第2話 罪の記憶
「はぁっ。はぁっはぁ。はぁ」
僕は、息を荒げながら、最悪の目覚めを迎えた。
和室に敷いてある布団と寝巻は、汗でびっしょりと濡れていた。
「はぁ。これからもしばらくはこれが続くのか」
救いのない絶望に満ちた悪夢は、いつ終わりを迎えるのだろう。
「いや、これはきっと終わらない。あの日のことは僕がずっと――」
これは、僕に科された罪であり、その過去は簡単に拭い去ることはできないということなのだろう。
ゆっくりと身体を起こすと部屋の障子を見ると微かに明るくなっており、朝を迎えたことを示していた。僕は息を整え、障子を開けるために布団から出る。
雲に覆われ今にも雨が降り出しそうな空模様。まるであの夢に出てきた空のようだった。
「考えすぎか」
季節は梅雨の真っ只中。アジサイが綺麗な季節である。このような天気は決して珍しいものではない。とはいえ、あのような夢を見た後に現実でもこんな天気だといささか気が滅入る。
「……着替えて朝ごはんにしよう」
僕は、気持ちを切り替えるためにも、汗まみれの寝巻を勢いよく脱ぎ捨て、着替えを済ませてから部屋を後にした。
僕らの住むこの地域は、大都市からかなり離れた場所にある。いわゆる、山間の小さな集落といったところだ。山の天気は変わりやすいとはよく言ったもので、急に雨が降ったかと思えば、唐突に、晴れ間が覗くことも珍しくない。もちろん、その逆も然り。
つい数分前まで降っていた雨はあがり、灰色の雲だけが空に残っていた。
「また降り出す前に、行っておこうかな」
僕はあの夢を見た時に、必ず決まって行く場所がある。ただ、その場所へ向かう途中の道は、大雨が降ると道が川のようになったり、小規模ではあるもののがけ崩れを起こして道をふさいでしまったりすることがある。そうなってしまうと、その場所に辿り着くことは困難になってしまうのだ。
僕は、天気が悪化しないことを祈りつつ、廊下を歩いていく。そして、居間に近づくと、廊下を伝って焼いた魚の匂いがが少しずつ香ってくる。
「おはよう。颯太」
居間に入ると、母さんが僕に声をかけてくる。
「おはよう。母さん。父さんは? もう出かけたの?」
テーブルの上を見ると、一人分のお箸しか置かれていないことに気づいた僕は、母さんに問うた。
「えぇ。お父さんは、朝から
「そっか」
優佳さんは、僕の家の近所に住む
そして、僕の家である
「すぐに朝ごはん用意するから、少し待っててね」
「うん」
それから僕は、出てきた白いご飯とイワナの塩焼きとほうれん草のおひたしなどを平らげ、席を立った。その流れで、窓からちらっと外を眺めて天気を確認する。どうやら、雨は降っていないようだ。
「ごちそうさま。これから、ちょっと出かけてくる」
「そう。お昼には戻るのよね?」
「うん」
「そう。気をつけてね」
僕は、一度自分の部屋に戻り、必要な荷物を持って家を出た。
山道を登り続けて十五分――
途中で雨に降られるようなこともなく、無事に目的地に到着した。
崖地のすぐそばにある小さくて綺麗な丸い石が置かれたその場所には、線香を供える線香台と、花を生ける花瓶がその石を挟むように置かれていた。
僕は、その前にしゃがみ小さな石に向かって声をかけた。
「こんにちは。ミカ姉ちゃん」
僕はしゃがんだまま目を瞑り、手を合わせる。
ここは、今からおよそ六年前に亡くなった織姫美奏のお墓だ。
この墓地のすぐ目の前にある崖からミカ姉ちゃんは、転落。遺書のようなものも見つからなかったことから、事故死という扱いになっている。
当時、僕はミカ姉ちゃんとミカ姉ちゃんの妹で僕の二つ年下の
もちろん、遊ぶときにはこの付近には近寄らないようにと、互いの両親からも注意されていたし、ミカ姉ちゃんもそれを理解していたはずだ。
「なのに、どうしてあの時……」
僕は、答えの出ない問いを自身と目の前にある墓石に問いかけ続けた。
「お兄……ちゃん?」
ふと、頭の上からそんな言葉が降ってきた。僕がゆっくりと顔を上げると、そこには、花と水と線香を持った織姫真音が立っていた。花といっても、お供え用にあるような大きな花ではなく、この辺りで咲く小さな白い花だ。
「あぁ」
僕はゆっくりと立ち上がり、真音のほうに向きなおった。
「なんだか、久しぶりな感じがするね。ご近所さんなのに」
「確かにね。学校でもほとんど会うことないし」
「…………」
「…………」
僕たちの会話は、そこで途切れてしまう。ここに長居するのも迷惑だろうと思い、僕は真音に声をかけた。
「そ、それじゃあ、僕は用が済んだから」
僕が、もと来た道を戻ろうと足を向けると、真音の声が僕の動きを止める。
「ま、待って! 少し話があるの」
「う、うん」
「……待っててくれる、かな?」
「分かったよ」
僕は真音が墓石の前にしゃがみ、手を合わせるのを見ながら言われた通りその場で待っていた。
雨水の入った花瓶の中身を空にして持ってきた水を注いで、花を供える。見ているだけというのも、変だと思い、お墓の周りの掃除でもしようか、と真音に聞いたが、自分でやるから大丈夫と言って、テキパキと落ち葉を広い集め除けていった。
「ごめんね。お待たせ」
「それで、話って?」
「うん。単刀直入に聞くね」
真音はあえてそのように前置きをしたうえで、僕の目を真っ直ぐ見つめてきた。
「お兄ちゃんは、本当に家のために犠牲になるつもりなの?」
「…………」
そうか。父さんたちもようやく決心がついたのか。
僕は、心の中でそう思った。そして、真音の目を見据えて、こう言葉を返した。
「あぁ。あの時、ミカ姉ちゃんを止められなかったのは、僕の責任だ。それに家の伝統が伴うのであれば、僕はその責務を負わなければならないからね」
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