中編

 祖父のことを考えるとき、2つの顔が思い浮かぶ。


 1つは嬉しそうに笑っている祖父の顔だ。俺が大学に入学した時、祖父は自分のことのように喜んでくれた。入学式の日が来るまで、俺は大学になんか行けっこないと思っていた。入学の2年前に両親が事故に遭い、延命治療に莫大な治療費を払っていたので、到底学費なんてねん出しようがないと思っていたのだ。俺が志していたのは、学費が高い、宇宙工学の学科に進むことだったから、なおのこと無理だと思っていた。


 だが祖父は「諦めなくて良い」と言ってくれた。金なら自分が何とかする、と。入学から3年経った今も、毎月、少なくない額を送ってくれている。どうやって稼いでいるのかと聞いても「俺には投資の才能があったらしい」というだけで、詳細は教えてくれない。だから俺は、祖父にはとても感謝している。


 もう1つの顔は、静かな、しかし激しい怒りを湛えた顔だ。裁判所の傍聴席で歯を食いしばる祖父。その目の前で、自説をしゃべくるビジネスパーソンたち。両親が遭った事故には多数の原因があり、無数の人間がそれに関与していたが、誰一人として、その責任を負おうとはしなかった。


 裁判は今も結審していない。誰が事故の責任を負い、誰がいくらの賠償金を支払うべきか、5年経った今になっても結論が出ていない。時折メディアが思い出したように特集を組んだりするが、議論はいつまで経っても進展せず、堂々巡りを続けている。


 両親の事故は、ただの交通事故としては終わらなかった。いっそ、単なる事故であればよかった、と思うことすらある。運転ミスかプログラムのバグかが発生し、哀れな被害者を即死させて、愚かな加害者が捕まり、賠償金の支払いを命じられて終結する。そういう事故であればよかった、と思う。


 被害者は平凡な夫婦であり、彼らはその時、自動車に乗って、国道を左折しようとしていた。そこは賑やかな商業地区であり、ちょうどハロウィンの時期だったため、あたりは色とりどりのプロジェクションマッピングで彩られていた。


 当時流行っていたのは“参加型プロジェクションマッピング”で、それは側を通りかかった通行人や車にも模様を投影することで、より劇的な演出効果を狙うものだった。信号が青に変わるのを待つ間、両親はきっと、道行く人たちと、彼らの服の上できらきら光るハロウィンの模様をうっとり眺めていたことだろう。


 加害者は、所有者を迎えに行く途中だった無人の自家用車と、それを運転していたAIだった。事故が起こった2045年、自動運転用AIを搭載した自家用車は珍しくなくなっており、世間一般では「人間がハンドルを握るよりも安全」という評価が固まりつつあった。


 他の事故と異なるのは、第3者、と言うより第3“機”が絡むことだ。それはごく一般的なプロジェクターと、プロジェクションマッピング用のAIであり、そのAIは、ハロウィンを特別な日にするべく、あたりのありとあらゆるものに模様を投影していた。周囲の環境に応じて即座に形や色を変える、“知性”を持った模様。


 そのプロジェクターが、被害者夫婦の乗る車にも模様を投げかけた。それはAIが即興で作り出した模様で、ハロウィンの時にしか使えなさそうなけばけばしたその模様がどういう仕組みで生成されたのかはわからない。だが、どういう結果を引き起こしたかは明らかになっている。プロジェクターが投げかけた光は、一種の“迷彩”の役割を果たした。


 その迷彩は、人間の目には何の悪影響も及ぼさなかった。そこに車が止まっていることは誰の目にも明らかだったから。だが、加害者――所有者を迎えに行く為に、無人の自動車を法定速度ぎりぎりでぶっ飛ばしていたAIのカメラアイに対して、その迷彩は致命的な効果をもたらした。


 信号が青になった瞬間、被害者夫婦の乗った自動車に、加害者の自動車が追突した。加害者の自動車は、ちょうど信号が青になることを知っており、それゆえ法が許す最高の速度で交差点に進入しようとしていた。そしてその自動車の“目”には、前方で信号待ちをしていた自家用車が見えていなかった。


 悪いのは誰か、と聞かれると、誰もが自説を開陳し始める。


 自動運転用AIに不具合があった? とんでもない! と、自動車業界が悲鳴をあげる。そのAIは今までそんな事故など起こしたことがなかった。愚かなプロジェクションマッピングAIが奇妙な模様を投影しなければ、運転用AIは事故を起こしたりしない。


 プロジェクションマッピング用AIに不具合があった? そんな馬鹿な! 今度は広告業界が怒声を上げる。他の人々は明らかに、マッピングされた模様には騙されなかった。そこに自動車があることは誰の目にも明らかだった。愚かなのは自動運転用AIだ。


 被害者たちにも落ち度はあったのでは? 門外漢たちがささやき始める。落ち度がなかったのなら、AIが突っ込むはずがない。彼らが左折レーンにいたのは正しい判断だったのか? 何でも、その時彼らは手動で運転していたらしいではないか……。


 激しい議論が戦わされる間に、被害者夫婦は、病院の集中治療室で徐々に弱っていった。彼らを救うべく膨大なリソースが投入されたが、それは叶わず、後に詳細を聞いたAI担当大臣が「即死していたほうがよかった」と漏らして罷免された。後には莫大な治療費の請求が残った。それをいつか“加害者”に払わせるとしても、まずは被害者が立て替えなければならない。


 さて、賠償金は誰が払う? 誰がどれだけ責を負う? 決着は5年経った今でもついていない。裁判所は『AIたちに責任能力はない』としたが、AIの製造者たちは、自分に落ち度はないと主張している。AIの使用者たちも同じことを言い、誰一人として自分に非はないと言っている。頭を抱える裁判官、彼らに変わって裁きを下すAIは、まだ実用には程遠い。


 傍聴席で、祖父はずっと歯を食いしばり続けていた。


 その時の、彼の顔。俺が祖父を思い出すときはいつも、その顔が思い出される。

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