結:暁の訪れを仰ぎ待つ(1)

 学園同様警戒態勢の敷かれている帝都の内部では、至る所に篝火が立てられており、暗視ゴーグルをつけずとも馬を走らせるのに支障がない程度には明るさが確保されていた。「深夜の帝都」というものが珍しいカイトやクロードはきょろきょろと辺りを見回しながら、時折出くわす巡回の兵士たちの邪魔にならない程度の速度で移動していた。

「二人は外泊ってしたことないの?」

 物珍しげに辺りを見回すカイトとクロードに、あくびをかみ殺しながらクリスが訊ねる。

「あぁ、別に必要性感じなかったし、買い物だけなら日中あれこれしてれば十分事足りてたしな」

「右に同じく」

「ふーん、意外と純朴なんだ」

「怒るぞ、こら」

「あっはは、これでも褒めたつもりなんだけど……あ、ほら、第一城壁見えてきた。カイト、預かった書状落としてない?」

 話を逸らすように前方を指さすクリス。しかし、実際タイミング良く彼らは目的地付近へとやってきていた。

 帝都周辺の教区を管理するクローディア大聖堂。地上数階建てにも匹敵するその巨大な建造物は、彼らが今いる位置から、昼間であれば城壁越しに尖塔部分が見えるほどの距離にあった。一歩城門をくぐってしまえば、もう到着したと言っても過言ではない。

「あ、門番さーん、すいませーん。ちょっといいですかー?」

 街中で衛兵に道を尋ねるかのような気楽さ。目的をほぼ達成したも同然の状態となり、一行の間には先ほどの緊張感はどこへやら、半ば遠足気分のようなものが漂い始めてさえいた。圧倒的防備に囲まれた帝都の中で、外部の戦闘での音がその臨場感と緊迫感を失うほど遠くからこだましてくる程度のものになり果てているのも、彼らに気の緩みを誘う要因の一つとなっていた。

「ん、なんだ、お前たち。まるで激戦地をくぐり抜けてきたみたいに泥だらけだぞ?」

 対する門番たちも、まさかここにまで被害が及ぶことはあるまいと、どこか楽観的な構え。こんな日に第三城壁の担当だった部隊は運がなかったと、そんな風にすら思っていた。

 事実、篝火に照らし出された薄明かりの中に、不審なものが動く気配は一切ない。周囲の住民たちも建物の中で静かに待機しており、カイトたち以外に通りを行くものもいない。第二城壁の外側のようにあわただしく巡回の兵士たちが歩き去っていくこともないし、夜空の向こうから時折思い出したように戦闘の音が遠雷のように轟いていることを除けば、本当に第一城壁周辺は平和そのものだった。

「いやぁ、その「まさか」なんですよー。ちょっと大聖堂の方に用がありまして。通してもらっても大丈夫ですか?」

「ふむ……まぁ、問題はないと思うが、一応身分証か何か確認させてもらえるか?」

 馬から降りることもせずに話しかけてくるカイトたちにも気さくに応じる門番。馬車が悠々通れるほどの大きさの城門脇に控えていた二人のうち、近い方にいた一人が歩み寄ってくると、カイトは懐から丸めた書状を取り出し、「どうぞ」と手渡す。それを受け取った門番は面頬を押し上げ、近くの明かりにかざして封蝋部分の紋様を確かめた。

「……これは、アティール子爵の印だな。ルート卿からの使者ということか。ということは、やはり「学園」も襲撃を?」

「……えぇ、そうです。それで……こちらの支部にも状況を報告し、応援を要請せよということで俺たちが派遣されてきた訳です」

 嘘は言っていない。しかし、それが「誰」の指示によるものかは明言していないだけだ。本人不在の状況で勝手に貴族の封印を使ったとあらば、最悪その場で即打ち首ということもあり得る。できれば危ない橋は渡りたくないというのは、当然の心情だろう。

「なるほど、了解した。今門を開けてやろう」

 カイトへと書状を返した門番はそう言って振り返り、けれど、突如馬の胴体にしがみついたクリスの放ったアクロバティック極まる延髄蹴りにより、城門とは反対方向へ吹き飛ばされた。

