其の十九 『嘘を吐くのが下手』なんじゃなくて、下調べが足りないだけ


 ――キィーっ、と大きな扉を引き開けて、だだっ広い空間に踏み入る。


 静寂が、煩いくらいに広がっていた。漫画だったら、確実に「シーン」という効果音が入るタイミングだ。



 ……なんだ、誰もいないのか。


 『体育館』に、ぼくの上靴が床にこすれる音だけが響く。

 普段ならバスケ部やバレー部やら運動部が練習に勢を出している時間のはず、今日はどちらも休みなのだろうか、やる気の無い学校だ。


 うちの学校の『体育教官室』には、グラウンドから入る非常用のドアと、体育館と繋がっているドア、二つの入り口がある。グラウンド側の非常用扉は普段は鍵がかかっているので、一介の生徒が体育教官室へと向かうには体育館を通り抜ける必要があるのだ。


 何も無い空間をひたひたと歩きながら、角っこに設置された体育教官室へ向かう。なんだか妙に空気がヒンヤリと冷えててモノ寂しい。普段の体育の授業では皆の熱気が渦巻いているからだろうか。



 ――コンコンッ


 「……失礼しまーす――」



 目的地へたどり着いた僕は、遠慮がちにノックをしながらそろっと扉を開ける。

 そういえば体育教官室に入るのは初めてだった。冷えきった体育館とは裏腹に、部屋の中から暖かい空気がもあっと流れ出てきた。



 「……おう、水無月か……、よく来たな、……まぁ、座れ」


 中に入ると、デスクに向かって何か書き物をしていた担任教師の『鳥居先生』が、椅子ごとこちらに身体を向けて、ソファへ座るよう僕を促してきた。


 体育教官室は、テレビやら、冷蔵庫やら、扇風機やら、およそ『体育』とは関係の無い家電類がやけに充実していた。もしかして宿直室と兼ねていたりするのだろうか。


 僕は先生に促されるままに、ちょこんとソファに前かがみになって座る。

 しばらく書き物を続けていた先生だったが、仕事がひと段落ついたのか椅子を引いて立ち上がると、僕に向かい合う形で対面のソファに腰を掛けた。


 『鳥居先生』は、どちらかと言えばやせ型の、ひょろっと長い『もやし』みたいな印象の体型をしている中年のベテラン教師だ。無精ひげを生やし、髪の毛も手入れをしている方ではなく、学校の先生というよりは『作家』とか『新聞記者』とかアナーキーな職業に就いてそうな風貌だった。



 「……急に、呼び出して悪かった……。まだ、学校に残ってたんだな」



 鳥居先生が、デスクから持ってきたお茶をズズッとすすりながら口を開く。勿論、『お客』ではない僕の前にはお茶は置かれていない。というか、ソファに座らせてくれたこと自体がちょっと不思議だった。



 「……あ、はい。……クラスメートを、待っていまして…」



 ――一瞬、鳥居先生のメガネの奥の目が、ギロッと僕を睨んだ気がした。

 

 ……錯覚かな、と思えるくらいに、本当に一瞬だったけど――



 「――クラスメート……? そうか、まぁいいや」



 鳥居先生は、『それが誰か』とは言及しなかった。

 『如月さん』と答えていたとしたら、「早退したはずでは?」と面倒くさい方向に進みそうだったので、正直助かった。



 「……それで……、話、なんだが、 ……昼休みに、須磨に、呼び出されたらしいな?」



 ……ああ、そういう事か。


 ――腑に落ちた僕は、人知れず胸をそっと撫で下ろす。


 素行の悪い生徒に目を付けられた、善良なる生徒をケアするのは、先生の職務の一環だ。なんとなく如月さんの台詞を異様に意識していた僕は、無意識に『この後何かよくない事が起こる』と漠然な不安に襲われていたのかもしれない。


 烏丸か、神代か、はたまた第三者か――、


 昼休みの『須磨のスマホ紛失事件』を目撃していた、謎の正義感を持った誰かが鳥居先生に事の顛末を報告してくれたのだろう。『呼び出し』はその事情聴取。



 「――はい。須磨のスマホが体育の授業中に無くなったみたいで、それが何故か僕の机の中から出てきて、須磨が、『お前が盗ったんだろ』って……、その時は神代が収めてくれたんですけど、その後、校舎裏によびだされて――」



 ……ん? そういえば、色んな事がありすぎて気にしてなかったけど……、須磨のスマホを僕の机の中に入れたのって、結局『誰』なんだ?――


 

 ――ズズズッ、とお茶をすする音で疑問が再び脇へと置かれた。先生は僕の顔ではなく、やや下、胸の辺りに視線を置きながら、言葉をつづける。



 「……そうか、そういえばお前、ジャージ姿じゃないか……、制服、どうしたんだ?」



 ――カキーン、と甲高い金属音が遠くから聞こえた。

 野球部が練習試合でもしているのだろうか。



 「……あ、ハイ、須磨に……、プールまで連れていかれて、落とされて……、びしょびしょになってしまったので、一旦制服は体操着袋にしまって、代わりにジャージに着替えました」



 ――カキーン、と甲高い金属音が再び聞こえた。

 どうやら片方のチームの調子が良いらしい。



 「……そいつは、大変だったな。そういう時は、遠慮なく先生に相談していいんだぞ」


 「……あ、ハイ。 次から、そうします……」



 ――カキーン、と甲高い金属音が再び聞こえた。

 ……おいおい、打たれ過ぎじゃないか。



 「……それで……、ちょっと聞きたいんだが――」



 鳥居先生は徐に立ち上がると、僕に背を向け、そのままの体勢で会話をつづけた。



 「……校舎裏に居たんだよな、お前ら。……先生なぁ、妙なモンを、見たんだ」



 ……ん?



 ――もしかして…、『素行の悪い生徒に目を付けられた善良な生徒のケア』……、ってだけじゃない?


 

 「……校舎裏なぁ……、『水たまり』が張ってたんだよ、至る所に……。おかしいよなぁ、今日雨降ってないしなぁ。……で、あそこ、でっかい木あるだろ? ――折れてるんだよ、ボッキリと……、まるで、台風が過ぎ去った後みたいだったなぁ、校舎裏『だけ』が」



 ……なんだ、『鳥居先生』何が言いたいんだ……?



 ――先生は完全に僕を背を向けてしまっているため、表情が読めない、僕は先生の呟きのような問いかけに、「はぁ」、とか「へぇ」、とか、バカみたいな相槌をひたすらうっていた。



 「あとなぁ…、水無月――」



  カチャッと、ふいに鳥居先生がメガネを外した。


 ――何故だか、僕の全身の毛穴が、ぞわっと逆立った。



 「――この時期、プールに水、張ってないぞ?」






 ――カキーン、と甲高い金属音が再び聞こえた。

 ……あ、そっか、『練習試合』じゃない、『ノックの練習』をしてるのか。



 




 ……まぁ、『そんな事考えている場合』じゃ、無さそうだけど――



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