肩で息をする。乱れた呼吸を数度の深呼吸で整え、彼女のほうを真っすぐ見据える。
あれだけ走ったというのに、彼女は息一つとして乱していない。
それもそうだろう。僕が、彼女を追いかけている間、彼女の足は一度も動いていないのだから。
空間ごと離れていく彼女の姿を見ると、僕はもう二度と彼女と会うことができなくなってしまうのではないかという思いに駆られ自然とその背を追ってしまうのだ。
足が止まった今こそ声が届くと信じて、僕は大声を張り上げた。
「ミカ姉ちゃん!!」
すると、彼女の肩がピクっと、反応したように見えた。
あぁ、ようやく声が届いた。ようやく、彼女と話すことが出来る。
僕はこの時を待ちわびていた。そう安堵した瞬間だった。
ゆっくりと首だけを動かし、うつむき加減で後ろを振り向いた彼女の口が動く。
「待ってるわ……」
彼女の声ははっきりと僕の耳に届いた。すると、景色は一変し、僕の身体は空へと投げ出される。僕は咄嗟に体勢を取りなおし、空中で身体を安定させる。
この日の空も変わらず雨が降っていた。
僕は、灰色の雲を目指して一直線に空を駆けていく。今度はきっと届く。届かなければならない。ミカ姉ちゃんも、そして、真音も二人とも僕のことを待っていてくれている。
雨と風はどんどん強くなるものの、今の僕にははっきり言って気にならなかった。そして、そのまま雲の中へと到達する。
前も後ろも右も左も上も下も何もかもが、真っ白な世界。僕はここで足を止めてはならない。足を止めればきっと、世界に取り残されてしまうから。僕は、前に進まなければならないのだ。
そして、分厚い雲を抜けた瞬間、周囲が一気に光に包まれる。
「ようやく来たわね」
そこには、僕のよく知る少女が笑いながら立っていた。
「ミカ、姉ちゃん……」
「えぇ。そうよ。あなたの大好きな美奏お姉ちゃんよ。久しぶりね。颯太」
僕の目からは自然と涙がこぼれ落ちた。すると、ミカ姉ちゃんは、僕のもとに近づいてきて、そっと頭を撫でる。
「まったく。大きくなっても泣き虫なのは変わらないのね」
「やっと会えたんだ。こういう時くらい良いじゃないか」
「私としては、このまま連れて帰ってしまってもいいのだけれど、そんなことをしたら、真音にこっぴどく叱られそうね」
僕は、その言葉を聞いてこの場に来た目的を思い出した。
「そうだ。ミカ姉ちゃん。僕はミカ姉ちゃんに聞かなきゃいけないことがあって――」
また、ミカ姉ちゃんがいなくなってしまうのではないかと思うと、焦りが先行してどうにも上手く言葉がまとまらなかった。しかし、ミカ姉ちゃんはそれを見越したかのように、僕のことを窘める。
「分かっているわ。だから少し落ち着きなさい。私はどこにもいかない。一つ一つ順番に答えてあげるわ」
「じゃあまず一つ目――」
僕は、ミカ姉ちゃんに自身の両親について聞いてみた。
「私も、正直驚いたわ。私が両親に疑問を持ったきっかけは、本当に些細なことだった。ある時、テレビでその人のルーツを探るみたいな番組があったのよ。気になった私は、自身について興味本位で調査を始めた。その結果は、颯太や真音の知っている通りよ」
「ミカ姉ちゃんは、それに悩んでたの?」
「このことが直接的な原因で悩んでいたわけではないわ。どちらかというと、間接的にこの問題は関わっていたという感じかしら」
そこで、真音がしていた推測の話を持ち出して、ミカ姉ちゃんに真偽を確かめてみることにした。
「そう。真音がそんなことを。それに私の残しておいたものまで見つけてくれたのね。あの子なら、と思っていたけれど、どうやら私の読みは当たっていたようね」
ミカ姉ちゃんは嬉しそうにくすくすと笑う。そしてすぐに、ミカ姉ちゃんは話を元に戻す。
「私の生い立ちを知った颯太なら、私が両家においてイレギュラーな存在であることは、想像に難くないと思うのだけれど、どうかしら?」
「確かにそうかもしれない。でもたったそれだけでミカ姉ちゃんが、命を落とすことなんてなかったはずじゃ――」
「……たったそれだけじゃなかったのよ」
「えっ?」
急に今までよりも声のトーンが低くなる。
「確かに、抱えている問題がそれだけなら、私も踏みとどまれたかもしれない。いや、きっとあなたや真音のことを考えて生き残ることを選択したでしょう。お父さんもお母さんも悪い人ではなかったし」
