其の二十四 プログレッシブ・メタルとミクスチャー・ロックを混ぜても、たぶん売れない


 「――ハァーッ、ハッ、ハッ、ハッ、、ハッ、ハッ、ハーーーッ!!」



 突然の大爆笑に、僕の思考が強制終了する。声を張り上げた主は、さっきまで身体を痙攣させていた鳥居先生だった。

 先生は何がそんなに面白いのか、地べたに寝そべったままもぞもぞと不気味に身悶えながら、大声でひとしきり笑っていた。


 僕は、『異常』という言葉ではとうてい表現しきれない鳥居先生の『奇怪さ』に心底ドン引きしていた。如月さんはというと、変わらぬクールな表情でのたうち回る鳥居先生の姿をただ眺めている。


 鳥居先生は、のそっと立ち上がると、再びポケットに両手をつっこみ、

 ニィィィィ、と口角を限界まで上げながら、

 二つの『赤眼』を、ギョロリと動かした。



 「……たかだが十五、六のガキにここまでコケにされるとは……、『ムカつき』すぎて、『笑いがこみあげて』くるなぁ……」



 人は、いくらムカついても笑いはこみあげないと思う。

 ぼくが、そこまでムカついたことが無いからかもしれないけど……。


  

 ――それにしても、圧倒的な『劣勢』という状況にも関わらず、

 なおもふてぶてしく『余裕』の態度を崩さない鳥居先生の様子……。


 ……なんだか、漠然と、『嫌な予感がする』。



 「……時に、キサラギ――」


 スッ、と不気味な笑顔を止め、鳥居先生の顔が、無表情に直る。



 「『大事な青眼族』から、『目を離して』いて、いいのか?」




 ――バッ、と如月さんがこちらを振り返る。


 クールな表情が崩れ、

 何かに驚くように、

 二つの『緑眼』が大きく見開かれていた。


 ……えっ?



 わけがわからない僕は、次の瞬間――


 正面から何かが勢いよくぶつかり、身体が後方へ吹っ飛ばされた。




 ――ぐぇッ!


 数秒間、身体が宙に浮いたかと思ったらすぐに背中から落下し、全身に衝撃が走る。痛みのあまり、身体を起こすことができない。


 ――ガッシャアアアアアンッ!


 

 混乱のさなか、窓ガラスをバットで思いっきり叩いた時のような、何かが派手に割れる音が耳に飛び込んで来た。


 ……な、なにが――



 『ぶっ倒れている場合では無い』と判断した僕は、痛みを忘れるように歯を食いしばって身を起こす。さきほどまで僕がしゃがみこんでいた位置で、『無数のガラスの破片』と、『壊れた黒い筒のような物体』が散々としているのを確認した。

 

 ――そして、眼下に広がるは、


 狐のしっぽのようにきれいな黒髪、

 白いワイシャツ、

 紺のスカート――


 ――って、『如月さん』!?


 

 ようやく理解が追いつく。

 如月さんが、僕の腰に抱き着く恰好で、その顔を丁度僕のお腹のあたりに埋めながら突っ伏していた。


 ふんわりと髪の匂いが漂う。

 如月さんの体温が、僕の身体に伝う。



 ……ッ!


 

 『理解が追い付く』と同時に、心臓がバクバクと波打ち始めた。



 ……ど、ど、ど、ど、……どういう状況!?



 ――そ、そうだ、照れて固まっている場合じゃない。

 僕は今、鳥居先生に『殺されよう』としているんだった。


 れ、レ、れ、レ、冷静なジョウキョウブンセキを――



 ――ガバッ!



 「……うひゃあ!?」



 突如、如月さんが顔を上げた。僕の口から素っ頓狂な声がでる。

 如月さんの顔と、僕の顔が近い。その距離約20センチほど。


 僕は呼吸の仕方がわからなくなる。

 自分が今、どんな『情けない』顔をしているのか、……想像もできない。


 彼女は、びっくりするくらいキレイな顔で、

 アンドロイドみたいに『何もない』感情で、

 僕の目を少しの間ジッと見た後――


 スッと立ち上がって、


 僕の身体を、

 『片腕』でしょいこみ、

 『小脇に抱えた』。



 ……えっ……?


 

 ひょいっ―、と、小動物を扱うみたいに、なんなく持ち上げられた僕は、

 手足をブラブラ宙に揺らしながら、体育館の床に張られたカラーテープをボンヤリと見やる。



 ……どういう、状況………?


 

 ――混乱している『暇』があったのは、ほんの一時だった。


 僕を小脇に抱えた如月さんは、

 体勢を低く構えると、

 スッ、と右足をやや後方に下げ、


 ――猛ダッシュを始める。







 「……でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 ――『人に抱えられながら、全力疾走される』、という経験がある人はいるだろうか。なかなかスリリングな体験だ。絶叫マシーンに目が無い人なんかは、結構好きかもしれない。


 ちなみに僕は、『絶叫マシーン』には乗ったことない。

 乗ったことないが――、 たぶん、『全然好きじゃない』。

 ……というか、この日を境に、『一生乗るまい』と心に固く誓った。



 ――ガシャンッ! ガシャンッ! ガシャンッ!



 ……ッ!?



 ――『さっき聞いた』のと、同じ音。


 窓ガラスをバットで思いっきり叩いた時のような、何かが派手に割れる音が、

 ――今度は『連続』で、耳に飛び込んでくる。


 

 ……マジで、どういう状況だ!?



