其の百十八 想い、衝突して


 ――机、椅子、ロッカー、壁時計、スピーカー、照明器具……



 教室中に存在する、ありとあらゆる『オブジェクト』が……、

 フワリと浮いて、バラバラのパーツに分解される。



 ――果たして、『一瞬』。



 「フワリと浮いたな」と、「バラバラになったな」と、認識したときには、『もう遅い』。

 細胞レベルにまで分解された『ソレラ』の固形オブジェクトが、意思を持った生き物のように、統率された蜂の群れのように、僕に、如月さんに、襲い掛かってきた。


 ――ダァァァァァァンッ!!


 「……ぐっ……ッ!」



 床にへたりこんでいた僕の身体は、猛スピードで突進してきた元『机』……、まっ平な茶色い木板に押し飛ばされ、そのまますぐ後ろの『黒板』に叩きつけられる。



 ――ガタガタガタガタガタッ!!



 意思をもった固形オブジェクトたちが、統率されたAI制御によって、僕の腕に、足に……全身に絡みつき、僕の身体はものの数秒で、黒板の壁に『はりつけ』られる恰好となった。両手両足は拘束されてしまい、ギュウッと締め付けられるような痛みが身体を駆け巡る。縮こまった喉からは、わずかな酸素を取り込むのが精いっぱいだ。



 「……くっ……ッ!」



 ガタンガタンと、すぐ隣ではた喧しく何かが擦れる音が聞こえる。歯を食いしばりながら、唯一動く首をぐぐっと横に動かして様子を見ると、僕と同じく『磔』にされてしまった如月さんが、抗うように、腕にまとわりついている『鉄のロッカー』を振りほどこうとしている。

 ――が、『徒労』。


 如月さんがグッと腕に力を込めてロッカーを持ち上げようとしても、すぐに同じくらいの力でバタンと押し戻されてしまう。



 ――タンッ、タンッ、タンッ、タンッ……。



 すっからかんになってしまった教室という空間で、無機質に鳴り響く乾いた足音。ポケットに手をつっこみながら、おどろおどろしい『赤眼』をギラギラと光らせながら、ゆるりと、烏丸が僕の元へ近づいてくる。



 「……『片眼』だからって、その力が『半分』になってるなんて、思うなよ……、お前らも知っての通り、色眼の力の強さは、その『感情の大きさ』に比例する……、『十年』という長い間、蓄積されていた俺の『憤怒』が……、一週間そこらのお前らの安っぽい『絆』に負けるわけねぇだろ……」



 痛みで朦朧もうろうとしている意識の中、僕は精一杯の『意思』をもって、眼下の烏丸を睨みつけた。如月さんが漏らす苦悶の声が僕の耳にわずかに届き、僕は焦燥のあまり今にも烏丸にとびかかろうと身体を動かすが、当然のごとく、『動かせない』。


 ――『怒り』が『焦り』を呼び、『焦り』が『虚無』に変わっていく――


 感情だけが空回りし、

 自由を失った両手両足は、思考するのを止めた。







 「……俺の妹はな、病弱な奴でさ――」



 ――ふいに、烏丸が窓の外に目を向けながら、ポツンと、誰に向けてでもなく、声を放り投げる。



 「――産まれた時から、長くは生きられないだろうと言われていた。……俺たち家族は、それでも必死に……、妹の看病をつづけたんだ。父親はがむしゃらに働いて治療費を稼いで、母親と俺は毎日毎日、病床の妹に付き添っていた」



 烏丸の声は、いつになく優しい音を奏でいていた。

 いつもの、抑揚の無い、生気の無いゾンビみたいな声が、まるでウソみたいに――



 「何年も看病を続けていたある日、かかりつけの医者が言ったんだ。驚いた顔でな……、『お子さんは、回復に向かっている、もしかしたら、このままずっと生き続けられるかもしれない』――、ってさ。……それを聞いて、父親も母親も、眼をキラキラさせて喜んでいたよ……、それこそ、涙ながらによ……、もちろん妹も、疲れ切った顔で、無理に笑顔を作って、『お兄ちゃん、ありがとう』って……、太陽みたいに笑ってた――、俺は、子供ながらに思ったね、『ああ、ひたむきな努力さえしていれば、神様はちゃんと見てくれている』んだなって……、『その日』……、まではな――」



 淡く、緩やかに、プカプカと浮き輪に浮かんでいるように……、

 包み込まれるようなトーンで紡がれていた烏丸の声が――

 