だとすれば、一体ミカ姉ちゃんは、どんな問題を抱えていたというのだろう。
僕がそう思った頃には、ミカ姉ちゃんの口からすでに答えが出ていた。
「私はね……太のことが好きだったのよ」
「…………」
「でも、両家の当主になった以上、恋愛・結婚は許されない。それだけなら、まだ何とかなったかもしれない。でも、私と颯太には半分とはいえ同じ血が流れていることが発覚した。私は、この血と身体を恨んだわ」
ミカ姉ちゃんは遠い日のことを思い出すように言葉を続けた。
「私は、颯太と一緒になることができない。血としても、家としても。それなのに、それとほぼ同時に颯太が、私のことをやけに意識して接するようになったことも覚えているわ」
「……そんなに分かりやすくしていた覚えはないけど」
僕は気恥ずかしさを隠すように否定するも、ミカ姉ちゃんは小さく笑うだけだった。
「もちろん。私も、颯太と一緒になりたいと思っていた。もしかしたら、二人でならこの状況すらも、乗り越えられるのではないかと。でも、私は、その時に頭をよぎった。もし、今、颯太が私の知っている事実を耳にしたら、どう思うだろうって」
「…………」
「今でこそ、それは過ぎた話だからと言えるかもしれない。でも当時の颯太が知ったら、それこそ両親を恨む結果になるかもしれない。例えそれに気づかれることなく過ごしたとして、それは颯太にとって幸せなのか。その事実を伏せるのなら、私がいなくなるしかない。そう思った。ただ、結果として、颯太の気持ちを持ち去ったまま私はこの世を去ってしまった。それが、颯太を苦しめることになってしまったことに関しては、申し訳ないと思っているわ。ごめんなさい」
それは、辛く切ないミカ姉ちゃんの懺悔だった。
「ミカ姉ちゃんは、悪くないよ。僕が未練たらしいのがいけないんだ」
「あら? そんな風には言ってほしくないわね。好きな人に大切に想ってもらえることはとても幸せなことなのよ」
確かにその通りだ。僕には心当たりがあった。先日、真音に告白されたときも、今まで感じたことのない喜びを感じることが出来た。
「私が死んだ後、颯太が何かのきっかけで、その事実を知るときがくるかもしれない。そう思って、残しておいた文書だったのだけど、その文書を使って真音が先に真実に辿り着いていたということは、それだけ真音が颯太のことを真剣に考えていたってことなんでしょうね」
そして、ミカ姉ちゃんの言葉でその時のことを思い出し、僕の中でぐっと体温が上がったような気がした。
「そうね、私から一つお願いしてもいいかしら」
「うん。ミカ姉ちゃんのお願いなら何だって受け付けるよ」
「そう。いい子ね。でも簡単に何でもって言うのは約束が軽い男だと思われてしまうから気をつけなさいね」
「うん。分かったよ」
僕が頷くとミカ姉ちゃんは、ニッコリと微笑んだ。
「私からの願いはたった一つ。私の弟、そして妹がともに幸せであること。それ以外に望むものなんてないわ。お互いがお互いを想い合い、支え合うことができればどのような形になったとしても、あなたたち二人なら乗り越えられると信じているわ」
ミカ姉ちゃんには、すでに筒抜けだったらしい。
「ミカ姉ちゃんにはかなわないな……」
「あなたたち二人が分かりやす過ぎるだけよ」
ミカ姉ちゃんが小さく笑うと、なぜかミカ姉ちゃんの身体がぼんやりと光を帯び始める。
「あら、そろそろ時間かしら……そうだ! 最後に」
「えっ? 何?」
「颯太に頼みたいことがあるの。聞いてくれる?」
「うん。もちろんだよ」
ミカ姉ちゃんが僕の回答ににっこりと微笑みかけた。そして、時間がないことを理解しているのか、そのまま話を継いだ。
「あの家の因果を断ち切って欲しい。あなたたち二人で。あの伝統は、両家を苦しめ続けたわ。私たちの両親を含めてね。だから、これ以上、私のようなこの伝統の犠牲者を出したくはない。お願いできるかしら?」
「うん。分かった。やってみるよ。それと……ミカ姉ちゃん。また、会えるんだよね」
「えぇ。きっとどこかで。ね。それまで、いい子にしているのよ」
「うん、分かったよ。ありがとう。ミカ姉ちゃん」
「私も会えて嬉しかった。愛してるわ。颯太」
ミカ姉ちゃんからまばゆい光が発せられると、僕の記憶はそのまま闇へと落ちていった。
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