其の二十二 漫画の『スラム・ダンク』は名作だと思う。 バスケ? やったことないけど


 ……ハァッ、ハァッ、ハァッ――



 ――走る、走る、走る。


 足がもつれる。 ――なお走る。



 だだっ広い、たかだか3~40メートル四方の空間……。

 誰も居ない『体育館』を、僕はダンダンと大きな足音を響かせながら独り駆け抜いていた。


 ――目的地は、グラウンド。


 ――体育館とグラウンドが繋がるドアへと到着した僕は、大きな二枚の開き扉の取っ手をしなだれるように掴みかかる。


 ――バアンッ!


 思わずドアに体当たりする恰好となる、その反動を利用するように今度は全身を引いてグッと取っ手を引っ張り――


 ――ガタンッ!



 ……って、また開かない!?


 無常にもピクリともしないドアを、僕はぐいぐいと力任せになんども引っ張った。


 ――ガタンッ!  ガタンッ!



 結果はかわらず……、力任せに引っ張ったドアは、無情にもすぐに閉じられてしまう。


 ――さっき、体育教官室でドアが開かなかったときも思ったのだが、『カギのかかったドア』を無理やり開けようとしている感覚とは違っていた。ドアの向こうで僕と同じように扉を引っ張っている人間が居て、互いに引っ張り合っている――、そんな感じだった。


 ……なんだ、なんでだよ、開け! 開いてくれ……!



 僕は火事場のバカ力を信じて何度もドアの取っ手を引っ張った。

 だが結果は同じ、僕が力を入れれば入れるほど『それと同じくらいの力で』向こう側からドアが引き戻される。



 「……無駄だよ、ミナヅキ――」



 ――体温の無い掌で、そっと撫でられたような――


 ゾっとする悪寒が、背筋に走った。

 バッと後ろを振り返ると、鼻を赤く腫らした鳥居先生が眉間に皺を十本くらい寄せて僕を睨んでいる。


 ……やばい、鳥居先生、キレてる。



 そりゃそうか。炊飯器を思いっきり顔面に投げつけられたのだ。腹が立たない人間は居ない。いや正当防衛なんだけど。


 ……っていうかそれより――



 僕の目を引きつけたのは、怒りに満ち溢れた鳥居先生の表情ではなく、

 ――その、『周囲』。



 鳥居先生のまわりには、

 まるで、RPGに出てくる魔法使いが何十もの光の玉を操るみたいに――


 『バスケットボール』がゆらゆらと浮遊していた。




 「『バスケ』は好きかぁ………。ミナヅキィィィィッ!」



 ――瞬間的に、本能が身体に命令する。

 

 ……『その場から、離れろ!!』



 僕はドアの取っ手を掴んでいた手をパっと離すと、反復横跳びの要領で真横に跳躍し、その勢いのまま体育館の周囲を迂回するように走り始めた。



 ――ダムダムダムダムダムダムッ!



 ――果たして、無数の衝突音が後方になだれ込む。

 僕がさっきまで居た位置めがけて飛んでいったバスケットボールが、空振りして壁にぶつかりまくっている音……、だと思う。

 ……今の僕には、悠長に後ろを確認している余裕なんて一ミリもない。



 ――走る、走る、走る。


 足がもつれる。 ――なお走る。


 

 背中越しに聞こえる、

 鳥居先生の『咆哮』。



 「先生はなぁぁ……『スラムダンク』が大っっっ嫌いなんだヨォォォォォォ!!」


 

 ――――知らねーーーッ!



 ――ダムダムダムダムダムダムッ!



 「……ッてぇ!」



 無数のバスケットボールが、今度は『僕の背中』に直撃する。

 痛みにこらえながらも疾走する僕の視界が――


 ――ビデオ再生を一時停止したみたいに、『一瞬、止まる』――



 身体が、フワッと浮く。

 前のめりに、身体がくずれる。

 地面に伸びた緑色のラインテープが、眼前に迫る。


 足元に転がったバスケットボールに足をひっかけた僕は、

 無惨に、『転倒した』。



 ――ダァァァァァァンッ!