「お前、何を……!?」

「皆、避けろ……!!」

 思わず誰何の声を上げたカイトだったが、クリスはそんな事は些事だと言わんばかりの勢いでカイトの手から手綱をひったくる。

 いきなり思い切り手綱を引っ張られた馬が戸惑いと怒りのいななきを上げ、カイトとクリスは振り落とされそうになる。


 が、しかし、通りの向こう側から飛んできた一軒家ほどの大きさもある巨大な瓦礫が城門へと突っ込み、巻き起こされた突風で馬ごとカイトたちが吹き飛ばされる方が早かった。

「なっ、ばっ、はぁっ!?」

 丸々数mは宙を舞い、したたかに背中を打ち付けたカイトが、まるで状況を把握できないといった表情で素っ頓狂な声を上げた。しかし、それもむべなるかな、直前に危険を察知したクリスを除く面々は、皆一様にカイトと同じような表情を浮かべていた。

「ここ、第一城壁の真ん前なんだけどぉ!? そういうサプライズは戦場でやってもらえるかなぁ!?」

 一切隠すつもりもなく怒気を露わにするクリス。その珍しい姿に驚き、関心を寄せられるだけの精神的余裕が、残念ながら今のカイトたちにはなかった。

「ぬう? 時代遅れの遺物のわりには意外と頑丈だな、今の一撃で崩壊しておらんとは」

 突風にかき消された篝火の向こう、突如として生み出された暗闇の中から、まるで何十年、何百年と経てきたかのようにしわがれた、しかしそれでいて隠しきれない獰猛さの垣間見える声が響く。

 その声の主が「誰」なのか、瞬間的に理性とは別の部分で理解したカイトたち。ただそれだけで、たったそれだけのことで、彼らは周囲の気温が下がったような錯覚に襲われる。背筋から怖気が這い上がり、全身の肌が粟立つ。

 「ただそこにいる」だけで、世界に対して強烈な違和感を与える存在。


 吸血鬼。


 数百年と時を重ね、力を蓄えた「それ」が、「世界」に対してどれほどの影響力をもつのか。何が起きている訳でもないのにびりびりとしびれる肌が、それを身をもって教えてくれる。

「まぁ、そりゃそうだよね。この城壁の材料は神代の石だ。適当にぶん投げただけの瓦礫で砕けるようなら、創世期の混沌を乗り越えられはしないよ」

 素早く飛び出し、撃てば肩が外れるどころか腕ごと吹き飛ばされてしまいそうなほど大口径のショットガンを二丁、通りの向こうからのっそりと姿を現した巨体へと向ける。

「君だってそのくらい昔から生きてるクチなんでしょ? 聞いた話じゃ五百年はかたいとか」

 銃声がつながって聞こえるほどの速射。魔力で筋力を増幅し、さらには大気の流れを操作して銃身全体をがっちりホールドした上での大乱射。左右きっちり十二発ずつの合計二十四発。緒戦の開幕にぶっ放した数の実に四倍。大通りの向こうにまで発射音が反響し、さながら音波兵器でもぶちかまされた後のような、ツンと耳障りな静寂が辺りを満たした。

「何者だ、貴様? どこから現れた?」

「どこからも何も、君の方がぼくたちのことを路傍の石程度にしか認識してなかったんじゃないか。道ばたの野草を踏んづけるように瓦礫の被害に巻き込んでおいて、「どこから現れた?」は流石に心外だよ?」

 馬小屋の一つでも吹き飛ばせるんじゃないかというほどの連撃を叩き込まれておきながら、土煙の向こうから現れたのは、傷はおろか毛並みの乱れ一つさえ見当たらない巨大な熊のごとき化け物の姿。

 これにはさすがのクリスもそんなバカなと驚きに目を見開くかと思いきや、そのあどけない顔に浮かんでいるのは、「いや、これでいい」と言わんばかりの不敵な笑み。

 その笑みの意味するところに気付いた瞬間、それまで虫でも見るかのような目つきをしていた化け物――アウルミルの形相が一気に険しくなる。

「……貴様、いったいどんな手品を使った? この我輩の毛皮から防御魔法を全て引き剥がすなど……」

「聞かれて素直に答えると思う? 初対面だから分かんないかもしれないけど、ぼく、こう見えて相当怒ってるんだよ」

 無造作に振り払われたアウルミルの大木のごとき前脚。かすっただけでもクリスの矮躯などズタズタに吹き飛んでしまうだろう。それを軽く後ろに跳んで避けたクリスを、礫の雨が襲った。振るった前脚でわざと石畳を砕き、それを握りこんで返す刃にぶん投げたのである。

