SkyDriver in the Rain

築家遊依那

第1話 僕と彼女の逢瀬

 あぁ。またこの季節を迎えたのか。


 僕、彦星颯太ひこせそうたは、夢の中でそんなことを考える。僕は、ある時から、一定の季節を迎えると、毎日のように同じような夢を見るようになった。

 そういえば、今は、六月の下旬。丁度、梅雨の真っ只中であることを思い出す。いつもこれくらいの時期に始まり、七月七日の七夕の日を境に突然終わりを告げるのだ。

 これが、ここ六年もの間、続いている。僕にとっては、季節を知らせる風物詩のようなものになりつつある。


 もちろん、その夢が穏やかで幸せな夢であれば、毎日のように見ることになったとしてもこれと言って問題はない。けれど、残念なことにその夢は決してそのようなものではないということは、何度も見てきた僕自身が一番よく知っている。


 その夢は、必ず、深い森の中から始まる。


 そして僕は、まるで何かに導かれるように歩みを進める。その足取りに迷いはなく、鬱蒼と茂る深緑をかき分け、少し開けた場所に出る。

 その先に立っていたのは、僕が昔からよく知る一人の少女だった。


「ミカ姉ちゃん……」


 織姫美奏おりきみかな

 近所に住む僕より少しだけ年上の女の子。年齢のわりに少しだけ大人びていて、ものしりで、しっかり者で、僕が困ったときや、辛いときにいつもそばに居てくれた正義のヒーローみたいな存在。僕は彼女のことを本物の姉のように慕い、心のうちではそれ以上の感情を抱いていた。

 僕は、彼女の背に向かって声をかける。それでも、彼女はこちらを振り返る気配はない。僕の声は届かなかったのだろうか。


「ミカ姉ちゃん! ミカ姉ちゃんってば!!」


 僕は、彼女にゆっくりと近づきながら叫んだ。

 それでも彼女は振り返ってくれない。そして、なぜか彼女との距離はゆっくりと離れていく。

 僕は、彼女に少しでも近づこうと駆け出した。それでも、まるで鬼ごっこをしているかのように、僕が進んだ分だけ、彼女も離れていく。


「はぁっ。はぁっ。待ってよ。ミカ姉ちゃん!」


 息が上がり、走るスピードも少しずつペースが落ち始める。

 すると、彼女のほうもそれに合わせてゆっくりになる。


 あと少し。あと少しで追いつく。


 僕は彼女に聞かなければならない。言わなければならないことがある。そのためには、何としても彼女に声を届けなければならない。

 その一心で僕は必死に走り続ける。


 どれだけの間、森の中を駆け回ったことだろう。時折、木の根っこや草に足を取られ転びそうになりながらも、何とか彼女に追いすがった。


 そして、ようやく彼女の足が止まる。彼女は、遠くの空を見つめ、崖のすぐそばで立ち止まっていた。


「はぁっ。んっ。はぁはぁ」


 僕は膝に手をつき、肩で息をする。乱れた呼吸を数度の深呼吸で整え、彼女のほうを真っすぐ見据える。

 あれだけ走ったというのに、彼女は息一つとして乱していない。

 それもそうだろう。僕が、彼女を追いかけている間、彼女の足は一度も動いていないのだから。

 空間ごと離れていく彼女の姿を見ると、僕はもう二度と彼女と会うことができなくなってしまうのではないかという思いに駆られ自然とその背を追ってしまうのだ。


 足が止まった今こそ声が届くと信じて、僕は大声を張り上げた。


「ミカ姉ちゃん!!」


 すると、彼女の肩がピクっと、反応したように見えた。


 あぁ、ようやく声が届いた。ようやく、彼女と話すことが出来る。


 僕はこの時を待ちわびていた。そう安堵した瞬間だった。

 ゆっくりと首だけを動かし、うつむき加減で後ろを振り向いた彼女の口が動く。


「○※△×□」


 口元は動いたものの、何と言っているのかは判然としない。


「ミカ姉ちゃん。何? 今、何て言ったの?」


 彼女は、その問いに答えることなく再び前を向いてしまう。


 このままでは、ダメだ。

 でも、どうすれば彼女に声が届くのだろう。


 僕の中で焦りが生じる。


 一人で考えている間に、彼女の存在が少しずつ遠退いていくように感じる。

 そして、彼女は実際に先のない空へと足を踏み出そうとしていた。


「!!」


 僕は急いで彼女のもとへと駆け出すが、僕が彼女のいた場所に辿り着く頃には、彼女は、すでに崖の下へと消えていた。崖の下は真っ暗で人影一つ捉えることはできない。


「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」


 僕は、崖の前で膝から崩れ落ち、地面に向かって吠えた。


 また、ダメだった。何度となく同じ光景を見てきた。大切な人を失ってきた。

 例え夢の中でも、それは僕にとって赦しがたいことだった。

 無力を突き付けられるかのような唐突で無慈悲で容赦のない出来事。


「なんで……なんでだよ」


 僕は、拳で地面を叩き、やり場のない怒りや無力感をぶつける。

 僕は、この夢を六年間見続けてきた。いつか、せめて夢の中だけでも彼女から話を聞くことができると信じていた。

 それでも、僕が見るのは、いつも彼女が崖から飛び降りる夢だった。


「僕はただ、ミカ姉ちゃんと話をしたいだけなのに……」


 しばらくすると、しとしとと冷たい雨が降り始める。崖の前に取り残された僕は、この世でたった一人になってしまったような感覚に囚われる。

 寒い。心細い。誰か、助けて。

 雨が世界の色を奪い、真っ暗闇へと変えていく。


「ミカ、姉ちゃん……」


 僕はその場でうずくまりゆっくりと目を閉じる。

 それから少しすると、突然、身体に浮遊感が生まれる。目を開けると、僕は鈍色の空を飛んでいた。

 雨が降っていて冷たさを感じるものの、目に雨が入るようなことはなく視界がなぜかはっきりとしていた。


 僕は、雨の中どんどん高度を上げていく。この曇り空の先には彼女がいる。そんな気がしたからだ。彼女はきっと、この雨の先で僕を待っている。

 しかし、それを阻むように雨は強くなる。ほんの少し風も出てきた。


「僕は、彼女に会うんだ。今年こそ、今度こそ」


 想いを強く持てば持つほど、雨と風が強くなる。


「まだだ。僕はまだ!!」


 そう思った瞬間。

 僕の身体に滝のような雨が降り注いだ。僕は天地の感覚を失い、水に飲まれた。


「う、ぶっ」


 まるで、濁流にのみ込まれたかのように、僕の身体は、どこかへと流されていく。空を飛んでいたときは、雨粒を気にしないでいることが出来たが、今回はそういうわけにもいかないらしい。

 口の中や鼻にしっかりと水が流れ込んでくる。


 瞬く間に肺まで水が到達し、息を続けることが出来なくなる。

 痛みと苦しみが、ピークに達し、僕の夢の記憶はそこで途切れた。

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