生者よりも生き生きと

辛島火文

前編

 窓の外を東京の街並みが流れていく。運転席に座る捜査員は、ハンドルに手を置いてはいるものの、運転はしていない。AIが運転する車に乗るのは、本当は今でも怖い。それでも俺は、祖父に“会わなければ”ならなかった。




 捜査員を名乗る女がやってきて「あなたのお爺さまは生存されていますか」と聞いてきたのが2時間前。その時、俺は大学の研究室で宇宙工学の課題に取り組んでいた。


 祖父が死んだ、ないし行方不明になったのかと慌てたが、電話をしたら、祖父はすぐに応答した。パソコンの画面に映し出された祖父はしわくちゃで、それでもちゃんと生きていた。黒いタートルネックを着て、くつろいだ表情をしていた。


 電話をしたらちゃんと応答した。この事実を突きつけるだけで、“生存の証明”はできると思っていた。いくら2050年になったとはいえ、死人に口がないことは変わりない。人間に代わって電話応対するAIは存在するが、祖父はそういうAIを使わない。少なくとも孫である俺に対しては。AIに代理応答させるのは、あまり話したくない人間が電話をかけてきた時だ。


 捜査員は納得しなかった。彼女はパソコンのカメラの前に身を乗り出した。


「こんにちは、小平武蔵さん。私は警察のものです」


 彼女が声をかけると、画面の向こうで祖父が硬直した。俺は目と耳を疑った。祖父は、祖父の顔をした何者かは、AIがエラーメッセージを吐き出すときの硬い声でこう言ったのだ。


『代理応答を終了します』


 画面の中で、祖父のアバターが頭から掻き消え、無人の部屋が映し出される。ベッドとパソコン、数冊の本しかない殺風景な部屋だ。画面の端から“本物の”祖父が姿を見せる。お気に入りの青いセーターを着て、少し慌てた様子だった。


「爺ちゃん、今の、AIだったの?」


 半ばなじるように聞くと、祖父はポリポリと頭を掻いた。


『いやすまん、トイレに入っててな』


「そう言えばいいだろ?」


『悪い悪い』と謝罪を繰り返す。俺は疑心暗鬼に陥った。画面の中で申し訳なさそうにする祖父は、果たして本物の祖父なのか。これもまた、AIではないのか。


 本物のはずだ。市販のAIは、警察を前にすると代理応答を止める。警察の聴取にAIが代理応答することは法律で禁止されているし、もしAIが問題発言をすれば、製造元が責任を負わされる可能性が高い。そのため、市販の代理応答用AIは、警察が来るとすぐに停止する。


 だが、誰かが作った“ハンドメイドの”AIであれば、話は別だ。祖父に見せかけるためにAIを作る、それは決して不可能なことではない。今時小学生だって、学校でAI制作を習うのだ。


「砂川と言います」


 捜査員が言うと、祖父は頭を下げた。『初めまして』


「……突然すみません。ちょっと確認させていただきたいことがありまして」


『はぁ、と言われても、よくわからんのですが』


「いえ、確認できました。結構です」


 と言って、砂川が通話を終了させる。


「確認、できたんですか?」


 俺が聞くと、彼女は首を振った。


 切れ長の目をした、どこか冷酷な印象の女性だった。右目が義眼になっており、それを隠すように前髪を伸ばしている。


「“初めまして”ではないんです。これで3回目なんですよ。画面越しに、『砂川』を名乗ったのは」


 祖父は今年で70歳になる。1週間に1度は電話をしているが、今まで、認知症を疑わせる様子は見せたことがなかった。体は強くなく、「俺も持って数年だ」と自嘲することはあったが、元生物学者である彼の知性は衰えてなかった。訪ねてきた捜査官を覚えてないなんて、祖父らしくない。


「単刀直入に言いましょう。今、応答していただいた小平武蔵さん。AIが引っ込んだ後に姿を見せた、セーターを着ていた方ですが――」


「あなたは、あれもAIだと考えている」


 砂川は黙ってうなずいた。


「どうして、祖父は疑われているんですか?」




 砂川唯と名乗る捜査員は、AIを用いた犯罪を担当していると言った。


 彼女が祖父の生存を疑い始めたのは、とある工事がきっかけだという。


 その工事は今から1年前、S県T市が、老朽化した水道管を交換するために行なったものだった。工事の途中、AIが制御していた自律機械が誤って水道設備を傷つけてしまい、周辺地域に水が供給されなくなった。しかし現場監督はそれに気づかず、工事を終了。深夜の工事だったため、翌朝になってから苦情が殺到し、事故が発覚した。


 当時、祖父はT市にある自宅で介護ロボットと暮らしていた。彼の息子夫婦――俺の両親――は5年前に交通事故で亡くなっており、その辛労が祟ったのだろう、今から4年前、彼の妻も亡くなった。3年前、俺が大学の寮に移って以来、彼はずっと1人暮らしだった。だから彼が死んでも、それを見つけてくれる生きた“同居人”はいない。