 なんとも乱雑な攻撃。しかし、馬車よりも大きな瓦礫を平然と投げ飛ばせるような膂力から放たれれば、そんな適当極まりない攻撃でさえ、相手に重傷を負わせるに十分な威力となってしまう。

 全くもって規格外。いや、そもそも人間のスケールに当てはめて考えること自体が間違いなのだ。なにしろ、今クリスたちが相対しているのは吸血鬼。人外の理を以て世界の摂理に刃向かうもの。本来であれば、ただの人間では彼らに障害として認識されることさえ到底不可能な高みにいるもの。

「すみません、この馬に乗って応援呼んできてもらえますか? 俺たちで「アレ」の足止めをするんで」

「いや、君たち何を言って……!?」

 風圧に押し倒されはしたものの、どうにか走れる程度のダメージで済んでいた早馬の手綱を引き、カイトがいまだうつ伏せのまま痛みに喘いでいた門番へと声をかける。

「何も捨て鉢になってる訳じゃあないですよ。この場ではおそらくあなたが一番重傷です。んで、この場で一番城壁の内側に顔が利くのもあなたです。だから、この場で最も戦力を落とさずに増援を呼んでこられるのは、あなたなんです」

 そのように説明されれば、確かに門番がこの場を離れ、近くの大聖堂などに応援を呼びに行くのが、一番効率のいい方法に思える。帝都を守る軍人のはしくれとして、こんな年若い子供たちにこの場を任せなければいけないことへの葛藤は当然あるが、しかし、この場における最善が何かを考えれば、カイトの言っていることの妥当性を認めない訳にはいかなかった。

「……くそっ! すまない、私が不甲斐ないばかりに……」

「大変申し訳ないんですけど、今はそういうのいいんで、なるべく早く行動を開始してもらえると……」

 さっと手綱を門番に手渡すと、すぐさま反対の手に携えていた大剣を両手に構え、後ろに控えるレナとクロードに目配せ一つ、気合いの雄叫びと共にアウルミルと一人戦うクリスの元へと駆け出していく。

 有無を言わせぬその強引さに若干呆れつつ、門番も今取れる最善の行動をなすため、悲鳴を上げる体に鞭を打ち、馬の背中に飛び乗るのだった。

「クリス、大丈夫か!?」

「見て分かることをいちいち聞いてる余裕ある?」

「ひとまず、無駄口を叩く余裕はあると分かったな」

「なんだ、おぬしら。小バエのようにうじゃうじゃと」

 肩で息をするクリスに並び立ち、カイトとクロードがそれぞれの得物を構える。その様を見て、また邪魔が増えたとばかりに、アウルミルは顔をしかめる。遠ざかっていく蹄の音をちらりと見やるが、そんな些事よりはまず目の前の火の粉を払うのが先か、と再び視線をカイトたちへと戻した。

 その悠長な態度に自分たちがものの数として数えられていないことを察したカイトは奥歯をきつく噛みしめるが、激昂して飛びかかるようなマネはせず、ただ怒りを大剣の刃へと乗せるべく、静かに、ゆっくりと息を吐いた。

 そんなカイトの様子を横目に見ていたクリスとクロードは、(お、意外に冷静……)などとカイトが知ったらツッコミを入れてきそうな感想を抱いていた。

「なぁ、一つ質問に答えてくれないか?」

 限界まで怒気を抑えて静かに紡いだ言葉。本来なら欠片も応じる必要のないその問いに、何故かアウルミルは出来心を抱いた。

「あぁ、かまわんぞ。先ほどの手品への駄賃だ。一つだけなら有象無象の言葉にも耳を傾けてやろうとも」

「そうかい、そりゃどーも」

 クリスがいつものようにぶーたれるかと思い、カイトは横目で少年の姿を見やるが、いつになく真剣な顔をしたクリスは、目だけで話の先を促した。その様子に内心驚きつつ、カイトは目の前の巨体へと視線を戻した。

「……ツェリエガ村。あんたが十年前に襲った村の名前だ。あんたはもう覚えちゃいないだろうが、もし可能なら、そこを襲った理由が知りたい」

「ふむ、つまりおぬし……「食い残し」か。おかしいな、あの鉄拳坊主がしゃしゃり出てくるまでの間に、あの村にいた人間は全て食い尽くしたと思っていたのだが」

 ツェリエガ村。その名を聞いて、アウルミルはどこかなつかしそうに、けれども忌々しげな渋面を浮かべて、当時の記憶を呼び覚ます。毛深いあごをざりざりと撫でさすりながら、数百年の時を生きてきた吸血鬼が、その心中を吐露した。

