結:暁の訪れを仰ぎ待つ(2)
「その血塗れの手で僕の友人に触れるな……!」
――剣戟一閃。アウルミルの腕が宙を舞う。
「ぐっ、貴様……! まだ息があったか……!」
初めて、アウルミルの声音に焦りの色が混じる。
「当然です。僕の存在理由は無辜の民を守るためにある。あなたのような下郎に屈する訳にはいかないのです」
アウルミルの強靱な毛皮をものともせずその腕を切り飛ばした相手が、羽のように軽やかな足取りで着地する。
ふんわりと曲線を描く柔らかな紫色の髪。少女と見紛う可憐な顔立ちと華奢な体つき。そして、ほっそりとした手に握られた無骨な刀。そのアンバランスさすらも美しいと感じられてしまうほどに浮き世離れした雰囲気をまとった絶世の美少年。
ルート・フォン・スフィール。
今は血と埃で汚れているが、その程度で損なわれるようなやすい美貌ではない。美少年は、いついかなる時でも美少年であるからこそ、美少年と呼ばれているのだ。たとえ、かつて聖レヴェノスやその従者たちと世界を二分するほどの熾烈な争いを繰り広げたという凶星の祖であったとしても、「美少年」の価値を損なうことなど、できようはずもない。
そう、彼の身につけている純白の制服は、いまやすっかり血で汚れ、泥にまみれ、至る所がほつれ、やぶれ、見る影もなく無惨な姿になり果てていた。吸血鬼と戦っていたであろう彼の服に血が付いているということは、その血がいったい「誰」のものなのかは、言うまでもないことである。
そんな満身創痍の状態でもルートの振るう剣戟に一切の曇りはなく、その切れ味にはいささかの衰えもない。
「救護班! 大至急カイトさんとクロードさんの治療を! レナさんにはまず魔力の回復を! クリスは……イケるよね?」
「えっ……この惨状見てそれ言っちゃう? 言っちゃうの? ぼく……今にも意識飛びそうなんだけど……?」
息も絶え絶えのクリスに、当然のように早く立ち上がれと促すルート。血も涙もないと言いたいところだが、全身血塗れの姿を見てはそうも言えない。
ルートの到着から少し遅れて、いくつもの蹄の音が響く。救護班が到着したのだ。ルートと念話でつながっていた救護班の面々は、すぐさま指示された通りにカイトたちの治療に移る。
アウルミルはその様子をつまらなそうに眺め、指先を軽く動かす。そのままであればカイトたち同様、救護班も不可視の凶刃に襲われるところだったが、間に割り込むようにルートが刀を振るった。金属同士がぶつかったような高く澄んだ音が響き、目に見えない何かが砕ける。
それを見て、アウルミルの眉がぴくりと動いた。
「驚きましたか? 刃にしっかりと魔力を通せば、これくらいの曲芸はできるものなんですよ」
そんな簡単にできることではないのだが、ルートはそれだけで他人の術式に干渉できてしまうので、さも簡単なことであるかのように言ってしまう。
「ふむ、そうか、なるほど。おぬしもあの鉄拳坊主と同じタイプであるということか。なれば我輩もそれ相応の態度で臨ませてもらおう」
ざりざりとあごを撫で、一人で得心のいったように牙をむき出したアウルミル。瞬間、彼の体から放たれていた圧力の「質」が変わった。肌を突き刺すようなその圧を感じて、自分がようやく「敵」として認識されたことを知覚するルート。
これでようやく「皆を守る」ことができる。と、無意識のうちに口元を歪めるルート。
うわー、やっぱこいつサイコパスだわー。と自分の一番の親友ながらどん引きの表情を見せるクリス。とりあえず止血だけしてもらったところで、言われたとおりルートの横に並び立つ。
しかし、治癒術は傷は治せても失われた血液を補充することはできないので、既に大量失血していたクリスは、今にも倒れそうなほどにふらついていた。
「よし、じゃあいつも通り僕が前衛、君が後衛ね! 援護は任せた!」
それでもルートは、自力で立てるならそれで十分とばかりに、容赦なく命令を飛ばす。
