其の三十六 『ざわざわ…』とか、『シーン…』とか、現実世界ではそうは聞こえない


 ――キーン、コーン、カーン、コーン――


 ――ガラガラッ……


 

 朝のホームルームの開始を告げる鐘が鳴り、髪を一つの束にくくったポニーテール姿の『若い女教師』が教室へ入ってくる。



 「……担任の『鳥居先生』ですが、体調を崩されたためしばらくお休みとなります。あなた達の代わりは、副担任の『私』が勤める事になりますので、よろしくお願いします」


 若い女教師は今年から赴任になったいわゆる『新人』で、まだ慣れていないのか、ボソボソとした発声は『輪郭が薄く』、教室の奥の席に座っている僕まで『やっと届く』といったところ。たぶん数年もすれば、他のベテラン教師たちと同様、『教室』という約10メートル四方の空間内に、全生徒に均等に声を届ける術を習得していくのだろう。



 「……では、朝の出欠確認を始めます。ええと――」



 ――アサクラさん

 ――ハイ

 

 ――イチジョウさん

 ――ハーイ


 ――オリベさん

 ――ハイッ



 ルーティンワークの型にハマった流れ作業から、今日という歯車が回り始める。

 鳥居先生の突然の『長期休養の発表』にもかかわらず、その具体的な説明は特に何もさせず……、生徒たちも、特段興味がある素振りを見せず――


 僕と如月さんだけが知っている『昨日の大事件』のことなんて『何も無かった』みたいに、いつもの日常が始まる。

 僕は、不自然にならない程度にキョロキョロと目線を動かし、『周囲』の様子をうかがった。


 ――教室の最前列の真ん中の席に座っている『如月さん』は、相変わらずクールな表情で、凛と姿勢を正して、静かに自分の名前が呼ばれるのを待っている。

 当たり前だが、彼女は『ゴスロリ』姿ではなく『冬服』の制服を身につけている。

 

 今日も彼女は、授業が終わって帰路につけば、制服を脱ぎ捨て、あの『ゴスロリ』衣装をまとうのだろうか。

 ……そのことを知っているのが『クラスの中で僕だけ』っていう感覚が、なんだかむずかゆかった。


 ――『須磨 剛毅』率いる、藤原、難波の『三バカ』達は、こぞって欠席だった。

 …昨日、校舎裏で僕の『怪現象』が発生してから、『須磨 剛毅』の姿は見ていない。奴がどういう形で今後僕にアプローチをとってくるかは読めないところがあるので、正直、学校をサボってくれるのは有難かった。

 ――ただでさえ、考える事が多いのに、これ以上、悩みごとは増やしたくない。


 その他、『御子柴 菫』は相変わらず朝から居るわけは無いし、『神代』は相変わらず一人だけバカみたいに元気な返事をしているし、烏丸は、昨日の事件について特に詮索することもなく、普段通り接してくれているし――



 「――くん、『水無月 葵』、くん……?」



 ―――ハッ、と我に帰る。気づけば、クラス中の視線が僕に集中している。



 「……はっ、ハイ!!」


 少し裏返った声で慌てて返事をする僕に、若い女教師が露骨にげんなりした表情を見せた。


 「……居るなら、すぐに返事してください、ええと、次――」



 クスクスと笑うクラスメート達の嘲笑が――



 聞こえて、来ない。



 気づけば、さっきまで僕に視線を集中させていたクラスメートたちは既に僕の事を見ていない、ベルトコンベヤーに乗せられた機械の部品みたいに、お行儀よく出欠確認の時間が過ぎ去るのを待っている。


 

 ――僕の中で、ある仮説が、もやもやと浮かび上がった。


 昨日の『須磨のスマホ盗難事件』の当事者である僕を、

 クラスメートたちは、『異形』と見做し始めているのではないか――


 腫物には、触れるべからず、

 『水無月 葵』に、関わるべからず――


 

 …


 …


 …


 …――それはそれで……、楽かもな――







 「水無月君、屋上で一緒にお昼ご飯を食べましょう」



 ――午前中の授業が終わり、一時の『自由』を与えられた学生たちの、昼休みの一幕

 彼女、『如月 千草』の……、たぶん彼女にとっては『何げない一言』によって、


 クラス中の一切の会話が鳴り止み、

 誇張無く、時間が止まったみたいに、

 ありとあらゆる動きが、停止する。


 ――『ざわざわ……』というのは、『周囲がどよめく』という意味合いで使用される漫画的表現だけど――、波打ち際で足元がずぶずぶと海にさらわれるように、静かな喧騒が、教室内を静かに侵食していった。


 ――クラスのマドンナにランチを誘われた当の本人、僕こと『水無月 葵』は、ポカンと口を開け、マヌケ面をさらしながらただ固まっていた。無表情の彼女が、無反応の僕を訝し気に見つめている。



 ……そうか、わかった。



 ――彼女は……、『如月 千草』は、『ド天然』であるが故、周囲に自分がどういう目で見られているのかを『理解していない』。一学期という、ある程度長い期間で自らが作り上げた 『圧倒的な存在感を歪に放つ孤高のマドンナ』というキャラクター性を、彼女自身が自覚していないのだ。


 昨日、半日ほど一緒に行動を共にした僕なら、彼女がただの『ド天然』でどこにでもいる普通の女子高生と変わりがないってことは知っているけど、周りのクラスメートはそうではない。


 今まで、授業中以外で一切の口を開く事の無かった『如月 千草』が、

 先日からクラスの『異形』として頭角をあらわしてきた『僕』をランチに誘う。


 その一連の『くだり』が、高校のクラスという画一化された社会にとって、どれだけ『異常事態』であるか、きっと如月さんはピンときていない。



 ……固まっている、場合じゃないな――


 僕は毛穴という毛穴から噴き出そうになっている冷や汗を気合で身体の中に押し戻すと、ガタンと椅子を引いて、勢いよく立ち上がる。



 「――も、も、も、もちろんいいとも! 行こう! 今すぐ行こう!」


 

 変に引きつった笑顔を作る僕を、如月さんが一瞥する。



 「……どうかしたのかしら?」



 彼女は、心底に不思議そうな表情で、首をナナメ四十五度に傾けている。


 ……ひ、人の気も知らないで…、この『ド天然』はッ――



 僕は思わず、ボーッと突っ立っている如月さんの手を引いて、逃げるように教室の外に飛び出していった。







 僕は普段立ち入らない屋上への階段を一気に駆け上がり、扉をガバッと開ける。

 外に誰も居ないことを確認すると如月さんを招き、ぎぃーっと扉を閉じて、へなへなとその場にへたり込んだ。



 「……はぁ~~~っ――」



 深いため息とともに、魂が口から漏れ出そうだ。如月さんは相変わらずの無表情で、不思議そうに僕を見下ろしている。



 「……どうかしたのかしら?」



 ――そして、さっきと同じ台詞。

 僕は、コンクリートの壁を背にドカッと尻もちをつくと、だらしない姿勢で一言返した。



 「……何でもないよ」



 ――ふいに、乾いた秋風が僕らを吹きつける。


 如月さんの、狐のしっぽみたいにきれいな黒髪が、流れるようにそよいだ。

 彼女は右手をゆっくりとあげて、目にかかりそうな前髪を耳の後ろへ掻き分け、

 クスッと無邪気そうに、少しだけ笑う。



 「……変な人――」



 彼女にとっては、『何気ない仕草』だったんだろう。

 

 僕は、一枚の美しい風景画に魅入ってしまうみたいに、

 「なんて神秘的なんだろう」と思いながら――


 その姿に、ボーッと見惚れてしまった。



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