其の三十七 『はへほのは、はんほ、ほみほんへはら、はなひはほうはひひ』
だだっ広い屋上――
コンクリートの壁にちょこんと背を預けながら、『クラスのその他大勢』の内の一人、僕こと、『水無月 葵』と、孤高のマドンナ『如月 千草』は各自のお昼ご飯を広げていた。
互いに互いのラインナップを、まじまじ見やる。
――コンガリ焼けたトーストに挟まれた、ハム・卵・レタスのサンドウィッチが二つ、それと、プチトマトの『赤』が目立った野菜サラダ――
『和』の雰囲気を醸し出している如月さんとは、およそ対照的な『洋』の献立てだが、『喫茶・如月』の看板娘(?)であることを考えると、納得だった。
「お弁当、おじいさんが作ってくれているの?」
「……ええ、お店で出しているお料理と同じものだから、作るのが簡単だって」
言うなり、如月さんは両手でサンドウィッチを掴むと、何の躊躇もなくあんぐり口を開けて、あむっ、と大口でかぶりついた。
……ケーキを食べている時から思ってたけど、如月さんって、食べ方が『豪快』だよな。
神秘のヴェールで包まれていた『如月 千草』のマドンナ像が、僕の中でどんどん剥がれ落ちていく。
――でも、それは全然悪い意味じゃなくて、勝手に僕の中で作り上げていた彼女のイメージと『実態が違った』ってだけの話で、……僕としては、目の前でパンくずを口元につけながらもしゃもしゃと口を動かしている『彼女』の方が、よっぽど愛らしくて魅力的だった。
「……ほきに、ひなふきくんのほへは、…ほんひにの、ほへんほうにひえるのはけど?」
「――如月さん、食べ物をちゃんと呑み込んでから喋りなよ」
……うーん、やっぱりちょっとは『周りの目を気にした方がいい』かも――
如月さんは綺麗な黒目を上目遣いにして、空中を見やりながら、もぐもぐとしばらく口を動かした後にゴクンと喉を鳴らした。
「……時に、水無月君のそれは、コンビニの、お弁当に見えるのだけど?」
――茶色いプラスチックの箱で覆われた、白飯と、から揚げと、申し訳程度に添えられた漬物――
彼女の言う通り、
誰がどう見ても、
僕が広げた『お昼ご飯』は、コンビニ弁当そのものだった。
「……うん、コンビニの、から揚げ弁当だよ」
言いながら、僕は割りばしを包装しているビニール袋をビリっと破いて、木の箸をパチっ、と二つに割った。
「……そういえば、水無月君は幼い頃の記憶が無くて、ご両親の顔を覚えてないのだったわね」
彼女は先ほどの失敗から学んだのか、今度は少し控え目に口を開き、ふたくちめのサンドウィッチにかぶりついていた。
「……うん、今は、偶然出会った血も繋がらない、親切なおじさんと一緒に暮らしている。その人は忙しいから、自炊なんてしている暇はなくて……、基本的に食事は出来合いのもので済ますようにしているんだ」
冷えた白飯を、割りばしを使ってブロック状に切り分け、口に運ぶ。
『特に説明を求められている』わけでもないのに、僕はこぼすように、そんなことを呟いた。
――そういえば、『この事』を人に話すのって、烏丸を除いたら如月さんが初めてかも――
何に期待することもなく、
誰に干渉することもせず、
ただ、『死ぬまで、生きる』。
そう決意したあの日から、自分の存在を世の中から『排除』するように、自分の痕跡が、『世界』に一切残らないように――
僕は、自分の事を人に話さなくなっていた。
……ホントは、誰かに聞いてもらいたかったのかもな。
隣に座る、あまりにも『無防備に生きる』彼女の姿を見て、
この子なら、自分の事を『知ってもらいたい』って、思ったのかも――
――ご馳走様――
一人、悶々と自己分析に励む僕の耳に、信じられない台詞が飛び込んで来た。
……えっ?
――ランチタイムが開始されて、僅か『三分弱』。
思わず、隣りの席に広げられている、如月さんのお弁当箱に目を向ける。
僕がさっき確認した『サンドウィッチ』は、そこまでサイズが小さかったわけではない。おそらく『食パン丸々二枚分』くらいのボリュームはあっただろう。
――にも関わらず、先ほどまで彼女の目の前に存在していた、二枚のサンドウィッチと、プチトマトの『赤』が目立った野菜サラダ が――、
忽然と、その姿を消していた。
口元を、ティッシュペーパーで拭きとっている如月さんが、きょとんとした表情で、あんぐりと口を開けている僕を見やっている。
「……どうかしたのかしら?」
訝し気な表情の彼女に対して、僕は、シンプルに『疑問』をぶつけた。
「……もう食べたの?」
「……? ええ、もう食べたわ?」
「……食べるの速い、って、言われない?」
「……? どうかしら……、水無月君は、食べるのが『遅い』のね」
隣に座る、『ド天然』かつ『早食い』の彼女に焚きつけられたように、
僕は白飯とから揚げを胃の中にガツガツと流し込んだ。
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