相手の攻撃を悠長に待ってしまうのが吸血鬼の悪いところだな。と、自らの再生力を過信しがちな吸血鬼を冷めた目で見つつ、ルートは既に切り飛ばされた腕の再生を終えているアウルミルへと突進する。
一歩、二歩、と地面を滑るように距離を詰め、文字通り相手が目と鼻の先に来るほどの近さまで一気に踏み込む。それほどの距離まで来てしまえば、長い腕が仇となり、アウルミルの鋭利な爪も逆に届きにくくなる。
しかし、たとえ息がかかるほどの至近距離にいたとしても、ルートが刀を振るうのに何も支障はない。再生したばかりの腕へと白刃を閃かせ、再び骨ごと断ち切ろうとする。
けれど、アウルミルが瞬時に腕に力をこめ、防御行動を取ったせいで、先ほどのようにきれいに一刀両断とはいかなかった。骨にぶつかり、途中で刃が止まる。踏み込んだ足にさらなる力を込め、石畳がひび割れるほどの勢いで踏ん張ると、力任せにぶった切った。
「ちっ……!」
この程度ではだめか、とアウルミルは舌打ちを一つ、(やはり初撃で防御術式を全て吹き飛ばされたのは痛かったな)と思考を巡らせる。どういう訳か、クリスからの怒濤の銃撃を受けて以後、アウルミルが防御術式を復活させようとすると、術式の構築が阻害されてしまうのだ。そのせいで先ほども、カイトの斬撃を防ぎきることができなかった。
まったく忌々しい。と内心で悪態を吐くも、起きてしまったことは仕方がない。できる限りこの小僧からの攻撃は受けない方向で動くしかないか、と思考を切り替えるアウルミル。刀を振り抜き、がら空きになった胴体へと容赦のない前蹴りを叩き込み、吹き飛ばそうとする。
が、その狙いは読んでいたとばかりに、ルートは自身の腹に深々と爪の突き刺さった状態のまま、アウルミルの足をがっしりとホールドした。素早く刀を順手から逆手に持ち替え、膝の関節へと差し込むように刃を突き立てる。
強烈な痛みに奥歯を噛みしめつつ、こぶしを握りしめ、少年のあどけない顔へとお返しとばかりに強烈な一撃をお見舞いする。
並の人間であればザクロのように頭蓋が弾け飛ぶほどの衝撃。一瞬意識が自分の体から引き剥がされる感覚に襲われるが、それでも相手の足を離しはしない。爛々と瞳を輝かせ、逆に闘志を燃え上がらせた。
という一瞬の硬直を逃さず、クリスがアウルミルの肩に飛び乗り、その顎に渾身の膝蹴りをぶちかました。
不意の一撃に脳味噌が揺さぶられる。目玉がぐるりと反転し、ほんの一秒程度、全身から力が抜けた。直接的な損傷ではないので、折角の常識はずれな回復力も宝の持ち腐れ、脳震とうの前では無力である。
そして、そんな絶好の機会を見逃すほどルートもバカではない。喉の奥からひっきりなしに血液があふれてくるので(あぁ、これは内臓半分くらい潰れているな)と思いつつ、逆手で脇差しを引き抜き、アウルミルの腹へと深々と突き立てた。そのまま傷口を支点にして、相手の体内を刀身でぐちゃぐちゃにかき回す。
小柄な体躯を活かしてアウルミルの肩の上を器用に移動したクリスは、今のところ肘から先がないので、自分の胴体並に太い首に両足を絡め、思い切りのけぞることで自重を利用して相手の首を絞める。踵で頸動脈を押さえられればベストだったのだろうが、悲しいかな、クリスの矮躯ではそこまでの足の長さが足りず、気道を押し潰すのが精一杯だった。
再生途中のまだ毛皮に覆われてもいない腕で首に回された少年の細い足を掴むと、それを力任せに握りつぶす。骨と肉の潰れるイヤな音が響くが、それでも首を絞め上げる力が緩むことはない。ならば、と掴んだ足を引っ張って無理矢理にロックを外し、クリスの体を石畳に叩きつけようとする。
けれど、白刃一閃、ルートの放った斬撃が、その狙いを阻止する。それも、まさかのクリスの足を両断するという方法で。
少年の矮躯は振り上げられた勢いのまま宙を舞い、けれどもそのわずかな間にきちんと体勢を整え、一本足でも見事に着地してみせた。太ももの半ばから先を失った形だが、なぜか出血はない。理由は、傷口を見れば明らかだった。
焼きしめられている。
