其の九十六 『Adagio』


 殺風景なグラウンドに、緑眼の少女が横たわる。

 赤眼の少年が、ゲホゲホと、大仰な咳をまきちらしながら、必死に酸素を取り込んでいる。


 「……ゲホッ…………、如月……、千草……ッ! ……恐ろしい女だな、お前が『赤眼族』として生まれていれば、……『青眼』など、簡単に全滅させることができるだろうに……ッ」



 真っ赤な『赤眼』をギョロリと動かしながら、息を整えた神代が、スッと整然な姿勢に直る。

 地面に横たわった如月さんの身体が、ピクピクと、痙攣したように小刻みに震える。


 ……一体、何が――

 「――『一体何が起こったんだ』……、って顔しているな、水無月」



 突如、自分の名前を呼ばれて、僕の身体がビクッと震える。

 白い歯を不気味に光らせる神代が、僕のことを細い目でジッと見つめる。



 「……何、『自然現象』だよ……、君にも、忠告しておくけど……、僕の身体は、『静電気』が酷くてねぇ……、ことに秋冬は――」


 

 神代がスッと掌を自身の前に差し出す。

 ――バチッと、掌の上で、『稲光』が巻き起こる。

 

 深淵が広がるグラウンドに放たれた一瞬の光の中に、赤眼の少年の、不敵な笑みが映し出される――


 「……僕にうかつに、『近づかない方がいい』かもね……?」



 ――ザワッ……――



 僕の胸に、一抹の不安がポツンと垂れる。

 無色透明な水の中に、真っ黒な絵の具を混ぜ込んだみたいに、

 身体の中を、不透明な『灰色』が、ジワジワ広がっていく――


 『神代 紅一』がヒョイと、ハンドバッグでも持ち上げるように、

 『如月 千草』の首に手を掛け、身体ごと持ち上げ、ギリギリと、その首を『絞めあげる』――



 「……ぐっ――」


 身動きの取れなくなった如月さんの口から、

 空気が漏れたように、小さな声が、吐き出される。



 「………『如月 千草』……、『感電』によって体の機能を停止されるか、このまま首を絞められ続けて窒息死するか……、『選ぶといい』よ! ……ククッ、アーハッハッハッハッ――」



 ――果たして、『逆転』。


 怒りと憎悪に満ちた『赤眼の少年』が、

 品定めにするように、舐めるように……、『緑眼の少女』の身体を眺める。



 ギリギリと、首が絞め上がっていく音が、聴こえるはずがないのに、僕の耳にねじこまれる。無抵抗にただ首を絞められている『だけ』の如月さんの表情が、僕の眼球に焼き付かれる。


 舞台役者みたいに声を張り上げる神代の滑稽な笑い声が、だだっ広いグラウンドの景色に溶け込んでいく――



 ……やばい……


 ……ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ……


 ……やば……すぎ……る…………



 ただでさえ常人離れした身のこなしに、触れた相手を感電させるというウソみたいな超能力……、頼みの綱の如月さんは、身体の自由を奪われ――


 まさに今、神代に、殺されようとしている。



 ……どう……、する……


 ……どう……、したら、いい……


 ……どう……、したら――――




 ――『彼女を救うことが、できるのだろうか』――



 殺風景なグラウンドの地面から、土埃が舞い散り始める。

 ざわざわと、生ぬるい風が、僕の頬を撫でる。

 深淵の闇で覆いつくされた空が、ゴロゴロと、唸り声を上げ始める……。


 真っ黒な絵の具で塗りたくられた頭の中で、

 グルグルと、定まらない視界の中で、

 まどろんだ僕の脳が、ふと、思った事。


 ……ああ、僕のマイナス思考が今……、世界と、『リンク』し始めたな――







 ――呆けている暇が、あると思うのかい? 水無月、葵……


 ……えっ?


 ――冷静になって、じっくりと、イメージしてみるんだ……


 ……何を?


 ――『如月 千草』が居ない世界――、君は、そんな世界が訪れても……、ホントウに、平気なのかい?


 ……如月、さんが、居ない世界…………?


 ――僕が、力を貸すから……、君のマイナス思考で、『世界を変える』んだ、水無月……、葵ッ――






 ――ボコッ!!


 殺風景なグラウンドの地面に、

 突如発生した、『裂け目』。


 そのヒズミによって、神代の身体と、如月さんの身体が、『引き離される』。


 「――なッ……!?」


 

 わけがわからないといった様子で如月さんから手を離した神代が、思わず後ろへ大きく後退した。解き放たれた如月さんの身体が、ドサりと、再びグラウンドの地面に放られる。


 「……なんだ…………、何が起こッ――」


 ――ブワッ!!



 ――『突風』が巻き起こり、『神代 紅一』の身体が宙を舞う。

 ……おおそ五メーターほど後ろに吹っ飛ばされた神代は、グラウンドの地面にしたたか背中を打ちつけた。


 「……ガハッ…………」



 混乱と混迷を極めた表情で、

 衝撃による痛みに歯を食いしばりながら、その身を起こそうとしている神代の眼に映った、『風景』。


 ザッ……、ザッ……と、静かな足音を立てながら、

 一切の感情を失くしてしまった、虚無の表情で、

 ウツロな足取りで、彼に近づく、『青眼の少年』の姿。



 「――神代」


 

 氷のように冷たく、底なし沼のように深く――

 人を人と思わせないような、空虚なトーンの『その声』に、神代の背中が、ゾクッと震えあがった。ピタっと立ち止まった『青眼の少年』が、地面にへたりこんだ『赤眼の少年』に向かって……、


 スッと、その『瞳』を向ける――



 「……『青眼の使命』の元に……、これ以上、如月さんには……、指一本触れさせないよ――」



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