結:暁の訪れを仰ぎ待つ(3)
ぶっ倒れたカイトをクロードが背負い、一軒家ほどもある巨大な瓦礫の直撃を受けてもびくともしなかった第一城壁の中に入れば、そこには城壁の外よりもすさまじい惨状が広がっていた。視界に入る範囲の家々は軒並み崩れ、その豪奢な面影は垣間見ることすらできない。
方々で火の手が上がり、けれどもすでに避難は済んでいるのか、全くといって人の気配がない。城壁の堅牢さが仇となり、逆に外へと非常事態が伝わらなかったのだろう。何という皮肉だろうか。
そんな異様な光景の中を警戒しつつ、大聖堂に向けてルートたちが進んでいると、不意に眼前の瓦礫が間欠泉のような勢いで吹き飛び、その下からぼろ雑巾かと思うほど衣服がずたずたに破れた青年が現れた。
「む? もう朝か。となると小一時間ほど意識が飛んでいたことになるな……俺もまだまだ精進が足りんということか……」
「れ、レオン殿!? その格好、いったい何が!? それに、この惨状はいったい!?」
「おぉ、その声はルート君ではないか。君も俺に負けず劣らずひどい有様だろう。他人に状況を誰何するよりも先に、身だしなみを整えるくらいしてもバチは当たらんだろうに。まったく生真面目だなぁ、君は」
最早衣服の体を成していない布切れの塊のような状態の衣服の埃を払いつつ、はっはっは、とレオンは呑気そうに笑う。
「笑い事ではありませんよ!」
「いや、何事も困った時はまず笑うべきだ。真剣で辛気くさい顔をしていれば事態が勝手に解決してくれるというのならまだしも、そうでないなら不必要に周りに緊張を強いるべきではない。故に、上に立つものはまず状況を悲観するのではなく、楽観して笑い飛ばせ。悩むのは一人きりになってからでいい」
「えっ? あっ、はい……すみません……」
こちらが反論したと思ったのに、いきなり真顔で持論をぶたれて、思わず謝ってしまうルート。それを見て、レオンは再び呵々大笑する。
「冗談だよ、冗談。君があまりにもいじらしい反応をするのでね、少しからかってみたくなってしまった。許しておくれ」
「えぇ……? つまり、どうするのが正解なんですか、レオン殿……?」
「さてね。俺にも分からんよ、そんなことは。経験を重ねて、君が答えだと思うものを見つけるといい。それが君にとっての答えだ」
どうにも煙に巻くことばかりを言ってくるレオン。それにようやくルートも、単に彼が自分をからかっているだけなのだということに気付いてきた。
「ねぇ、レオンさん。いい加減まともに質問に答えてくれない? こっちもだいぶ消耗してるんだよね。見て分かると思うけど」
それまで成り行きを見守っていたクリスが、ため息と共に口を開いた。先ほどの戦闘で両手と片足を失っていた彼だったが、シルフェリオンの治癒の燐光のおかげで、五体満足な状態にまで回復している。そして、かろうじて一命を取り留めた救護班のメンバーに肩を貸して歩いていた。
「あぁ、そうだな。俺も流石に立っているのが限界に近い。君たちに代わりに伝令役をやってもらおう」
穏やかに微笑んだレオンは、ほんの小一時間前まで繰り広げられていた壮絶な死闘について語り始めた。
「君たちは、何故アウルミルがこの街を襲ったと思うかね?」
「……それは、ここにやつの探し物があるという情報を掴んだからではないんですか?」
アウルミル自身の口から聞いた言葉を、そのまま口にするクロード。
「そうだね。おそらくはその通りだろう。しかし、では、いったい誰が彼にそんな情報を伝えたのか。そこは気にならないかね?」
「あ、確かに……」
素直に目を丸くしたクロードは、救護班の隊員に肩を貸しているのでなければ、両手でポンと相づちを打っていたことだろう。そんな表情をしていた。
「彼に半分ウソの情報を掴ませ、街攻めを敢行させた人物。それが今回の黒幕だよ。そして、俺がつい先ほどまで戦っていた相手でもある」
さらりと言ってのけたレオンは、ちらりと横目でクロードたちの様子をうかがうが、彼らの反応は「まぁ、この流れなら当然ですよね」といった味気ない感じのもの。予想が裏切られたことに少し唇を尖らせつつ、それでもレオンは何食わぬ様子で話を続ける。
「つまり昨晩、この街には三人も凶星の祖がいたことになる。いやはや、第一城壁の堅牢さがなければ、今頃この街は壊滅していたかもしれないな。くわばらくわばら」
「え、三人? 二人ではなくてですか?」
瀕死の重傷を負って倒れ伏していたため、アウルミルを討滅する決定打となった攻撃を知らないレナが、数え間違えてはいないだろうかという口調で聞き返した。
「いいや、三人で合っているよ。君たちの戦ったという獣王アウルミル。俺の戦った仮面舞踏祭フラム・ヴェイン。そして俺と共にフラム・ヴェインと戦ってくれた復讐騎アル=ヴァン・グレイズ。確かに三人いた。そして、フラム・ヴェインが城穫りを果たしていないところから見るに、俺が気絶したあと、アル=ヴァン殿はやつの撃退に成功したということなのだろう。まったく、吸血鬼に襲われて吸血鬼に助けられるとは、どう反応すればいいか困る事態だとは思わんかね?」
「えーっと、つまりあなたはどういう反応を期待してるんですか?」
「ふむ、俺がどういう反応を期待しているか、か。それは答えに詰まるな。なにしろ、俺はただ君たちの困惑している顔が見たくて、わざと情報を矢継ぎ早に出したのだからね」
「うっわ、趣味悪……」