刀で切られた部分がそのまま、きれいに焼きしめられており、故に血の一滴もこぼれてはいないのだった。
これはいったいどういうことか?と、アウルミルは不思議そうに己の手の中に残された少年の太ももから先をしげしげと見つめる。
「知りたいですか? 教えてあげますよ」
本差しを鞘におさめ、脇差しを手にしたルートがかすかに笑う。その額には脂汗が浮かんでおり、大量の血を失ったことで美しい白磁の肌はすっかり土気色になってしまっているが、それでも瞳に宿した輝きを失ってはいない。
「これ、この刀、僕の家に代々伝わっている名刀でしてね。銘を「緋炎」というんですが、この刀、名前の通り刀身に炎が封じ込められていまして、切ったものを高熱で灼き尽くすことができるんです。こんな風に……ね?」
不敵な笑みと共に指を鳴らすルート。直後、アウルミルの腹が内側から炸裂した。
「あ、クリスの傷にはこんなもの仕込んではいませんよ、もちろん。彼がこれ以上失血するのは命に関わると判断したから傷口を焼きしめただけですから」
にっこりと笑って解説するルートだが、内臓を丸ごと吹っ飛ばされたアウルミルには、当然、そんな話に耳を傾けている余裕はない。
帝都中に放った配下の吸血鬼から魔力を吸い上げ、アウルミルは全身全霊をもって傷の回復を図る。
「なるほどなるほど。それがあなたの不死の形ですか。血を分けた眷属ですら自らの命のバックアップに使う。なるほど。だからレオン殿に聞いていたよりも手応えがなかったんですね。村攻めと城攻めでは必要な戦力の規模が違う。それだけ血をばらまけば、必然、本体の力は弱まる。悪手でしたね」
クリスの落としたショットガンを拾い、うずくまったアウルミルの脳天に突きつけた。弾は既に装填されている。あとは引き金を引けばいいだけ。ぜいぜいと肩で息をしながら、それでもルートは気力を振り絞り、ショットガンの弾に自らの魔力もつぎ込み、威力を上乗せしていく。
「当然、あなたは頭を吹き飛ばされたくらいでは死なないのでしょう。でも、重要な器官の再生は、それだけ大量の魔力を消費する。あと何回あなたの頭を吹き飛ばせば、あなたの魔力は尽きるんでしょうね?」
カチリ、と引き金を引く。
轟く銃声。
気力だけで立っているに等しかったルートは、反動で尻もちをついてしまった。脳漿や血液その他諸々の混じり合った赤黒い塊が飛び散り、支えを失った上顎が石畳の上に落ちる。頭部の上半分を喪失した巨躯は音を立てて崩れ落ち、残された下顎からだらりと垂れた舌が砂利を舐める。
「救護班……クロードさんたちの治療が終わったら……ぼくとクリスの分もお願いします……彼の再生が終わる前にこちらもある程度回復しておかないと……救護班……? 救護班……?」
反応がないことに疑問を抱き、背後でカイトたちの治療をしているはずの救護班を振り返れば、そこには彼の予想だにしていなかった光景が広がっていた。
散乱する肉塊。おそらく元は手足だったのだろうと推測できる形状のものもあれば、これは胴体部分に違いないと確信できてしまう大きさのものもある。そういったものが優に数人分は無造作にまき散らされている。今までなぜ気付かなかったのかと不思議に思うほど濃厚でむせかえるような血の匂いが、鼻腔を貫く。
それだけでも十分驚愕に値する光景だったが、その程度であればなにも吸血鬼でなくとも、魔物と戦っている時にも遭遇する光景である。ルートの心をなによりも驚かせたのは、その光景の中心、おそらくはその光景を生み出した張本人。まだ五体満足だった救護班の班員を、頭から丸かじりにしている巨大な熊のごとき獣の姿。
「あ、アウルミル……なぜ……あなたは確かにそこに……」
「ふむ? これは異なことをいう。おぬしが自分で言っていたではないか。我輩は眷属を命のバックアップにしている、と」
大口を開けて腰のあたりまでかじりとり、ぼたぼたとこぼしながら咀嚼し、音を立てて嚥下する。人の命を喰らった分だけ、彼の魔力が充実していくのが肌で感じ取れた。