「生き残りがいたとあらば、たしかにそやつには我輩に慟哭をぶつける権利がある。何故自分が悲劇の主人公へとなり果てねばならなかったのか誰何する義務がある。よかろう、教えてやる」

 少し長話になると判断したアウルミルは、その場にどっかりと腰を下ろした。

 それでもまだ、ようやく立っているカイトたちと目線が同じになった程度。熊のように猫背で立っていたため分かりにくかったが、きちんと背筋を伸ばせば、カイトたちの倍は優にあるだろう。それほどの巨躯。

 自分たちが対峙していた相手の威容に不意に気がつき、クロードが生唾を飲み込んだ。それでも一歩も引くことはない。どころか、摺り足で密かに立ち位置を変え、後ろで相手に気取られないように魔術の準備に取りかかっているレナの姿を自分の体で隠すまでしてみせた。

「あの日、あの晩、我輩があの村を襲ったのは、あの村に我輩の探しているものがあるやもしれんと知ったからだ。我輩はな、小バエども、吸血鬼となったのは単に不老不死を求めたからではない。我輩の野望を達成するには、人の一生があまりにも短すぎたので、定命の道から外れるために肉体と魂のつながりを断ち切り、吸血鬼となったのだ」

 つらつらと語り出される言葉。まるで長年誰かに語って聞かせるのが夢だったと言わんばかりの饒舌っぷりだった。

「我輩の野望、それは……この世界を全て我輩で覆い尽くすことよ。我輩の自我を肥大させ、あらゆる生物へと感染させ、伝播させ、世界中を我輩で覆い尽くす。そして、果てにはこの世界すらも「我輩」にする。我輩はあらゆる叡智を知り尽くし、この世界の根元を暴き、唯一無二の存在となって三千世界に君臨する。それこそが我輩の千年の悲願よ」

 それは、有り体に言えば世界征服。しかし、の吸血鬼の企図するところは、それよりもはるかに獰猛で残酷だった。

「だが、一つ問題があってな。我輩の属質は支配や搾取には向いていても、肝心の伝播、感染の部分にはてんで適性がなかったのだ。これでは我輩の意識をありとあらゆるものに植え付け、隷属化するという目論見が達成できない。そこで我輩は考えた。自分に適性がないのなら、適性のあるものを利用すればよいのだと」

 熾天の十二冠セレスタリア。いくら小バエでも名前くらいは聞いたことあるであろう?とアウルミルはカイトたちへと視線を投げた。

 それは、かつて天地開闢の際に聖レヴェノスとその従者たちが身につけていたと言われる礼装の名前。全部で十二あるというそれらには神代の力がそのまま宿されており、一つだけでも国を揺るがすほどの力を秘めていると言われている。

 しかし、それらは聖レヴェノスが地上を去ったあとの未曾有の動乱の中で散り散りになり、現在では半数にも満たない五つしか所在が判明していない。

 三つは聖レヴェノス教会がどうにか手元に残し、一つはクレメント帝国に連綿と継承され、最後の一つは三百年ほど前に海を越えた向こうにあるセディオン皇国で発見された。

「だ、だが、このクレメント帝国にあるのは炎獄の剣、レーヴァテインのはずだ。伝播の性質を持つ「風」の礼装ではないぞ?」

「ははは、さすがは小バエ。考え事が苦手と見た。既に所在の判明しているものであれば、わざわざ探したりなどはせんよ」

 クロードが口にした疑問を、アウルミルは大笑と共に切って捨てる。その意味するところはつまり、

「新たな熾天の発見……? そんな……そんなもの……世界の歴史に刻まれるほどの大事件だぞ……!?」

 目の前の吸血鬼の言わんとしているところを悟り、クロードは驚きに満ちた声を上げる。もしそれが本当であれば、千年もの間人々が探し続けて、それでも見つけられなかった人類の至宝が、何の変哲もない片田舎にずっと眠り続けていたということになる。なんと滑稽な話なのだろう。

「……それで、俺の村にそんな大それたものがあったのかもしれないって話と、俺の村の住民が根こそぎ縊り殺されたことと、何がどうつながるって言うんだよ。まさかとは思うが、あんた、「その方が手っ取り早かった」なんて言わないよな……?」

