其の二十七 バカとハサミは使いよう―、 『先っちょの尖ったソイツ』だって立派な武器になる。


 「……キサラギィィィィ……、『死ぬ前の最後の一言』は決まったかぁぁぁぁ……? ってオネンネしてんだから『聞こえてない』かぁぁぁ……、ヒャーッハッハッハッハァァァァァ……!!」


 

 ……マジで、ほんとに、何がそんなに面白いだろう。

 B級映画の悪役みたいな台詞を吐く鳥居先生の声が、妙に勘に触った。


 ――というか、あらゆる意味でこの人はもう『教師』じゃないな、先生って付けるのを辞めよう。とにかく、鳥居がバカみたいにバカ笑いしている。


 両手に抱えた『先っちょの尖ったソイツ』のせいで、僕の視界は遮断されている。

 ヒョイと、トロフィーを掲げるスポーツ選手みたいに、僕は『ソイツ』を頭上に持ち上げた。


 視界が広がる、鳥居との距離を確認する、おそらく、10メートルほどだ。


 僕は、急ぐでもなく、ゆっくりでもなく、掃除中の用務員みたいな足取りで、

 『先っちょの尖ったソイツ』を掲げながら、スタスタと鳥居に近づいた。


 鳥居は相変わらずバカ笑いしている。

 バカだから、僕に背を向けている。

 

 ――まるで、『僕なんて居ない』みたいに、

 何にも気にせず、何にも気づかず、

 眼下の如月さんを、ただ見下ろしている。



 ……オイ、鳥居……、お前のすぐ後ろに――




 『僕が居るぞ』。




 僕は、自分がその場に存在していることを証明してみせるため、

 初めて月に降り立ったアメリカ人が星条旗を突き刺すみたいに、

 

 工事現場やグラウンドなんかでよく見る、『例のアレ』、

 『先っちょの尖ったソイツ』――



 『赤のカラーコーン』を、鳥居の頭に被せた。



 ――スポっ。




 「――なっっ……!!」


 

 マヌケな音がして、マヌケな声が聞こえる。

 

 上半身が赤いカラーコーンですっぽり覆われた鳥居は、少しだけその場で身悶えしていたが、『わけがわからない』と言った様子でバランスを崩し、ステーンとその場に倒れた。


 地面に倒れてもなお、カラーコーンごと身体をゴロゴロ動かしている様が滑稽で笑える。……けど、笑ってる場合じゃない。


 僕はすぐ傍に倒れている如月さんに駆け寄った。背中に深く突き刺さったカッターナイフが痛々しい。彼女は顔面を完全に地面に突っ伏しており、意識は無いようだった。



 「如月さん!!」


 

 できる限りの大きな声をあげ、彼女の肩を遠慮がちに揺らす。



 ――ガバッ!



 「――うひゃあっ!」



 僕の口から思わずマヌケな声が出る。

 如月さんは誕生したばかりのゾンビさながら、その顔を即座にあげた。


 彼女は、傍でしゃがみこんでいる僕の顔をまじまじと見つめた。

 その後、すぐ近くでカラーコーンごとゴロゴロと身体を転がしている鳥居に目をやった。



 「…………?」



 彼女の眼が、点になっていた。(キョトンとした顔が、いつものクールな表情とギャップとなって愛らしい。)

 言葉こそ発していなかったが、彼女はきっとこう思っている。



 ――どういう、状況?――


 

 彼女は素早く身を起こそうとして、思わず顔を歪ませる。

 ――背中に激痛が走ったんだろう。そりゃそうだ、カッターナイフが刺さってるんだから。

 彼女の苦悶の表情をみて、「なんとかしなきゃ」と僕の胸に焦りが広がる。



 ……こういう時って、抜いたほうがいいのかな、いや、でも――



 ――ズッ。



 ……えっ。



 オタオタしている僕を尻目に、

 彼女は片膝をついたまま、背中をかくみたいに右手を後ろに回すと、

 ズッ、と『自身に突き刺さったカッターナイフ』を抜き取り――


 ポイっ、と体育館の床に無造作に捨てた。



 ……おいおい――


 カッターナイフを抜き取ったことで、彼女のYシャツの赤い染みが少し濃くなったような気がしたが、彼女は気にしていない様子だ。




 「……ヌガァァァァァァァァァッ!!!」



 ――しばらくの間、地面をゴロゴロと転がっていた鳥居が、スポーンとその身を覆っていたカラーコーンを自身の頭の位置に向かって押し飛ばした。地面に横たわったままあおむけの姿勢で、両手をいっぱいに広げたマヌケな恰好の鳥居と、数分ぶりに再会する。