「故に我輩は損傷が激しく、修復してもすぐにまた甚大な被害を受けてしまいそうなその肉体を捨て、手近にいた眷属の体へ魂を「上書き」したのさ」
レオン殿の言っていた「命のバックアップ」とはそういう意味だったか。自らの浅慮さに歯噛みしたくなるルートだったが、今はそれをするだけの余力も残されてはいなかった。故に、上半身を喪った救護班の死体を適当に投げ捨て、気力万全といった体のアウルミルがゆっくりと彼の元へ近付いてくるのも、尻もちを着いた体勢のまま見上げることしかできない。
「あの鉄拳坊主ならこんな状況でも立ち上がってくるのだろうが、さすがに人間を買いかぶりすぎたかな」
少し寂しそうな色を混ぜた声で呟き、アウルミルは分厚い鋼鉄ですらねじ曲げるほど強靭な前脚を振り上げる。そして、「僕はレオン殿とは違います…所詮、刀を振るうしかできない愚図なんですよ…」と静かに瞳を閉じたルートの、その憔悴しきっていてもなお美しいと感じてしまう美貌めがけて、鋭利な爪を振り下ろ――
「……いや、ダメだろう、それは……」
――そうとした時、か細く、けれども強い意志の込められた声が、吸血鬼の背中へと投げかけられた。
「ふむ、この期に及んでまだあらがう気力があるとは。我輩は少しうれしいぞ」
牙を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべ、アウルミルが声の主を振り返った。
そこにあったのは、大剣を支え代わりにした、息も絶え絶えのカイトの姿。ほんの数分前に文字通りの「腸詰め」をしたばかりなので、本来であれば意識があることすら奇跡と言っても過言ではない状態。
それでもなお、彼がここで立たねばならない「理由」。立ち上がるだけの力を生み出している「理由」。それはとりもなおさず、目の前に立ちはだかる仇敵に関連するものだった。
「俺が……俺が強くなりたいと思ったのは……本当は……皆の仇が取りたかったからじゃない……」
半分意識のない状態で、それでもここでただ寝ている訳にはいかないと立ち上がったカイト。その朦朧とした意識が、今まで心の奥底にひた隠しにしていた「本音」を言葉にさせていた。
「……あの時……俺はまだ小さくて、剣もろくに振るえなかった…大切な人を守るだけの力がなかった……だから誰も守れなかった……救えなかった……でも……そんなのはもういやなんだ……俺は……俺は……」
震える足から力が抜け、カイトは無様に膝をつく。けれど、それでもなお、固く握りしめた大剣から手を離しはしない。その大剣こそが、村に遺されていた彼の家族の形見。彼が強くなろうと決意したその覚悟の現れなのだから。
「……だから、俺は……皆を守れるだけの力がほしい……!!」
瞬間、彼の背後から緑色の光が立ち上った。それはとても細く、けれど優しく、どこまでも天高く昇っていこうと、決して消えない光。
その輝きに呼応するように、カイトの手の中で大剣が脈動する。剣身から淡い燐光がにじみ出し、カイトの体へと吸い込まれていく。
「これは……?」
その燐光が体内に吸収された瞬間、カイトは驚くほど視界がクリアになっていくのを感じる。あれだけ鉛のように重かった体も、今では羽のように軽い。腹に手を当てれば、そこには無理矢理傷を塞いだ痕跡もなく、内臓をごちゃっと詰め直したあとの不快感もない。あらゆる傷が瞬きをするうちに回復していた。
とめどなくあふれ出す燐光は周囲に倒れ伏す人々にも分け隔てなく降り注ぎ、彼らの傷も癒していく。
カイトの様子を興味深げに観察していたアウルミルが、不意にたたらを踏んだ。前脚を額に当て、もやを振り払うようにかぶりを振る。蛍火のように辺りを漂う燐光が、彼の魔力を吸収していったのだ。
いや、最早そのえげつなさは吸収などという優しい表現では適切ではない。搾取や簒奪と言った方がいいだろう。一瞬、彼の意識が混濁するほどの勢いで、燐光はアウルミルの魔力をごっそりと奪い取っていった。
「これは……なんだ、この感覚……? 色んな情報が頭の中に流れ込んでくる……?」