 歪み、沈む。



 「――『その日』がやってきた……、俺はある時、街に出稼ぎに出ている父親の元へ荷物を届けに行ったんだ。日が暮れる前に帰るつもりだったが、夜遅くなったもんでそのまま泊まることになった。次の日、父親の車で『白狐村しらぎむら』に戻った俺たちは……、『唖然あぜん』としたよ……、なんせ、俺の家も、母親と妹の姿も……、『影も形もなくなっちまってた』んだからな……。茫然とその場に突っ立っていた俺たちは救助隊に保護され……、呆けていた俺の耳に、チラッと、そいつらの会話が聞こえてきた。『恐れていたことが起きた、「水無月家」の子供の青眼が暴走して、村に厄災をもたらした』ってな……、俺は、何が何だか、わけもわからなかったが……、『水無月』って名前だけは、一生忘れねぇ――、そう、心に誓った……」



 ノイズの混じった低い烏丸の声が、

 僕の耳にギリギリとねじ込まれる。


 烏丸の発する言葉『一音一音』が、尖ったスプーンですくうように僕の心臓をエグり、『怒り』ではち切れんばかりに膨らんでいた僕の胸の中が、急速に、だらしなくしぼんでいくのを感じた。



 「……父親は、ショックの余り、そのまま寝込んじまった……、数年前に、ポックリ死んだよ……、俺は一人……、俺の妹を、家族を……、『絶望の底』に落としやがった、『水無月』って名前の青眼の居所を徹底的に調べた。……『二ノにのみや 平太へいた』っていうオカルト雑誌のライターにたどり着くのには、何年もかかったよ……、俺は、お前が本当に『青眼族の水無月』なのかを探るために、お前と同じ中学に編入し、お前の青眼が暴走するのをずっと待っていた。……『ビンゴ』だったよ、お前は、紛れもなく、俺の妹を殺した『水無月 葵』だった。……中学一年生の秋、お前が学校のトイレで、俺にその気味悪い『青眼』を見せた時……、俺はなぁ……、正直言って、『ガックリ』来たんだぜ――」


 

 深く、低く、地を這うように――

 怒りに打ち震えていた烏丸の声から、フッと、力が抜ける。



 烏丸は、


 痴漢行為で捕まった中年のサラリーマンを一瞥するような眼つきで――

 地べたに散らばった残飯を貪り喰らう困窮者を見下ろす眼つきで――

 鉄格子のなかで暴れまわる麻薬中毒者を眺める眼つきで――


 この世のすべての『侮蔑』を集約させたような冷たい『眼つき』で、僕のことを見ていた。



 「……情けなくトイレの地べたにへたりこんでいるお前を見て、人生を勝手に諦め、何の生きる希望も無くただ生きているだけのお前を見て、何にも知らずに被害者ヅラしてやがるお前を見て――、俺は、俺は……、『こんなくだらない奴を殺すために、何年もの間一人で復讐に燃えていたのか』って……、なんか、虚しくなっちまって……、あまりにも情けないお前の姿に、『同情』すら感じたよ」



 烏丸の言葉が、その言葉の一音一音が、

 僕の脳みそを、全身を、『心』を――


 エグる。

 エグる。

 エグる。

 エグる――



 『絶望』を感じる余地すら与えられず、

 空っぽの心で、烏丸の声が、ただただ僕の耳の中に、流れ込む。



 「……呆けた俺は、そのあと一人で考えたよ。……『どうしたら俺の復讐は完成するのだろう』、『どうしたら水無月に罪の代償を与えてやれるんだろう』って……、考えて考えて、こう、結論付けた」



 スッ、と烏丸の視線が移動し、

 僕の隣――、僕と同じように身体を拘束され、苦悶の表情を浮かべている如月さんに向けられた。



 「――『水無月葵を、俺と同じ目に遭わせてやろう』……、お前が『絶望』から立ち上がり、人生に『希望』を見出したその瞬間――、『それを眼の前で、壊してやろう』ってな……ッ」



