〈嫉みし者〉と戦乙女ー終

 ――お前に本当は訪れるはずだった未来


 〈嫉みし者〉からの思考汚染は地上へと伝播しつつあった。しつつ……というのも強度や濃度の問題であり、効力範囲は既に曽良場全域を覆っている。術の心得がない者や精神的に波長が合ってしまう者たちは既に術中に落とされた。

 それには抗う意思が無いものも当然に含まれる。破滅志願者や虚無嗜好はいつの時代にもいるものだ。今のベリンダ・ミヨシのように、一時的な感情であれ……


/


 目の前に広がっていたのは非日常的な光景だった。

 行き交う人々の人種は様々でも、普通に人間と呼べるものばかりだ。煌めきを反射するビル群と日常に苦労する人々が歩く道。そんな光景を3人組が通り過ぎていく。


 西洋人とひと目で分かる金髪を短く刈り上げ、隆々たる巨躯。だが、その顔は穏やかで満足気だった。己を全うできている者特有の充実感に溢れている。



『父さん……』



 ああ父だ。本当は外見に似合わぬ穏やかな人だった。

 それでも封印騎士の甲冑を纏った姿は、そのまま映画に出せるような豪壮な姿を誇っていた。受け継いだ馬上剣槍も、あのヒトにかかれば普通の剣のようだった。

 皆、皆、この人が駆けつければ怖くないだろうと思えるような人だ。自分のように胡散臭く見られることもなく……



 ――これはお前が選ばなかった道

『父さ……』

「もう、父さん! そんなに早く歩かれたら疲れるよ! 私が!」



 そう言いつつも笑顔で小走りして近づく女の子。柔らかそうで、如何にも年頃の女の子という風だが金の髪が周囲に比べて少しだけ珍しい。

 全く似ていないが……なぜか分かってしまった。あれは私だ。


 柔らかい金髪を長く伸ばして、セーラー服を着ている。片手にあるのはスマートフォン……友達とも連絡を取り合っているのだろうか? 笑顔のままに“父さん”と並んでいる。

 私には何一つできなかったことだ。それは……



――お前がこの道を選んだからだ



 平和な光景は一瞬で崩れ去った。後に残ったのは瓦礫と血が落ちている荒れ果てた廃墟だった。

 瓦礫を背に大男が血を流している。いつもと同じ深淵とそれを奉ずる者達との戦い。ただ、この日の戦いは父も深い傷を負っていた。それを見つけた時は心臓が止まるかと思った。


 この時に決めたのだ。自分も父と同じように戦って役に立つのだ。

 でも本当は分かっていた。父が守りたいモノの中には私も入っていた。それを踏みにじる選択だと知りながら、耐えることができなかったのだ。


 光景は何度も何度も変わった。

 平和な世界。現実の世界。平和な光景。現実の光景。

 テレビのチャンネルを狂ったように往復させられる気分だ。


 しかし……蹲りかけた時、平和の光景に希望を見た。

 理想の世界とも言えるそこには知らない者がいたのだ。


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 〈嫉みし者〉の精神汚染は強力かつ奇妙なものだが、手の混んだものではない。

 別に一人ひとりに合わせて術を放つような真似をしているわけでもないのだ。感情の落差を食らうために〈理想〉を見せて、〈現実〉を見せつける。大まかな設定と細かい補強は汚染された各人が勝手に行っていると言っても良い。

 あくまでも自動的に展開される精神汚染。これは〈嫉みし者〉にとって汚染が呼吸であり食事に過ぎないためだ。やっていることの悪辣さに反して、この深淵にとってはごく自然の営みなのだ。


 それが思わぬ要素を生んだ。


 ベリンダが見た〈理想〉。その平和な光景の登場人物は三人・・だった。

 ベリンダの父とベリンダ。そしてその二人を後ろから見守る黒髪の女性。顔はぼやけている……ベリンダ自身が記憶していないためだ。出会ったのは赤子の頃なのだから……



『……母さん?』



 父が故国を捨ててまで遠い東の国に来た理由。

 愛する妻であり、ベリンダの母。

 分からずとも、その顔は優しく微笑んでいるようにも見えた。もっと言えば顔がわからないのになぜ母と思ったのか……母は理想のベリンダではなく、現実のベリンダに手を伸ばす。