カイトも額に手を当て、戸惑いを隠すことなくかぶりを振る。しかし、こちらは意識が混濁したという訳ではなく、突如襲ってきた情報の洪水に面食らったと言った方が正しい。
「これは……意識が……感覚が広がる……? つながる……? いや、違う……広がったものが収束していく……」
うわごとのように呟くカイトの言葉を聞き、アウルミルが眉間にしわを寄せる。まさか……?と、失われた魔力を補充するように、全身へ力をみなぎらせていく。
そして、燐光の放出が最高潮に達した瞬間、大剣全体が一際強く光を放ち、ほんの数秒の間だけ真昼かと思うほどの輝きが周囲を照らし出した。
光が収まった時、カイトの手の中にあった大剣は、その形状を大きく変化させていた。無骨な鉛色だった剣身は新緑のごとき澄んだ翠に変わり、両刃は片刃に。柄頭には剣身と同色の宝玉がはめられていた。
その姿はまさに、創世神話の伝承に出てくる流浪剣シルフェリオンそのもの。
「貴様、その剣は……!!」
というより、アウルミルの反応を見るに、この剣こそがシルフェリオンだと判断していいのだろう。アウルミルは、ようやく見つけたと言わんばかりに喜色満面、鬼気迫る表情で全身の毛を逆立たせ、可視化されるほどの濃度で曼荼羅のごとき術式が空中に描き出される。
それは紛うことなく、アウルミルの本気。それまで一度も、ルートとの戦いですら見せなかったアウルミルの本気。
いくつもの術式を複雑に組み合わせ、相互に干渉させ、反発させ、何倍にもその効果を増幅させていく。それはあまりにも常識からかけ離れた大魔術。見る人が見れば、世界の理が軋みを上げる音が聞こえただろう。それほどまでに世界のルールを歪める暴挙。
しかし、術式が完成し、練り上げた歪みを解放することはなかった。
どこからともなく飛来した黒き影のごとき刃が、術式ごとアウルミルの胴体を両断したのだ。
完全なる不意打ちに驚く暇もなく、二撃、三撃と追撃がやってきて、あっという間にアウルミルの四肢を切り落とし、その巨体を達磨に変えた。
「ぬっ!?」
すぐさま再生に取りかかろうと損傷箇所に魔力を巡らせたアウルミルだったが、その表情が驚愕の色に染まった。
それもそのはず。傷が再生できないのだ。クリスの銃撃を受けて防御術式の構築が阻害されていたアウルミルだったが、それでも肉体の再生は問題なく行えていた。だというのに、今の攻撃を受けた場所は、魔術を使うまでもなく行えるはずの肉体の超速再生ですら実行することができない。
今回の侵攻で一番の異常事態に直面したアウルミルの思考はフリーズしかける。しかし、この程度の異常事態でいちいち致命的な隙を見せてしまっていては、数百年もの間生き残ることなどできない。血の一滴すら出ないほどに綺麗な切断面へとすぐさまかじり付き、自らの牙で新たに傷を付けることで、そこから喪った部位の再生を試みる。
(ええい、再生が遅々として進まぬ! これは再生が阻害されているというよりは、再生する必要がないのに無理矢理再生しようとしているような……骨が正しくつながっているのにその上でさらに元の位置に直そうとしているような、そんな感覚に近い……つまりこれは――)
「同族殺し! 貴様か! この時代遅れの遺物の狗めが!」
自らを襲う異常事態の原因に思い当たったアウルミルが吠えた。何故彼がこんなに焦っているか。その理由は、やはり先ほどの不意の斬撃にあった。
先ほどの斬撃は彼の肉体を損傷させただけでなく、彼の手足に満ちていた魔力、彼が練り上げた術式にこめていた魔力を、彼自身から切り離していた。だけでなく、彼と彼の眷属とのつながりすらも断ち切っていた。まさにあらゆるものを「遮断」する一撃。
もし自分が食らっていたのでなければ、アウルミルはその一撃を、そこにこめられた長年の血のにじむような研鑽に、賞賛の言葉を贈っていたことだろう。しかし、自身がその被害者となったのでは全く話は違う。