「まさかも何も、そうに決まっているだろう? いちいち住民一人一人から情報を絞り出したり、地元の記録などに当たったりして地道に情報を集めていくよりは、村ごと食い尽くして記憶や知識を丸ごと吸収してしまった方が手っ取り早いに決まっている」

 今にも奥歯をかみ砕きそうなほどの形相で、けれども理性をフル動員して表面上は冷静に言葉を絞り出したカイトの努力を、アウルミルは全くの無意識にあざ笑った。捕食者と被捕食者の決して埋められぬ意識の差。それがここにある。


 瞬間、カイトの全身が脱力した。


 そして、縮地のように目にも留まらぬ早さで間合いを詰め、両手で構えた大剣を憎き仇へと逆袈裟に叩き込んでいた。

 それはまさに「風」のごとき裂帛の一撃。

 生物にとって必然的に無防備になる腹部を狙って放たれたその斬撃は、相手が相手なら間違いなく一刀の元に両断できるほどの威力を秘めていた。

 だがしかし、相手は吸血鬼。それもただの吸血鬼ではなく、数百年の時を生き、「凶星の祖」に列せられるほどの力を持った大吸血鬼である。先ほどクリスの攻撃によって防御魔法が全て無効化されていたとはいえ、それでも強靱な毛皮が斬撃の威力を全て受け止め、薄皮一枚を傷つけた程度で刃は止まってしまった。

 だが、それで十分とばかりに口角をつり上げながら、カイトは即座に斜め後ろへと跳ぶ。

 そして、鉄壁の防御がわずかに綻んだところで、クロードの投げた短剣がカイトのつけた傷跡に突き刺さる。頑強な筋肉が第二の盾となり、こちらも浅くしか突き刺さらなかったが、間髪入れずにクリスが短剣の柄めがけて銃弾を撃ち込み、その衝撃で奥へ奥へと突き進めた。

 そうして短剣の刃が半ばほどまでアウルミルの体内にうずまると、満を持してレナがたっぷりと時間をかけて練りに練り上げた術式を解放した。

 迸る雷光。並列起動マルチロックオンした術式が絶え間なく魔術で生み出された雷を撃ち出し、アウルミルの腹に突き刺さった短剣を通じて、分厚い毛皮に威力を削がれることなく、ダイレクトに大吸血鬼の体内を焼き焦がしていく。

 たっぷり十秒は轟音が鳴り続け、何十発という雷撃をいち時に放ったレナは、流石に魔力切れを起こしてへたりこむ。すぐさまクロードが駆け寄り、肩を抱き抱えてその場から待避する。もちろん、カイトやクリスは既に爆心地から十分な距離を取っていた。

 たしかに彼らは、今の自分たちができる最高の攻撃を最高のタイミングで叩き込んだ。しかし、それであっさりと倒せてしまえるほどヤワな存在を相手にしている訳ではないことも、十二分に把握していたのである。

「ふむ、なかなかどうして、存外に骨のある攻撃だったな。小バエと称したことは詫びよう。おぬしらには子鹿程度の力はあったようだ」

 もうもうと立ちこめる煙の向こうから悠然と放たれた言葉。それでも子鹿程度なのかよ、と思わず内心でツッコミを入れてしまうカイトだったが、流石にそれを実際に口に出すほどの精神的余裕はない。

「さて、ではこれで有象無象の戯れに付き合う時間も終わりだ。今の攻撃、周囲に危険を知らせる意味もあったのだろう? でなければ雷撃を小出しにする必要性がないからな。全ての魔力を一撃にこめていれば、我輩に膝をつかせるくらいはできていただろうに、まったく、彼我の戦力差を正しく把握できないというのは悲しいものよな」

 攻撃に隠していた意図をあっさり見抜かれ、彼我の経験値の違いを思い知るカイトたち。本当に雷撃で内側から相手の体を焼き尽くすつもりだったのなら、一発の強力な電流を絶え間なく流し込み続ければいい。

 けれどあえて一度に与えられるダメージが減る代わりに何十発という雷撃を撃ち込む方針を選んだかと言えば、それは今アウルミルが指摘した通り、雷光が迸る時の轟音を長時間響かせ続けられるからである。それによって周囲に異状を知らせ、応援を呼び込む算段だったのだ。