 体育館を疾走している如月さんに抱えられている僕は、超スピードで目まぐるしく変わる景色に圧倒され、『視認』によって今の状況を分析することが著しく困難になっていた。



 「死ね! 死ね死ね死ねぇぇぇぇぇ!! ひゃっはっはー!」



 もはや『教師成分』のかけらも無い鳥居先生の、マッドな声が体育館に響き渡る。


 『眼』に頼ることができない僕は、今の状況を『想像してみる』ことにした。



 ――おそらく、如月さんは何かから必死に逃げている。


 僕を小脇に抱えているのは、攻撃のターゲットが『僕』だからだ。

 僕を守るために、彼女は僕と共に『標的』になることによって、持ち前の俊敏さで間髪で危機を回避している。

 ……んだと思う。


 では、さっきから僕たちの事を攻撃している、「ガシャンガシャン」と派手な音を立てるモノの正体は何か。



 ――ガシャアンッ!


 『体育館』の中にあって、

 『数多く存在』し、

 『ガラス製』の何か――




 ……あっ!



 僕は、猛スピードで回る視界の中、ぐっと顔を少しだけ上に上げ、

 『無数の照明器具』が、僕たちに向かって次々と落下している光景を目にした。



 ――ガシャンッ! ガシャンッ! ガシャンッ!


 

 如月さんが、駆ける、飛ぶ、躱す、舞う。


 ある時は、信じられない跳躍で、『バスケットゴール』に飛び乗り、

 ある時は、忍者のように壁を蹴って旋回した。


 ――その派手なアクションに何の意味があるかは僕にはわからなかったが…。

 とにかく彼女は、狭い体育館を縦横無尽に駆け巡った。

 


 実際、僕たちの形勢は見事に逆転されてしまい、今や防戦一方…、鳥居先生のワンサイドゲームを強いられてしまっている。

 攻撃のターゲットを『如月さん』ではなく『僕』にする、という作戦は、アンフェアという意味でおよそ教師らしくはないが、戦術としてはテキメンに効果を発揮していた。


 僕をターゲットにすることで、彼女は僕を守らざる得ない。

 僕を守っている以上、彼女が攻勢に転化することができない。


 ――情けない話だが、今の僕は彼女にとって、文字通り『お荷物』だ。



 ……如月さん、どうするつもりだ……?


 男らしく彼女を助けたいのはやまやまだけど、完膚無きまでに『男らしくない』姿を晒している僕に為すすべはない。

 今の状況を変える事が出来るのは、如月さんだけだった。


 ――ふと、前方に目をやる。

 如月さんの軌道が、『ある場所』に向かって一直線に進んでいる事に僕は気づく。

 ちょうど、さきほど飛び出してきた『体育教官室』とは反対側、『体育館』の四隅の一角に設置されている、重厚な二枚扉――


 『体育倉庫』への、入り口。



 如月さんは、

 スピードを緩めることなく、

 ただひたすらに、直線上を駆ける。



 ……えっ、このまま行くと


 ――ぶつかる――



 と、思った矢先、

 視界がフワリと宙に浮かぶ。


 如月さんは僕を小脇に抱えたまま、

 タンッ、と足を地上から離し、

 『地面と垂直線上になる』ように、身体をやや横に傾けた。


 その体勢のまま、勢いを殺すことなく、華奢な右足を突き出し――


 ――バァァァァァァン!



 カギのかかった重厚な二枚扉を、

 飛び蹴りによって、

 『錠前ごとぶち破った』。


 


 ……えーーーーっ!?

 


 暗がりの体育倉庫に、全身を宙に浮かせたまま突入する恰好になった僕たち二人は、『落下地点に丁度配置してあった』運動用のマットにぼふっ、と転がり込んだ。

 ……予定調和的だと、言う勿れ。


 僕は飛びそうな意識の中、心の中の感嘆符を一旦空中に放りだし、仰向けの姿勢でハァハァとひたすら肩で息をしていた。


 ――果たして、殺意を持った『照明器具』群は、さすがに中までは入ってこない。

 『体育倉庫』へ一緒になだれこんだ如月さんが、素早くガバッと身を起こす。

 まだ仰向けの体勢で、天を仰いでいる状態の僕を見やって、



 

 「――しばらく、ここで待ってて」


 ――そんなことを言う。


 如月さんがスッと立ち上がり、光りが差し込む入り口のドアに向かって足早に向かう。


 僕の目がぐるぐると回っている。三半規管が悲鳴をあげている。

 薄暗い体育倉庫の天井が、ゆっくりと歪むように動いている。


 ――このまま目を瞑って寝てしまいたい気分だった。


 プログレッシブ・メタルとミクスチャー・ロックを混ぜたみたいな――

 急ピッチであれよあれよと変化する展開についていくのに、正直、僕の脳は息切れを起こしていた。

 目が覚めたら、全部が夢で、いつも通りの、誰と干渉することもない、『平穏な学園生活』が戻っている――、とか。


 RPGゲームをやってて、間違えて大事な装備を売っちゃったとき、気軽に『リセット』をかける……、みたいな、安易な想像が脳をかすった。



 …


 …


 ……おかしいな。



 なんか、それはそれで、『ツマラナイ』気がする。





 

 ――とにかく、


 一人の教師に、

 一人の男子高校生が殺されかかってて、

 それを助ける一人の女子高生が居る、


 ――っていう奇天烈な事件を引き起こした張本人としては……、


 最後まで、それを見届ける義務がある気がした。


 僕は軋んだ身体にムチを打ちながらヨロヨロと立ち上がると、

 だだっ広い体育館のホールへ威風堂々 一人歩いて行った『如月さん』の背中を、

 ただ、見送った。



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