後編

 住宅街の端に建つ、何の変哲もない二世帯住宅。そこが祖父の住む家だった。砂川の車を降りて、家を見まわす。どの窓もカーテンが閉められ、中はうかがえない。自動車を1台止めるのがやっとの駐車場は、草が生え放題になっている。築年数20年を超える古い家だが、築年数以上に寂れて見えた。玄関の前放置された、ミネラルウォーターの入りの段ボール。雨風にさらされて朽ちかけていた。


 祖父に電話をしようかと思ったが、止めた。自分の家に帰るのだ、いちいち連絡する必要などない。扉を開けて祖父に会う、祖父は目を丸くする、砂川は……悔しがるかほっとする。それで一件落着。それで終わり。きっとそうだ。祖父が死んでいるはずはない。


 俺は砂川がすぐ後ろにいることを確かめてから、開錠し、玄関のドアを開けた。すぐに家政用AIが入室を感知して、天井のスピーカーごしに声をかけてくる。


「おかえりなさいませ、陸様」


 その声を聴いた途端、少しうれしくなった。ちょっと古めの家政用AI、俺が小学生の時導入したやつだ。名前はカリン。彼女が来たとき、たまたまその日のおやつがかりんとうで、それがそのまま名前になった。いい名前だろう? と聞いてきた父親に「だっさ」と吐き捨てた覚えがある。


「ただいま。じーさんは?」


「陸」と、祖父の声が聞こえる。その声には緊迫した響きがあった。「待ってくれ、まだ待ってくれ。お前が卒業するまで」


「じーさん?」


「待ってくれ。頼む。今日は帰ってくれ。訳は話す。その時が来れば必ず話す」


「訳とは」玄関に踏み込んできた砂川が、天井に向かって声を張り上げる。目の前には、リビングにつながる廊下と、2階へ上る階段がある。祖父は、確かリビング横の寝室を自室にしていたはずだ。


「来客登録をしますか?」とカリン。


「じーさん、聞こえてるんだろ?」


「まだ待ってくれ」


「警察のものです。確認させていただきたいことがあるのですが」


 四者四様の思惑でしゃべるので、会話が一向にかみ合わない。俺は祖父に直接会いに行くことにした。


「カリン、じーさんはどこだ」


「……お探し中です」


「は? だって今、声が」


「お姿が見当たりませんでした」


 訳が分からず腹が立ってきた。いったい何をしてるんだ? 何か事情があるのなら、なんでそれを話してくれないんだ?


 俺は廊下を進み、リビングに入った。


「本当に待ってくれ! まだ早すぎる! お前が卒業し――」


 リビングを横切って、寝室に繋がるドアを開ける。


 薄暗い部屋の中で、空っぽのベッドが見えた。


 その隣に木製の机。


 机の上で、誰かが手を振った、そんな風に見えた。


 いや、それは正確には、手など振っていなかった。


 それは動いてはいなかった。


 祖父の両腕、染みだらけの腕。


 それだけが、机の上に、何かの飾りみたいに、置かれていた。


 腕の根元、祖父の肩と胴体があるべき場所にそれはなく、そこには金属製の箱しかなかった。銀の、PCケースを思わせる箱しかなく、それは胸の代わりなのだろうか、腕はその箱から生えていた。


 俺は入口で立ちすくむ。砂川が息をのんだ。


 声が聞こえた、目の前から。金属製の箱のあたりから、祖父の声がした。


「驚くことはない。見た目はともかく、私はまだ生きている」


 その指に、きらりと光るものがあった。金属製の指輪が、10本の指の根元にはめられている。生存確認装置だった。




 それから数日後、俺はとある喫茶店で砂川と会った。義眼の女は出会った時と同じく無表情で、何を考えているのかがさっぱり読み取れない。呼び出してきたのは彼女の方だ。


 祖父の腕をどうするべきか。あの日、家を訪れた捜査員たちは答えを出せず、とりあえず“現場保存”とだけ言って撤収した。進展があったら連絡する、と言われて待っていたのだが、今日、その連絡が来た。対面で会って話したい、という。


「調査した結果のうち、あなたに公開できることだけお伝えしますが」


 そう前置きをしたうえで、砂川は話し始めた。


「お爺さまの腕は、生物学的な意味では、生きていました。言い換えれば、壊死はしておらず、通常の機能を保っていました。電気信号に応じて指を動かす機能は。それゆえ、あの腕は、生存確認をパスすることができた」