「だが、所詮は子鹿の浅知恵よな。我輩がどうしてこの堅牢な帝都の奥深くまで侵入して来られたと思う? 既に城壁の防衛線は崩れ、帝都全域が戦場と化しているからよ」

 外の城壁は脆かった故な。と口角をつり上げ、鋭利な牙を剥き出しにするアウルミル。

 つまり、第三と第二の城壁をぶち破り、一直線に進軍してきたということ。その過程で配下の吸血鬼たちを帝都中に放ち、内側から防衛ラインを崩したということなのだろう。これだけ時間を稼いでいても、ほんの数百m離れているだけの大聖堂から援軍がやって来ないのも、つまりはそういうことなのだろう。

「一つ褒めるとするならば、激昂し、短絡的に襲いかかってきたと思わせて、その実仲間たちと緻密に連携をとっていたという点、この点は実によかったぞ。我輩も、狙いは手に取るように分かっていたにも関わらず、つい釣られかけたからな」

 そう言ってひとしきり大笑したあと、「では、死ぬがよい」と、興味を失った玩具をゴミ箱に捨てるような声でアウルミルが告げた。

 ぞんざいに振り抜かれた長い前脚。鋭い爪が、白き月の光を受けてわずかに閃いた。

 直後、爪のなぞった空間に斬撃が生み出され、レナを庇うように押し倒したクロードの背中を深く深く切り裂いた。おびただしい量の鮮血が吹き出し、クロードは苦痛の声を上げることもできずに倒れ伏す。

 返す刀の二撃目。今度はカイトが狙われる。すかさず大剣を盾にすることでどうにか防いだ。かに思われたが、腹部に重い衝撃。反射的に手を当てたことでどうにか内臓が飛び出すのは防げたが、それでもカイトの口からは、止め処なく血液があふれ出してくる。

 斬撃は「飛んでくる」のではなく、その場に「生み出される」。つまり、盾など無意味なのである。が、魚を開くように腹を真一文字にかっ捌かれたカイトには、そんなことを考えていられる余裕など精神的にも肉体的にも存在していなかった。滝のごとく口から血液を逆流させながら、その場にくず折れる。即死しなかったのはまさしく奇跡としか言いようがない。

 目の前に広がる惨状に硬直していたのは刹那。クリスは両手の拳銃を再びショットガンへと変え、後ろへと飛び退きながら銃口をアウルミルへと向けた。けれど、その引き金を引くことは適わなかった。

 アウルミルが羽音の不快なハエをねめつけるようにクリスを見た。ただそれだけで、おびただしい魔力を湛えたその眼光は、雑巾でも絞るようにクリスの肘から先をねじり潰した。骨ごとずたずたに引き裂かれ、クリスの腕は片方だけがなんとか皮一枚でかろうじて胴体とつながっていた。

 肘から先がミンチになってしまったクリスは、壊れた蛇口のように両腕から鮮血を噴出させ、喉が割れるほどの絶叫を絞り出す。全身が全力で命の危機に警鐘を鳴らし、視界がチカチカと明滅する。

 それでもどうにか意識を保ててしまった少年は、最後に残ったレナが魔力切れのためにろくな抵抗もできず、アウルミルの強靱な前脚によって弾き飛ばされてぼろ雑巾のように石畳に転がる様子の一部始終を見せつけられることとなった。

 ゴムボールかと思うほどの勢いで石畳の上をバウンドしたレナは、先ほどアウルミルが城壁へと投げつけた瓦礫の破片にぶつかることでようやく止まり、そのままぴくりとも動かなくなる。

「ふむ? まさかまだ意識があるとは。カンが鋭いというのも考え物よな。おかげで楽に死ぬことすらできなんだ」

 とっさに後ろに飛んだことで、クリスは上半身をまるごとねじり潰される最悪の結末だけは回避していた。回避してしまっていた。今までは何度もそのカンの良さに助けられてきたが、まさかそのせいで無駄に長く苦しむ羽目になるとは。まさに皮肉としか言いようがない。

「だがまぁ、安心するといい。すぐにおぬしも仲間たちの元へ送ってやろう」

 わざとゆっくり近付いて相手の苦しむ様を楽しむ……ということもなく、アウルミルはむしろ憐憫の表情を浮かべて、苦痛に喘ぐクリスの頭上へと前脚を振り上げた。そして、そのままひと思いに振り下ろそうとしたところで――

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