其の百十七 懇願、霧消し


 深淵が無限を産み出し、静寂がはた喧しく空間を包みこむ、『土曜日』の宵闇――


 真っ暗闇の『1-Aの教室』の中にいるのは、信じたくない現実を突きつけられ、呆けた顔で涙目になっている『僕』……、『水無月みなづき あおい』と、そんな僕を少しだけ心配するように、チラリと横目で様子をうかがっている、『如月きさらぎ 千草ちぐさ』……、そして――



 「――なんだよ、水無月……、土曜日の夜に、学校の教室なんかに呼び出しやがって……、わざわざ今日呼ばなくったって、月曜になりゃあ、またすぐに会えるじゃねぇか……」



 眼帯によって片目が覆われた、ゾンビのように生気の無い『眼』をしながら、用意された台本を読み上げるようなトーンで、杓子定規な台詞をのたまう、僕の親友……、『烏丸からすま きょう』――



 「如月さんまで連れてきやがって……、まさか今から、肝試しに学校探検でもやらかすって言いだすんじゃねぇだろうな……、季節間違ってんだろ……、勘弁してく――」


 「――どうしても、話したいコトがある」



 ――ピシャリと、


 僕は、幻想に塗れたウソの現実に終止符を打つように、

 烏丸があつらえた陳腐ちんぷな台本を、叩き捨てた。



 「烏丸……、単刀直入に聞くよ……、君は…………、『赤眼』なのか……、鳥居先生、不知火さん、神代……、三人の『赤眼』に、『僕のことを青眼』だと伝え、僕のことを『殺そう』としていた……、すべての、『黒幕』――」



 幾ばくかの静寂を経て、

 真っ暗闇の教室という空間で、

 ゾンビのように生気の無い顔つきで、ぬぼーっとこちらを見やっていた烏丸の口角が――



 ニヤリと、不気味に、吊り上がる。



 「……へぇ――」



 スッと眼を瞑った烏丸が、クックックッ……、とこみあがるような笑い声を漏らした。烏丸は近くにあった誰かの机にドカッと腰を降ろし、世間話でもするように身振り手振りを交えながら、言葉を紡ぐ。



 「――ようやく、『気づいてくれた』んだな……、水無月、心底…………『嬉しい』よ――」



 ――ざわざわざわざわ、ザワザワザワザワ……



 その一言で全て察した僕の身体が、一人でに震えはじめた理由は、自分でもわからなかった。



 「――聞いてくれッ! 烏丸……ッ!」



 不安でジッとしているのに耐えられなくなった僕は、背を覆う恐怖を振り払う様に、思わず大声を出して自分を叱咤しったする。



 「……僕たちは今日、『白狐村しらぎむら』を尋ねた。……僕自身の過去と、色眼族の『ルーツ』について調べるために、その起源となる色眼族の村に行ってきたんだ……ッ!」



 ――果たして、烏丸の表情は『固まった』まま。


 ニヤニヤと浮かべていた不気味な笑顔をスッと戻し、いつもの、生気の無いゾンビみたいな顔つきで、黙って僕のことを見つめていた。



 「そこで、僕たちはある事実を知った……、『色眼族の使命』は、大昔に権力者によって捻じ曲げられた、偽りの『使命』……、『青眼』は世界を滅ぼすために産まれてきたわけじゃないし、『赤眼』が青眼を殺さなきゃいけない理由なんて、これっぽっちもないんだ!」



 何かに急き立てられるように、最後のお願いに躍起になる政治家のように、僕は必死で声を挙げ連ねる。


 声よ届け、想いよ伝われと、

 空っぽの頭で、ただただ、喉を枯らす。



 「……だから、お前が僕のことを殺さなきゃいけない理由なんて、一つも――」


 「――知ってたよ、『色眼族の使命』が、作られた事実だったってことくらい……、お前らも、『土着の神』とかいう妙なガキから、聞かされたんだろう?」





 ――えっ…………?