「く、クリス!」
「いや、かまわんさ。俺もそう思っている。で、まぁ、これが大事なことなのだが、おそらくフラム・ヴェインはアウルミルを捨て駒に、何か別の目的を果たそうとしていた。そして、彼が戯れに城を落とすことなく去ったということは、その目的は達成されたということだろう。そこでだ、君たちアウルミルと戦っていた方のメンバーに聞きたい。やつの狙いは何だったと思う?」
そんな聞き方をされてしまえば、思い当たる節は一つしかない。思わず顔を見合わせるレナたち。その反応を見て、やはり彼らの側にやつの狙いがあったのか、と確信するレオン。
「どうやら心当たりがあるようだ。大方、その、君たちの中で唯一意識を失っている少年に関係のあることなのだろう」
いまだ目を覚ます気配のないカイトを見やり、レオンが何度かうなずく。
「これは、ここでのんびりもう一眠りする訳にもいかんようだな。仕方ない。死に体に鞭を打って、大聖堂まで行ってゆっくり話を聞かせてもらうとしよう」
やれやれ、本当に限界が近いんだが。とぼやきながらレオンは肩をぐるりと回し、一行を先導するように瓦礫の上を歩き出した。
そして、熟睡していたカイトが目を覚まし、憧れの人の膝の上という事態に困惑して二度寝を決め込むまで、あと一時間。彼らの一日はまだまだ始まったばかりである。
*****
レオンたちが大聖堂目指してテコテコと歩いていた一方その頃、五番街の外れにひっそりと居を構える、知る人ぞ知る隠れ家的なおもむきの雑貨屋「魔女の箱庭」、そのドアを勝手知ったると言わんばかりの手つきで開けて、まだ明かりもついていない店内に滑り込む人影があった。
「どーもー、リゼルグさーん、今戻りましたー、アル=ヴァンでーす」
足首まである黒のマントにフードを目深にかぶった、まさしく不審者としか言い様のない風体の青年が、店の奥へと声をかける。
数秒後、カツ、コツ、と硬質な音が響き、青年よりも頭一つは優に低い小柄な人影が、店の奥の暗闇から姿を現した。
「あぁ、アル。お疲れさま。首尾はどうだった?」
「上々ですよ、ご主人様。まだ不完全ですけど災禍の鍵は目を覚ましたし、便乗して祖の一角は潰せました。フラムのやつも、まぁ、うまく敵として立ち回ってくれましたし、これで一つ帝国に貸しも作れたんじゃないかなーと」
「そっか、ご苦労様。とりあえずは及第点と言ったところだね」
「はは、ご主人様は本当に手厳しい」
青年は苦笑しながらフードを取り、適当に毛足を切りそろえただけの黒髪を露わにする。フードに隠されていた瞳は、朝日のごとき真紅と、宵闇のごとき瑠璃色のオッドアイ。どっかりとイスに腰掛けた青年――アル=ヴァン――の目の前に、杖をついた金髪の少年――リゼルグ――が立つ。
「それじゃあ、よく働いてくれた駄犬に、ご主人様からご褒美をあげよう」
そう言うとリゼルグはおもむろに胸元のボタンを外し、シャツを大きくめくると、白磁のごとく美しい首筋を、鎖骨が全て露出するほど惜しげもなく晒した。
「はい、どうぞ」
少年の金色の瞳が蠱惑的に揺れる。青年はその艶めかしい雰囲気に思わず生唾を飲み、「……それじゃあ、遠慮なく」と犬歯を剥き出し、少年の柔肌へとその牙を突き立てた。
ごくり、ごくり、と喉を鳴らして少年の生き血を貪る青年。そのまま放っておけばいつまでも続きそうなその光景に、不意に咳払いの音が響く。
「あー、なんだ、君たち、そういうのは私の店の外でやってくれたまえ。私にそういう趣味はないんだ」
どこか据わりの悪そうな表情でカウンターに肘をつくオルデン。
反射的にパッと顔を離したアル=ヴァンと対照的に、リゼルグは少しも恥じらう様子もなく、「私にだってそんな趣味はないよ、炎帝殿」としれっと言い返す。その首筋には、すでに青年の噛みついていた傷痕など、どこにも残されていなかった。そのことを少し惜しみつつ、アル=ヴァンもオルデンに挨拶をする。
「どうも、ご無沙汰してます、凶星の祖第六位〝不破の煉獄〟ヴラド・オルデン・ヴァンシュタイン卿」
「あぁ、君が位階を簒奪して以来だから、だいたい百年ぶりかな、凶星の祖第十三位〝黒天の翼〟アル=ヴァン・グレイズ」
「なるほど、これは私も名乗る流れかな? 私は第十二位〝緋の金環〟リゼルグ・アルクトスだよ」
「え、リゼルグさん、今の流れで名乗る必要ありました?」
「ほら、二人だけそうやって美味しいところを持っていくのはずるいじゃないか。私だって格好付けたい」
「ははは、若いものは洒落っ気があってよいな。少なくとも、まだしばらくは我々の目的は合致しているんだ。精々仲良くしておこうじゃないか」
「ははは、必要なくなったと判断したら真っ先に背中から切りかかってきそうな御仁が何か言ってる」
それからしばらく談笑したあと、アル=ヴァンは一眠りするといって店の奥へと消えていった。
レオンたち、人間の陣営は誰も知らない。全部で二十一いると言われる凶星の祖、そのうち五人もがこの晩、同じ場所にいたことを。そして、そのうち四人が結託していたことを。
世界が再び原初の混沌へと転覆するカウントダウンが、まさにこの夜始まったのだということを、帝都に住む人間たちは、誰一人として知らなかった。
Re:風が紡ぐ詩(1) 日向晴希 @harukelion
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