 ――カチカチカチカチッ……



 烏丸が、手をつっこんでいたポケットの中から、

 一本のカッターナイフを取り出す。


 タンッ、タンッ……、と無機質に足音を鳴らしたかと思うと、徐に如月さんの元へと近づき――


 その首元に、無機質な刃先をあてがった。



 「――ッ!!」



 それまで苦しそうに身悶えしていた如月さんの身体がピタっと止まり、その白い肌に、鮮やかな赤色の血がツーッと伝う。



 「――おあつらえ向き、高校に上がると、俺が描くシナリオにピッタリの役者がクラスに揃った。『緑眼』の女に、三人の『赤眼』……、俺はひたすら……、水無月の『青眼』が開眼するその時を待った。……須磨すまとかいう猿にお前が校舎裏に連れていかれたあの日……、俺にようやく『チャンス』が訪れた……、お前の『青眼の暴走』を、『緑眼』である如月に止めさせることが、俺の描く脚本の第一幕だったからな」


 

 ――カチカチカチカチッ……


 如月さんにあてがわれた無機質な刃が、伸縮する大蛇のように『伸びる』。

 真っ黒なワンピースが、紅に『染まる』。

 


 ――やめろッ……



 「――水無月、お前は本当に『よくやった』よ……、正直、三人もの赤眼に狙われれば、お前みたいな『腑抜け』、さっさと殺されると思ってた……、まぁ、そうなったらそれでもいいかな……、くらいに思ってたんだぜ……、だがなぁ、お前は『良い意味で俺の予想を裏切ってくれた』……、お前は『緑眼』である如月との絆を深め、数々の危難を乗り越え、自らの過去を克服し……、見事に、『生きる希望』を手に入れた」



 ――カチカチカチカチッ……


 ズブズブズブズブ。

 ズブズブズブズブ。


 錆びた無機質な刃が、

 如月さんの白い肌にくいこみ、その肉を、エグる。

 


 ――やめろッ……



 「――さっき俺に説教垂れた時のお前の『眼』……、サイッコーに輝いてたぜ? ……キラキラキラキラ、宝石みたいでさぁ……、『ずっと生き続けられるかもしれない』って、一筋の希望が差し込まれたあの時の……、俺の『妹』と、おんなじような『眼』をしてたなぁ……、中学の時にトイレで情けなくへたりこんでいたお前とは、まるで別人だよ……」



 ――ズブッ……



 ふと、烏丸が、如月さんの首元にあてがっていたカッターナイフを乱暴に抜きさった。それまでジッと無言で耐え忍んでいた如月さんだったが、思わず「うっ……」と小さなうめき声を漏らす。



 「――ようやく……、ようやく、全てを、『終わらせる』ことができる……」



 烏丸が、きつねのしっぽみたいに綺麗な如月さんの長い髪を鷲掴みにし、彼女の頭を背後の黒板に思いっきり打ちつけた。


 ギョロリと見開かれた赤眼で彼女の顔をグッと覗き込み、

 消え入りそうな光を灯している『緑眼』に向かって、無機質なカッターナイフの刃先を向ける――



 ――やめろッッ…………



 「…………水無月、葵……、お前が死ぬ気で……、人生で初めて『本気になって』手に入れた、大事な大事な『宝物』…………、お前の『眼』の前で……、今ここで……、ブッッ壊してやるよッッッッ!!」



 ――やめッ……



 烏丸が、吠えて、

 僕の、声なき声が漏れて――
















 ――果たして、『業火』。



 真っ暗闇な『はず』だった、だだっ広い教室という空間に、

 『橙色』の閃光が混ざる。


 

 ――空っぽの心で、ボーッと舞台を眺める、僕の眼に映る『光景』。


 バレーボールくらいの大きさの『火の玉』が、

 高校球児が全速力でストレートを投げるくらいの速度で僕の眼の前を過ぎ去り、

 カッターナイフを持っていた烏丸の右手を――



 『吹き飛ばした』。

 




 ――カランッ……


 「ガァッッ……」



 ――タンッ……、タンッ……、タンッ……



 まず僕の耳に飛び込んで来たのは、カッターナイフが教室の床に転がる『音』。

 続いて、身体を九の字に曲げて、身悶えしながら漏れ出た烏丸の『うめき声』。


 ――そして、僕でも、如月さんでも、烏丸でもない『誰か』が、この教室に踏み入れた『足音』――







 「――あなたが、どんなに苦しい思いをして、どんなに深い憎悪を水無月くんに抱いているのかは、『私』には想像することもできないけど……」



 ――薄茶色のロングヘアをフワリと揺らしながら、真っ赤な赤眼をギラリと光らせながら――


 『不知火しらぬい 桃花ももか』が、不敵に、笑う。



 「――自分勝手な都合で、か弱い乙女の『女心』を利用した罪は……、なによりも、『深い』んじゃないかな……?」



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