 どうやら腕に接続された金属の箱が、循環器系を代替しているらしい。あの中に、人工の心臓と人工の血管が入っているのだろう。血液に相当する液体は、毎日、介護ロボットが作っており、あらかじめ指示された手順で交換している。


 “脳”や“肝臓”を、高度な医療機器なしに代替する技術はまだ実用化されていない。が、自宅で“腕だけを生存させ続ける”技術は、祖父がすでに実用化していたというわけだ。


 彼の脳や胴体については行方が分からない。もし、この状況で、“生きた”祖父の脳が見つかったらどうなるのだろう……不穏な想像が脳裏をよぎったが、おそらくそれはない。祖父は、自分の死を予感していた。だからこそ、腕だけで生き延びようとしたのだ。


 俺と砂川は、あの奇妙な装置を“あの腕”と呼んでいる。あれが祖父の一部であったことには疑いがないが、あれを祖父扱いすることは気が引ける。


 厄介なのは、その腕自身が、自分こそ小平武蔵である、と主張していることだ。砂川は、あの腕を調べる中で、腕そのものと何度か“口論”する羽目になったという。


 どうやら例の箱の中には、AIと、それを駆動するためのCPU、スピーカーも搭載されているらしい。それは解体すれば容易に確かめられるはずのことではあるが、腕が自身の解体を拒み続けていた。


 その根拠として“腕”が取り上げたのは、“人体に接続された機器は、人体とみなす”という法律だ。小平武蔵の腕に接続された金属の箱は、それも武蔵の体であり、それゆえに、自分の意思に反して解体されることはない。


 あの“腕”は腕だけしかないくせに、やけに法律に詳しかった。


「おそらく祖父は、死んだ後も年金がほしかったのだと思います」


 俺は感じたままのことを言う。


 生前、祖父は何度も「俺は体が弱い」「俺は長くない」と漏らしていた。だが、自分が死んでしまえば、年金はなくなり、俺の学費を支援することもできなくなる。だから、あのような凶行に及んだのだ。自身の腕を簡易型の生命維持装置に繋ぎ、半永久的に生存確認ができる仕組みを作った。


 人間の脳を生存させ続ける技術は、2050年になった今でも存在しない。だが、機械に心臓や脊髄の機能を代替させて、“二本の腕を新鮮なまま保存する”ことは可能であり、現に祖父がやってのけた。彼が次にするべきは、自分が生きていることを司法に認めさせて、年金の受給権を獲得することだ。


「彼の狙いが年金であったことは間違いない」と砂川。「あの腕はしきりに『自分は法律に定められた方法で、自身の生存を証明してきた。そのことは誰にも否定できない』と訴えています。『自分の改造は、自分が、自分の意思でやった。他の誰の命令でもない』とも」


 それは明らかに、俺に責任が及ばないようにするための主張だ。砂川は今でも、俺が黒幕ではないかと疑っている。AIに『自分が犯人であり、他の誰も関与していない』と言わせることなど簡単だ。台本を書けばよい。あの腕も、祖父が生前に書いた台本通りに動いているのだろう。


「祖父は、死人として扱われるのでしょうか?」と聞くと、砂川は首を振った。


「それを決めるのは私たちではありません。司法の仕事です。長い裁判が始まるでしょう。あの腕は『徹底的な法廷闘争を行なう』と言っています。もっとも、あれが原告や被告になれるかは不明ですが」


 この事件は明らかに、祖父の、司法に対する復讐だ。俺の両親が死んだ事故について、司法は責任の所在をあいまいなままにしている。それを糾弾するために、祖父は自らをAIに作り替えたのだ。


 祖父の腕は、口論が行き詰まると、決まって口調を荒らげるのだという。


『もし、私が人間ではなくAIとして扱われるのなら、不正受給の咎を私に負わせることなどできはしない。AIは責任を負わないのだから。負わされないのだから。私はそのことを、子供の死を通じて学んだのだ』


 あの腕は、これから、長い闘争を始めるだろう。長い長いを闘争を。人間でないものを、人間扱いさせるための戦いを、生者よりも精力的に、戦うだろう。祖父がそのように定め、そのように創ったのだ。


「あなたは、どうするのですか」


 砂川に問われて、俺は答えに詰まった。


 どうでもいい、という言葉が浮かんできた。


 あの日、祖父のAIが代理応答を終了したとき。3年間もの間、親しく話してきた相手が偽物だったと知ったとき。


 俺の中の祖父は、そこで死んだのだ。

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生者よりも生き生きと 辛島火文 @karashima-hibun

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