第3話 贖罪

 真音に僕の決意を伝えてから数日後の夜。僕の父さんと優佳さんに呼ばれ、お互いの家からちょうど同じくらい離れた場所にある神社にやって来ていた。

 建物の中に入ると、父さんが慣れた手つきで部屋の蝋燭に火をいれていく。

 電灯のない場所の初めのうちは暗く感じるが、少しずつ、目が慣れてくると父や優佳さんの表情が見て取れるようになってくる。


 父さんは最後に僕のそばに立てられた蝋燭に火をつけると、優佳さんとともにそのまま向かい合うように僕の前に腰掛けた。


「さて、ここに呼ばれた理由はすでに分かっているとは思うが――」


 父さんははっきりとした口調で、言葉を続ける。


「来る七月七日の日に御前儀式ごぜんぎしきの礼を執り行うことが、当主同士の話し合いにて決定した」


 織姫家当主の優佳さんも、父さんの言葉に動じることなく視線を僕のほうに向けていた。


「御前儀式の礼については、お前も知っているな?」


 父さんは、僕に話を振ってくる。


 御前儀式の礼とは、彦星家と織姫家の両家に伝統として残る重要な儀式の一つだ。しかし、その儀式が行われた例は、過去に数回しかない。その理由は、この儀式の特異性にある。


「うん。織姫家次期当主、織姫美奏の事故死により、正統次期当主が空白となった。両家の伝統では、片方の次期当主が欠けた状態での引継ぎは、両家に災厄をもたらすとされている」


 父さんと優佳さんは、僕の言葉に深く頷いた。

 織姫家には真音という次女がいる。彼女がミカ姉ちゃんの跡を継げばいい。もちろんその通りだ。ただ、この伝統はそれだけでは終わらない。


 彦星家と織姫家は、運命共同体の関係にある。これは、両家が始まって以来続く、その歴史を見れば明らかだった。

 その歴史を体現しているのが、まさにこの御前儀式の礼だと言える。

 片方の次期当主が何らかの理由、命を落とした時、その時に次期当主についていたもう片方の家の次期当主は、御前、つまり神の前で両家の平穏無事のために生贄となるのだ。

 史実として残っているのは、御前儀式の礼を行うことを躊躇った代というのもあったらしく、その時には、この辺りの集落が鉄砲水に襲われたり、山火事に巻き込まれ、集落の半分が焼失した例もあるらしい。


 今時、そんなことを真面目に信じる必要があるのか、ということを父さんと優佳さんも一度は考えたことはあったはずだ。それでも、この辺りの集落を代々治めてきた歴史ある家柄の者の当主として、それ相応の責任がある。


 僕もそれを十分に理解しているつもりだ。だから、それを決定した父さんや優佳さんを恨む気持ちもない。むしろ、心の中ではようやくかという思いのほうが強かった。


「すまないな」


 父さんは、厳しい表情から一転して申し訳なさそうな顔をする。それは優佳さんも同様で、目にはうっすらと光るものが見えた気がした。

 だから、僕は今の想いを言葉にして二人に伝えた。


「僕は大丈夫。ミカ姉ちゃんだって、向こうで僕のことを待ってるはずだよ。未練が全くないかと言われれば、答えるのが難しくなるだろうけど、後の家のことは、真音と瑛太に任せるよ」


 瑛太というのは、僕と十歳以上年の離れた弟のことだ。父もこうなることが分かっていたから、あえて僕と瑛太を近づけるような真似はしなかった。僕自身もそれには賛成だった。瑛太が身近な存在になってしまえば、きっと僕は、今のような決断をすることはできなくなってしまうから。