なにしろ、彼の「不死」は眷属の多寡に大きく依存するのだ。眷属とのつながりを絶たれ、どうすれば再接続できるのかも全く分からない現状では、彼の命のストックはないに等しい。おまけに全身に満ちていた魔力も七割方失ってしまっている。
つまり、今のアウルミルは、迂闊に傷を負う訳にもいかない状態なのだ。
ルートやカイトたちが決死の思いで死闘を繰り広げ、それでもたどり着けなかった境地へと、どこからともなく飛んできたほんの数発の斬撃があっさりと目の前の大吸血鬼を追い込んでしまった。
けれど、それを悔しがる余裕のあるものは、今、この場に誰もいない。むしろ、そうやって絶好の機会が目の前に転がり込んできたことに感謝すらしていた。
「貴様! それは我輩の魔力だ! 貴様のような虫けらごときがおいそれと触れて良いものではない!」
元の骨格や筋肉などを瞬時に複製し、傷を負う前の状態に戻す通常の再生とは違い、肉の芽のようなものを急速に成長させて新たに四肢を作り出すという方法で失った肉体の修復をしているため、すぐには動くことのできないアウルミルが、再び有らん限りの声で吠えた。
それもそのはず。彼の切り落とされた方の四肢に充填されていた魔力を、シルフェリオンが吸い上げているのだ。
アウルミルとのつながりを絶たれた魔力は急速にニュートラルな状態へと回帰していた。つまりは自然魔力と同じ状態、魔術の覚えがあるものであれば、誰でも手軽に扱える状態にだ。
大気中から魔力を吸収していたシルフェリオンが、身近に転がる特大級の魔力の塊を見逃すはずもなく、アウルミルが肉体の再生に注力している隙を突いて、元・彼の魔力を根こそぎ奪っていったのである。それは何百年とかけてアウルミルが培ってきた魔力。それを目の前でむざむざと他人のものにされては、怒鳴りたくなる気持ちも分かるというもの。
しかし、現実は非情であり、しかも、彼が今までにしてきたことを思えば、自らの魔力を利用した攻撃に殺されるというのは、自業自得であるとしか言い様がなかった。
「貴様! 待て! 待つのだ! 我輩を殺すということがどういう意味か、貴様は理解しているのか!? 我輩を失えば、世界はいずれまたあの女の脅威に怯える日に逆戻りするのだぞ!?」
ハイハイもろくにできない状態のまま、必死に命乞いをするアウルミル。そのすっかり小さくなってしまった体躯を見下ろし、すっかり回復したカイトは静かに息を吐いた。
「知るか、そんなこと。俺は、俺に手の届く範囲の皆を守れればそれでいい。世界なんて大層なもの、知ったこっちゃねぇんだよ。そういうのは、そういうのが好きな奴らで勝手にやってろ」
頭上高く掲げるまでもなく、さっくりと振り下ろされた刃。赤子のように細くか弱い四肢しかなく、いまだ防御術式を組み上げることのできずにいるアウルミルでは、それを防ぐことなど到底できようもなく、「ぐぎゃっ」とカエルの潰れたような声が、最低でも数百年という永い時を生きてきた彼の最期の言葉となった。
主を喪い、行き場をなくした魔力が大気中へと拡散を始める。それを先ほどと同じようにシルフェリオンが吸い上げ、再び燐光として周囲へと放出する。
そうして簒奪したアウルミルの魔力のほぼ全てを使い周囲の人間の傷や欠損を残らず治療したところで、大剣は役目は果たしたと言わんばかりに元の無骨な鉄の塊じみた形状へと戻った。
と、同時に、カイトの顔に朝日が当たる。長い長い夜がようやく明けたのだ。
(なるほどな。もう夜明けが近かったから、こいつはいい加減遊んでばかりもいられないなんてこと言ってたのか)
家々の隙間を縫って差し込んできた朝日がアウルミルの遺骸を灰のように溶かしていく様子をじっと見つめながら、カイトはそんなことをぼんやりと考えていた。そして、大怪我を負った仲間たちが無事に起き上がってくるのを確認したところで、彼は、全身の魔力炉がオーバーヒートを起こしてぶっ倒れた。
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