 だが、祖父の自宅には家政用AIと孤独死防止システムが入っていたし、俺は毎週1度は電話をして祖父の無事を確かめていた。受け答えは元々学者だったこともあってか今も明晰で、ぼけた様子など見せたことはない。祖父と現実世界で会ったのは、3年前に、入学式の後で外食をしたのが最後だが、祖父が死んでいるだなんて、まさか。


 約2000世帯が被害を受けたこの事故で、祖父の家にも水が供給されなくなっていた。AIの制御ミスということで大きなニュースになり、俺も祖父に電話した覚えがある。俺が水を送ろうかと聞くと「困っていないので問題ない」と言って拒んだ。その時は、建設会社や市から支援を受けたのだろうと思っていた。だが、それも受け取っていなかったらしい。


「建設会社は、まず周辺住民全員にミネラルウォーターを郵送したのですが、お爺さまは受け取らなかったようです」砂川に言われて、俺は驚いた。


 災害用の備蓄があったのかもしれないが、水をもらわない理由は見当たらない。


「その1日後、建設会社の担当者が直接、武蔵さんの家を訪ねたようですが、介護ロボットが出てきて『頼んでないので受け取れない』と繰り返したそうです。担当者はペットボトルの箱を玄関前に置いて帰ったようですが」


 奇妙なことに、と、砂川が強調する。


「その箱が、今も玄関前に置かれたままなのです」


「1年も経って?」


「他の住民の中にも『いらないから持って帰れ』と言った人がいたようですが、受け取りもせず、突き返しもしなかったのは、お爺さまだけだったようです」


 そこに違和感を覚えた砂川が調べたところ、奇妙な事実がいくつも出てきた。


 この3年間、一度も外出した形跡がなく、買い物は全て通販で行っている。


 その間、一度も健康診断を受けていない。


 配達物の受け取りは介護ロボットが行い、本人は表に顔を出さない。


 介護ロボットは年に1度、専用の工場に送って数日間メンテナンスさせることになっているが、それすら怠っている。


 極めつけは、警察が家を訪ねても、決して対面では対応しないことだった。すべてインターフォンか電話越しに応対している。そんなことをすれば痛くもない腹を探られかねないのに、それでも外に出てこない理由とは、一体何か。


 そこまで聞いた俺は、あることを思い出した。彼の生存を証明する強力な証拠がある。


「祖父は年金生活者です。年金を受給する際は、必ず“生存確認”が必要なのでは?」


 年金受給者は2か月に1度、年金を受け取るために、年金事務所への出頭か、静脈データの送信が義務付けられている。静脈データは、専用の装置をレンタルすれば、自宅から送信することができる。寝たきり等、事務所への出頭が難しい人のための措置だ。データは高度に暗号化されており、偽造することは難しい。


 その装置を、祖父に見せてもらったことがある。それは金属の指輪を5つ繋げたもので、指を入れると、5本の指の静脈をスキャンして、使用者の“生存”を確認する。血管の構造で本人確認ができ、その脈動で生存確認ができる。


「ええ」砂川はうなずく。「2か月に1度、必ず、生存確認が行われていました。データが偽造された形跡もない」


「なのに、祖父が死んでると?」


「少なくとも、対面での生存は確認できていません」


「疑い深すぎやしませんか、いくらなんでも」


 なるほど彼女は、年金の不正受給を疑っている。だが、それを防ぐ為に構築されたのが、今の生存確認の仕組みであり、その仕組みで“生存”と判定されているなら、それ以上疑っても仕方がないのではないか。


「……武蔵さんの家には、孤独死防止システムがあります。孤独死を防止、発見するために、電力使用量等のデータを記録している」


「それに何か異常が?」


「システムに問い合わせて、生活データを照会しました。これは孤独死防止法に基づく正式な調査であり、裁判所の許可も得ています。武蔵さんの位置データ、自宅内での移動経歴を確認したところ、ご自宅内で移動されていることは確認できました」


「ということは、やはり生きているのでは?」


「ただこれは、武蔵さんが身に着けている端末の位置を記録したものに過ぎない。いえ、身に着けているのが武蔵さんかどうかさえ、不明です」


 なんと言えばいいかわからない。


「武蔵さんの移動経歴を確認したところ、特徴的なパターンが確認できました。ベッド、というよりベッド脇で過ごす時間が最も長く、一度動き始めると自宅内のありとあらゆる部屋に入る――つまり、掃除をする際の介護ロボットと同じ動きを繰り返していました」


 俺は思わず席を立っていた。


「そこまで言うなら、祖父の家に行きましょう。今すぐ」


 砂川が頭を下げた。


「ご協力に感謝します」

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