 胸とあごをしたたかに打ちながら、僕の身体はうつぶせの状態で1メートルほど地面をスライドした。


 「……ぐっ――」



 痛みのあまり、思わず嗚咽が漏れる。

 ジンジンと胸が熱い、あごがヒリヒリと燃えているようだ。

 


 ――脳が興奮状態にあるせいか、不思議と『マイナス思考』は訪れない。

 痛みが熱となって、僕の身体にハッパをかけた。


 ……このくらいの痛みで、『絶望』している場合じゃない……、歯をくいしばれ……、そして――



 「――立てッ!」


 

 心の叫びが、喉から勝手に這い出た。


 僕は片膝をついたのちにグッ、と身体を起こすと、身を守るように顔を両腕で覆いながらバッと後ろを振り返る。そして――



 ……うわ――

 

 ――イヤなものを見た。




 少し離れた距離で、二つの『赤い眼』をギョロギョロさせながらニタニタ笑う鳥居先生――、は、良いとして。


 先生の周囲にフワフワ浮かぶのは、無数のバスケットボール――



 では、なく、

 パーツ分解された、『跳び箱』。



 「『跳び箱』は好きかぁ……。ミナヅキィィィィ……」



 体温が下がる。

 視界が一気に定まらなくなる。



 さっき体育教官室で、自分にめがけて飛んできた「カッターナイフ」のスピードを思い返す。だいたい、高校球児が全速力でストレートを投げた時と同じくらいだろうか。


 その速度で、物体が飛び、人にぶつかる。

 

 『その物体』がバスケットボールなら、「結構痛い」くらいの損傷で済むだろう。実際、済んだ。


 『その物体』が、ある程度の重量を持ち、『他人にぶつかることを想定されていない』固さを持った物質だった場合――



 ……痛い、じゃ、済まないだろうなぁ――


 ――っていうか、死ぬんじゃないか、普通に。



 クラゲのように奇妙に揺れる鳥居先生が、

 ニィィッ、と、不揃いの歯を見せて笑う。

 

 「先生はなぁぁ……、アニメの『SHIROBAKO』が大好きなんだヨォォォォォォ!!」


 ―――――知らねーーーッ! ……っていうかダジャレ!




 無数の木箱が、

 殺意を持って、

 僕を目掛けて一直線に飛び込んでくる。

 

 防衛本能が働く。

 僕は思わず、目を瞑る。

 咄嗟に身をかがめ、顔面を守るように両手を目の前に突き出す。


 ――そんなことをしても無駄だろうな、と思いながらも。



 『生きよう』と、必死で抗う。




 ――ドカドカドカドカドカドカッ!



 超高速で飛んできた跳び箱が、容赦なく、人体に激突する。


 ……ここで、終わりか――



 小学校以来、

 久しぶりに、

 僕の目の前は真っ暗になった――







 …。


 …。


 …。




 ……あれ?



 ……変だな。



 

 ――『痛み』が、来ない。




 おそるおそる、僕はその眼を開けた。



 しゃがみこんでいる僕の目に飛び込んで来たのは――


 眼前でひらひらと舞う、紺色のスカート。

 膨らんだ、白いワイシャツ。

 狐のしっぽのように、艶やかに揺れる黒髪。

 


 

 ――僕が目にした光景を、ありのまま話そう。



 僕の目の前に立っている『如月 千草』が、

 バラバラになった跳び箱のパーツを、

 『両腕で、受け止めていた』。



 ――ガタガタガタガタッ……


 空中で静止していた『跳び箱』が、派手な音を立てながら、力なく地面に落ちる。

 如月さんはくるっと、こちらを振り返り――



 「―――水無月君、安心して」



 『こんな事』を言う。



 「『緑眼』の使命の元に……、あなたの事は、『私が全力で守るわ』」



 深く低く、その思考を一切察することの出来ない、機械のようなトーンで喋る、

 『彼女』の『両眼』は、


 ――緑色に、輝いていた。



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