 意味がある仕草ではなく、ただそうしただけのこと。ベリンダにとって母とはそうした存在なのだから。


 その手を思わず取ると、現実の感触が伝わった。

 ベリンダは多くの人々がうずくまる地獄で、子供の手を取っていた。


 何が起こったかも分かっていない少女を見て、驚き、次いで優しく微笑んでベリンダは唱える。



「装信……コード《サングリーズル》」



 受け継いだ者を再燃させた戦乙女が再び空に上がる。

 彼女の父親のように雄々しくは無くとも、翼があればヒトは空さえ飛んで見せるのだ。



/



 地下で行われる奇妙な祭事も限界を迎えつつあった。

 護兵が舞い、深淵を鎮めようとするならば……符木津博光は流石に目のつけどころが違っていた。天才と称されるこの軽薄そうな若者は最初から深淵を相手取ろうとは微塵も考えていない。

 大量に撒き散らされた古今東西の祭具は、〈嫉みし者〉が集めようとする人の感情落差を散らすためのものだった。魂や精神ではなくその落差を食らうとは意味不明だが、それでも食らう以上はそれはある。

 ならば怪物ではなく人を相手取るように、その精神波に対処すればいい。〈嫉みし者〉の口である古甲冑には戦闘の意思はない。食事のための器官でしか無いのだから。



「俺の混交散神障壁が……もう、保たない……!」

「見た目のごちゃまぜ感の割に、無駄に格好いい名前だな……」



 そう説明すると簡単だが、深淵に直接対処するよりはマシ。という意味だ。

 博光が受け止めているのは曽良場市で精神汚染を受けた全員分の精神波。感情の一部分でもそれだけ集めれば大河と変わらぬ。時間が経つごとに膨れ上がり、博光を持ってしても受けきれないほどに飽和した。

 次いで散らす方向に流れを変えるよう務めるが、これも限界は近い。

 

 そんな時に無線通話が入る。

 今のご時世にそんな古臭いモノを使って連絡を取ってくる者は……



『おまたせー真打ちさんが登場したよー。はい、ベリンダちゃん』

『カエ! ゴヘーの現在位置を教えろ! 考えがある!』

「いやお前はまず携帯ぐらい使えるようになれや! もっと言えばスマホ!」



 叫び返した博光の声は笑っていた。



/



 飛び上がるというよりは跳ね上がる軌道で、《サングリーズル》の中性的なシルエットが上昇する。

 それをレイブン部隊は見た。


 小さな影、若い娘。鉄の翼を広げて敵わぬ敵に向かって、矢のように落ちていく姿。自分たちがいくら強くなろうと、あの輝きには決して届かない。



「戦乙女だ……」

「ヴァルキリーがヴァルハラへと俺たちを導きに来たのか……!」



 ただ浮遊する鉄塊に成り果てた同盟の機動部隊。

 対深淵の甲冑とは言え、この距離。サングリーズルもそう長くは保たないし、先の彼らの攻撃を見ても〈嫉みし者〉への攻撃は意味を成さない。

 


「セット……〈ウィン〉! 〈ニィド〉! 〈ユル〉!」



 ベリンダは刺突大剣にルーン文字を装填した。〈喜び〉・〈欠乏〉・〈死〉。

 対霊体特化の態勢。それを持って狙うのは宙に浮かぶ大目玉……ではない。


 護兵達が相手をしているのが摂食器官。そしてこの目玉が本体……ならば!



「狙うのは頭ではない! 喉を切り裂く!」



 自身を鎧に込められた衝撃波で弾き飛ばす。斜め下目掛けて墜落する一条の彗星になれ。

 仲間たちがいる場所の上。そこに栄養を取り込むための管がある!


 そしてここまでくれば甲冑が鉄くずになろうと、問題はない。後は翼に任せて落ちるだけ。操られるような複雑な飛行機構を《サングリーズル》はそもそも持っていない。

 時代遅れの刃が、時代を超えて必殺の武器となる。



「私に! 他の選択肢など無い!」



 血まみれの父の帰りを待てと? そんなことをしても笑えはしない。

 幸と不幸しか無い〈嫉みし者〉には理解できまい。心はもっと複雑で、そんな風に洗練されていない。


 封印の一閃が、深淵の喉元に突き立った。



/



 〈嫉みし者〉の目玉が消えていく。

 そこには何の感情も浮かんでいない。食事が無くなったから帰るだけのこと……ただそれだけなのだ。



「そして……それだけだから、お前たちは私達に負けることは無くとも、勝つことはない」



 人類を滅ぼそうと、宇宙を壊そうと……深淵にとっては価値なきこと。

 そんな相手を恐れる必要は無いのだ。そう信じて鋼の戦乙女は再び立ち上がった。

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今様退魔師!~当主達の退魔記録~ 松脂松明 @matsuyani

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