-第五幕-
其の十八 放課後の校内放送に、安易に従ってはいけない
運動部がランニングをする掛け声がグラウンドに響く。
廊下を歩く音と女子生徒の談笑が、時折、遠くから聞こえる。
夕焼けでオレンジ色に照らされた教室に、放課後一人ポツンと残っている僕は、がらんどうな教室をひたすらにスケッチしていた。
ひと段落ついたところで、グッと伸びをしながら、チラッと黒板の上に掲げられた時計に目をやる。
午後五時半――、ぼつぼつ部活動も終了に近づく時間だ。僕は一時間あまり、誰も居ない教室で独りペンを走らせていたことになる。
……帰ろうかな。
『如月 千草』から言われるがままに、放課後の教室で独り待っていたのだが、待てど暮らせど待ち人は現れない。もとより『深く関わり合いを持つ事』を避けていた相手だ。あんな事を言われたなければ、適当な理由を付けてとっくに帰っている。
――残念だけど、あなた、殺されるわ――
……殺されるって……、サスペンスドラマじゃあるまいし――
昼休みが終わり、五限目、六限目を経てもなお、彼女の声がぐるぐると頭の中に鳴り響き続けていたのだが、徐々に冷静になって考えてみると、一介の高校生である自分が殺されるなんて、あまりにも『現実離れ』しているという考えが膨らんで来た。
如月さんが冗談を言うタイプには思えないし、あの時は彼女の真剣な目つきに気圧されて本気で自分の身を案じたものだったが、時間が経つにつれて、あの時彼女と対話をしたこと自体、現実だったのだろうかと疑いたくなる。
――校舎裏で『彼女』と相対した、その後――
教室に戻った僕は、まずはびしょびしょの制服からジャージに着替えようと自身のロッカーへと向かった。烏丸と神代が心配そうな様子で駆け寄ってきた。
まさか、「いや~、自分が起こした怪現象で大雨になっちゃって…、びしょぬれになっちゃってさぁ、アハハ…」なんて言えるはずもなく、須磨にプールまで連れていかれて突き落とされたと適当にウソを吐いた。
昼休みに起こった『怪現象』については、発生時間がわずかだったこと……、それに『校舎裏』という殆ど人が近づかないようなロケーションだったことがあって、クラスメート達はさしも気づいていない様子だった。
よしんば学内で目撃した生徒がいたとしても、『激しめのお天気雨』くらいにしか思わなかったのかもしれない。ぼっきり折れた老木に関しても寿命として処理されるだけだろう、はじけ飛んだ学生ボタンのかけらについては…、まぁ「なんだコレ」くらいには思われるかもしれないが。
――ちなみに、昼休みに校舎裏で出会った面々は、こぞって五時限目以降は姿を現さなかった。
如月さんに関しては、『体調不良で早退した』と連絡があったらしい。僕だけならまだしも、如月さんまでずぶぬれで教室に現れたら『何事か』と詮索されること必死だ、好奇の目で見られることを彼女の方が避けたのかもしれない。
須磨をはじめとする三バカ、ついでに『御子柴 菫』からは特に連絡が無かったため『ズル休み』と処理されていた。まぁ彼らの場合はいつもの事なので、特に誰かが何かを気にしている様子はなかった。
――そんなこんなで、昼休みの大事件が嘘のように、午後の時間は平和に過ぎ去っていった。如月さんに「待ってて」と言われた以上、「結構待ったのに来なかったからさぁ…」、としたり顔で言っても許されるレベルには待つべきかなと思った僕は、タイムリミットを『六時』に設定して時間をつぶしていた。
……暇だ。
実際、家に帰ったところでさしてやることもないので、教室で暇をつぶすのも、家で時間をつぶすのも、生産性という意味ではあまり変わりないのだが、『待たされている』という状況がエネルギーの浪費に拍車をかけているように思えた。
――僕は普段『他人と待ち合わせをする』ことなんてめったにない、言ってしまえば、『他人を待つ』のに慣れていない。やり方がわからなかった。
……いや、人を待つのにやり方もクソも無いんだろうけど――
――ピン、ポン、パン、ポーーン――
……校内放送?
――こんな時間になんだろうか。授業が終わった後の放課後に生徒の呼び出しがあるとは到底思えない。暇すぎる僕の耳が無機質な機械音へ釘付けになる。
――『一年A組、水無月 葵君、 一年A組、水無月 葵君 、 まだ校内に残っていたら、体育教官室に来てください。 鳥居先生がお待ちです』――
……え、僕じゃん。
ちなみに、『鳥居先生』とは僕の担任教師だ。科目は『現国』。
……なんで『体育教官室』……?
謎が謎を呼ぶ校内放送だが、暇を持て余している僕に行かない理由はない。というか、暇もクソも先生に呼び出されているんだから、今日行かなくても明日また呼び出しがあるに決まっている。雑務はさっさと終わらせておいた方がいい。僕はスケッチブックをカバンにしまうと、ガタンと椅子を引いて立ち上がった。
――残念だけど、あなた、殺されるわ――
……まさか、ね――
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