 吐き出された僕の声が、観客の居ない大舞台で空しくスポットライトを浴びたまま、くるくると、独り滑稽な舞踏を披露していた。その様子を、舞台袖から醒めた目つきで見やっている烏丸が、フッと、吐き捨てるように笑う。



 「『色眼族の使命』なんざ……、俺には関係ない……、俺はなぁ、『俺の意思』で……、『俺の使命』として……、大昔から『お前のことを殺す』と心に決めていたんだぜ……、水無月、葵……ッ!!」





 ……なん、で――――



 ――口だけが、パクパクと空しく開閉し、その心の声が音として排出されていないことに、僕自身気づいていなかった。よろよろと、まるで生気の無い、『ゾンビのような足取り』で、僕は烏丸に歩み寄った。烏丸の、カラカラに乾ききった表情が視界を占領していき、僕は倒れ込むように烏丸の両肩をガシッと掴んだ。



 「……なんで、『どうして』だよ烏丸……、お前は、僕の、唯一の友達だと思ってたのに……、お前だけは、『ウンコマン』と呼ばれ、皆から見放されていた僕を、ただ一人見捨てることのなかった……、親友だと思ってたのに――」


 「――『どうして』……、だと?」



 ――ドンッ……



 蚊でも追い払う様に、あまりにも自然に突き出された烏丸の右手によって、僕の身体はシンプルに突き飛ばされ、物理法則に従順するように、僕は情けなく尻もちをついた。僕のことを見下ろす烏丸の表情は、いつもの、生気の無い『ゾンビのような無表情』……、の、ようで……、その瞳の奥に、冷たい炎を静かに燃やしているようにも見えた。



 「……こっちが、聞きたいよ、水無月、葵……」



 烏丸の声が、わずかに震えている。

 それまでの、台本を読み上げるかのように淡々としていたトーンにノイズが混じり、烏丸は、何かに必死に堪えるように、フゥーーッと大仰な息を一気に吐き出した。



 「……人の、命を――、『希望』を……、奪っておきながら、よくのうのうと、そのことを、今の今まで『忘れられていた』もんだな――」



 ――スッ、と……、烏丸が、顔に巻いていた眼帯を、徐に外す。


 久方ぶりにお目見えされた片方の『眼』は、

 何年もの間放置されていた血痕の如く、ドロドロの『赤色』に、染まり上がっている――





 「……片方だけ、『赤眼』――」



 ボソッと、そんな台詞を言ったのは『如月さん』で……、情けなくへたりこんでいる『僕』はというと、金縛りにあったようにピクリとも身体を動かすことができず、脳のAI制御がバグってしまったように、僕を見下ろしている烏丸の、ゆるりとした所作をただただ眺めているだけだった。



 「……水無月、如月…………、知っていたか? 『一卵性双生児』として生まれた双子の色眼族は、その色眼が二人の子……、片方ずつの眼にそれぞれ継承される……、俺は『左眼』に赤眼を……、今はいない妹は『右眼』に赤眼を……、それぞれ両親から引き継いだ……」



 淡々と、説明を続ける烏丸の声が、乾いた空気に混ざって空間に流れる。

 マトモに機能していなかった僕の脳みそだったが……、とある一つの言葉『だけ』が、耳に、強制的に引っかかる。



 「……『今は、いない』…………?」



 言葉を覚えたばかりのオウムみたいに、マヌケなトーンで言葉を繰り返した僕のことを見下ろしながら、烏丸がフッと、一切を蔑むように、笑う。



 「……ああ、『今はいない』よ。……俺の妹はな、『お前に殺された』んだ……」



 ――ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ――



 烏丸の台詞に呼応するかのように、教室中を緩やかな地鳴りが襲う。

 烏丸は、スッと右腕を上げ、黒い瞳の『右眼』を掌で覆ったかと思うと、赤い瞳の『左眼』をグッと見開いた。



 「『白狐村の大災害』……、妹は、お前が引き起こした……、わけのわからない『厄災やくさい』に呑まれて、『死んだ』……、ようやく……、ようやく――」



 ――ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ――



 地鳴りは、止まらない。

 それどころか、その振動は勢いを増し、思わずバランスを崩した如月さんが、タンッ、とその場に踏ん張るように、足を踏み鳴らす音が聞こえた。



 「――妹を、『追悼』できるよ……、事件を引き起こした張本人として……、『弔い合戦』には……、最後まで、付き合ってもらうぜ……、水無月、葵……ッ!!」



 深い深い地の底から鳴り響くような、

 烏丸の咆哮に呼応するように――


 『隻眼ノ憎悪』が、爆発する。



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