 ――相当お怒りなのだろうか。額に浮かび上がった血管が、はちきれんばかりに膨れ上がっているが、そんなことよりポーズが面白くて笑える。


 鳥居は、ダン、ダン、と、怒りを踏み鳴らすように両膝を立てると、ヌッとスクワットするような要領で一気に立ち上がり、再び叫ぶ。



 「……コケにするのもいい加減にしろよてめぇらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ガキガキガキガキガキの分際で教師の俺をバカにしやがっ――」



 ――フッ、と

 ビデオテープを一時停止したみたいに、

 体育館中に響いていた鳥居の金切り声が、止まる。



 僕が見た光景。


 鳥居が立ち上がるのとほぼ同時くらいに、

 如月さんが、地面に落ちていた例の『長方形の白い紙』を拾い上げ、

 低い体勢から鳥居に駆け寄る。


 彼女は右手を前面に突き出して、

 鳥居の顔面に、『長方形の白い紙』を張り付けた。



 ――バチンッ!



 ――幻覚かもしれないけど、

 鳥居と、如月さんの周囲に、紫色の稲光みたいのが走った気がする。



 ――シンッ……



 一時の、『静寂』。


 鳥居は、あんぐりと口を開けながら、

 如月さんは、白い紙を持った右手を鳥居の顔面に突き出したまま、

 僕は、しゃがみ込んだ体勢でただその光景を眺めながら――


 場が、硬直していた。



 ――バタン……。



 早撃ち勝負に負けた荒野のガンマンの如く、

 鳥居の身体が、膝から崩れ落ち、

 うつぶせの状態で、地面に倒れ込み、


 ――痙攣すらすることなく、動かなくなった。







 ……今度こそ、終わっ……た?




 如月さんは突き出した拳をゆっくりと降ろし、作曲を終えた後のピアニストのように――

 

 終焉を奏でるべく、前髪をスッと後ろに流した。




 ――安堵が、おそるおそる、遠慮がちに、僕の心に広がっていく。

 いよいよ僕は全身から力が抜け、ヘナヘナとその場にへたりこみそうになった。




 ――バタンッ!!



 ホッとしたのもつかの間、

 遠くから聞こえた扉が開かれる音に、僕の身体がビクッと動く。



 「――ようやく開いたぞ! ……おい、どうなっている……!」

 「――あ、あそこ、人がいるぞ……、誰か倒れていないか!?」


 

 ガヤガヤと、急激に喧騒が舞い込んで来た。

 声がする方に目を向ける、何人かの見知った教師が数人、こちらに指をさしながら近づいてくる。『異空間』から、急に『現実世界』に戻った気分だ。



 ……ん、『この状況』って……?


 僕は僕なりに、今の状況を『第三者目線』で分析してみることにした。


 変な紙を顔に貼られて、倒れている鳥居。

 転がる無数のバスケットボールに、バラバラになった跳び箱のパーツ。

 体育館の照明器具はことごとく地面に落下し、破壊されている。

 如月さんは、背中から血を流している。


 誰が、どう見ても、こう思うだろう。



 ――どういう、状況?――



 ――流石に、ありのままを話すわけにはいかないだろう。というか、まず信じてもらえない。

 事実を隠しながらすべての辻褄が合うように、僕たちに否が及ばないように、この場をうまくやり過ごす自信なんて到底なかった。



 ……どう、しよう……。


 

 助けを求めるように、共感を求めるように、

 僕は如月さんのほうにチラッと目を向ける。


 如月さんはクールな表情を浮かべ、少しの動揺も見せることなく――



 「――逃げましょう」



 ――そんな事を言った。


 彼女は僕の身体を再び小脇に抱え、

 教師たちが入ってきた、『校舎と繋がる入り口』――

 では、無く、反対側に位置する『グラウンドと繋がる入り口』のドアを蹴破り、


 颯爽と、外の世界へ飛び出した。



 ……ねぎらいと、お礼と、質問と――



 僕が如月さんに対してやらなきゃいけない事はいっぱいあるけど、


 ――とりあえず恥ずかしいから、落ち着いた所で降ろしてもらおう。



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