「ありがとう。父さん。優佳さん」


 僕は、感謝の言葉を伝えると、父さんは「そうか」とだけ、言葉を発すると、今日の話し合いは終わった。


 僕は、父さんと優佳さんより先に一人で建物から出た。

 空を見上げると梅雨の時期とは思えないほど、綺麗に星が輝いていた。


「ミカ姉ちゃん。俺、ようやく……」


「お兄ちゃん」


 僕が空に想いを馳せていると、建物の影から真音が現れる。


「真音か」


「えへへ。気になってこっそり付いて来ちゃった」


 真音は、後ろ手にトートバッグを持ち、小さく誤魔化すように笑った。

 こうして真音とともに話すことも、あと少しの間しかできない。そう考えると、真音の多少の夜更かしも、許せてしまうような気がした。


「少し、散歩でもするか」


 僕は、真音を夜の散歩に誘ってみた。すると、真音も首を縦に振り、僕の後に続いて歩き始めた。


 月の暦では、今夜は新月だという。晴れているのに月の明かりがないというのは、少しだけ不思議な気分にさせられる。

 そんなことを考えながらぼーっと歩いていると、足元の木の根っこに足を引っかけてしまう。


「おっと」


「だ、大丈夫?」


 真音はふらつく僕に声をかけてくる。真音のほうは僕の動きを見て、上手く木の根っこを除けたようだ。


「うん。なんとかね」


「ふふっ」


 すると、真音から小さな笑い声が聞こえてくる。


「何か、おかしなことでもあったか?」


「昔、お姉ちゃんと三人で夜道を歩いたときも、お兄ちゃん、木の根にひっかかって転んでたなぁって思って」


「そんなことあったか?」


 僕の記憶にはピンとくるものがなかったが、真音は僕にその時のことを鮮明に覚えているらしく、かなり事細かに話してくれた。でっち上げた話にしては出来過ぎていたし、真音がそんなことをするとは思えない。つまりは、全部本当のことなのだろう。我ながらなかなかに都合のいい頭をしているものだ。


 懐かしい過去を振り返りつつ、僕たちは夜道を進み、森の中にひっそりと佇む小さな池のほとりに出た。


「こんなところに池なんてあったんだね。それに蛍も」


 真音は目を輝かせて、辺りを飛び回る蛍を見回していた。


「ミカ姉ちゃんには、二人だけの秘密って言われてたんだけど、えっと、その、最後になるかもしれないから、さ」


「…………な……ん……」


「えっ?」


 上手く言葉を聞きとれなかった僕は、思わず真音に聞き返した。


「なんで、そういうこと、言うの?」


 真音は、今にも泣き出しそうな顔で僕のほうを見る。


「ごめん。それでも僕は、この集落を治める家の次期当主としての責任を果たさなければならないんだ」


「理由は、本当にそれだけなの?」


「…………」


「お兄ちゃんが儀式に臨む理由。きっと、それだけじゃないよね」


「…………」


 勘の良い真音なら気づくかもしれない、とは思っていたけど、こうしてはっきりと言われると、何と言えばいいか分からなくなってしまった。

 僕が心の中でそのように考えてしまっている以上、何を言っても言い訳にしかならないような気がした。


「お兄ちゃん、死は救いじゃないんだよ。それは本当にお姉ちゃんが望む結果だと思ってるの?」


 僕の胸に真音の言葉は、重く鋭く突き刺さる。


「私は、伝統とか、家とかそういうことで、これ以上大切な人が自分の前からいなくなっていくのは堪えられない」


「…………?」


 僕は、真音の言葉に引っかかりを覚える。


「今、なんて言った? 僕はともかくとしても、ミカ姉ちゃんが?」


 確かに僕が儀式に出ることは家の伝統によるものだけど、そこになぜ、ミカ姉ちゃんが含まれているのかが、僕には分からなかった。


「やっぱり知らなかったんだ」


 真音は、持っていたトートバッグから数枚の紙を取り出した。


「これは?」


「これはね、お姉ちゃんが私だけに教えてくれた秘密の隠し場所に残されていたものだよ。遺書、に近いのかな」


「!?」


 僕はその言葉を聞いて、暗がり中必死に目をこらして数枚の紙を見通していく。

 一枚目の紙から三枚目の紙までは、いわゆる古文書というもので、崩し字でつらつらと書かれていた。残念なことに、僕には崩し字の教養がない。読み取れてもせいぜい一部のひらがなと簡単な漢字くらいで、その文書に何が書かれているのかという、全体像までは見えてこない。

 僕は、その文書を読むことを諦め、それ以外の紙に目を向ける。次に出てきたのは、見慣れた字体で書かれた二枚のレポート用紙だった。


 一枚目には、前の古文書の現代語訳だろうか。小さな文字で丁寧に書かれていた。内容としては、彦星家と織姫家の当主同士の恋愛・結婚についてといったところだろうか。これについては、僕も少しだけ話を聞いたことがある。

 何でも、片方の家から嫁いでいった結果、血みどろの権力争いに繋がったことがあるらしく、両家の安寧を保つために、彦星家と織姫家の人間同士の恋愛・結婚に関しては厳格に禁じられている。


 無論、僕からしてみればはた迷惑な掟であると言わざるを得なかったが、もしそれを守らなかった場合、相手のほうを処罰すると言うのだから、たまったものではない。

 僕とミカ姉ちゃんが当主になった時には、真っ先にその掟を変えてやろうと、子どもながらに考えていたこともあったくらいだ。


 僕は古文書の現代語訳を眺め終わると、最後にふと疑問が湧いてくる。


 ミカ姉ちゃんは、どうしてこんなものをわざわざ訳をしてまで残しておいたのだろう。


 僕は、疑問を抱えながら、レポート用紙をめくり、文字を追う。


「そ、そんな……」


 そのレポート用紙には 僕の知らない衝撃の事実が綴られていた。

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