-第二幕-
其の八 携帯の着信音が奏でる、僕のための鎮魂歌
――キーン、コーン、カーン、コーン――
「――ああ、もう時間か。じゃあ、続きはまた次回……、諸君、ご苦労――」
教壇の前に立つしゃがれ声の年老いた教師が、ゆるりとした所作で静かに黒板の文字を消していく。
大きく伸びをしながらあくびをする者、
後ろの席の生徒に声をかける者、
夢の世界から戻らず、すやすやと惰眠を継続する者…、
――二限目の終わり、今日もなんとか『平穏な学園生活』を継続できそうだ。朝は珍しく数人のクラスメートから声を掛けられたせいでバタバタとしていたが、今思うと僕が金曜日に休んだ事に対する『連絡事項』が大半だった。その後はいつも通り『流れるだけ』の日常が進行する。
――適当に烏丸と談笑して、授業を聞いたり聞かなかったりして、時間が来れば帰宅する――
僕のミッションは赤子の手をひねるよりも簡単だ。僕はふわっ、と小さなあくびをもらしながら席を立ち、教室の後ろ側にずらっと並んでいるロッカー群の中から、自分のネームプレートが掲げてある扉を開けてジャージを取り出す。
「午前中から体育なんてかったるいな。更衣室まで一緒に行こうぜ、水無月」
既にジャージを手にしていた烏丸に声をかけられる。僕は「うん」と小さく返事をしながら、バタンとロッカーの扉を閉めた。
この後起きる『大事件』の事なんて露知らず――、僕は呑気に烏丸と昨日見た深夜アニメの話をしながら更衣室へと向かった。
※
「―――ッ、ああ!? ……無ぇ、 無ぇ、 無ぇよ!」
――体育の授業が終わり、着替えを済ませたクラスメートたちがちらほらと教室に戻ってきているところだった。
生産性の無いランニングをさせられ、自分の席で頬杖をつきながら夢うつつだった僕の耳に『がなり声』が飛び込んだ。
思わず音の発生源に目をやると、クラスの三バカトリオのボス猿――、須磨が自分のカバンの中身を机にぶちまけながら怒声をまき散らしている。
――財布、ヘアワックス、チューインガム、少年漫画雑誌、握力を鍛える器具――
勉強する気0のアイテム群が机の上に乱立される。およそ須磨らしいラインナップだ。誰もが持っているはずの『アレ』が見当たらないところを察するに、奴が無くしたものはおそらく―――
「……俺の『スマホ』が 無ぇよ! ……畜生、どこ行きやがった――」
須磨は顔を真っ赤にしながら自分のかばんの中に手を突っ込んだり、机の中をのぞき込んだりしたり、宝探しに勢を出している。
……スマホが見当たらないくらいで、そんなに騒ぐなよ。
僕は心の中で小さな侮蔑を須磨にぶつけ、次の授業まで夢のつづきを見ようと再び目を閉じた。
「――鳴らしてみりゃいいじゃん……、俺がかけてみるよ」
「……ああ、そういやそうだな。頼むわ」
須磨の手下その1、「藤原」が見かねて須磨に助け舟を見る。ナイスだ。僕の『平穏な学園生活』は誰にも邪魔されたくない。たとえそれが、五分間という短い時間の安眠であっても…。そう、『平穏な学園生活』は、僕だけのもの――
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
電車の中や、テレビCMでよく聴く『あのメロディ』が教室のどこかで微かに流れる。ちなみに僕のスマホがその旋律を奏でることは無い。友達が烏丸しか居ないし、烏丸とは学校以外で交流を持たないからだ。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
……決して不快な音色じゃなかったとしても、携帯の着信音というのは繰り返し聞かされると不思議とイライラしてくる。……早く見つけろよ、須磨。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
………ん?
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
………なんか、音、近くないか?
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
………ん、なんだコレ、もしかして――
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
僕は、目をパチっと開けると、おそるおそる自分の机の中に手を突っ込む。
――教科書でも、ノートでも、もちろん『僕のスマホ』でも無い、『薄い固形物』が、指に触れる。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
『薄い固形物』を取り出し、自分の手のひらの上の『それ』をまじまじと眺める。
ディズニーに出てくる某アヒルが一面に描かれたデザインのケースで覆われた『それ』は――
紛れもなく、
誰がどう見ても、
……およそ信じたくはないが――
『スマホ』、そのものだった。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
僕の手のひらに収まった『スマホ』が、僕のための鎮魂歌を奏で続ける。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪
――ふと顔を上げると、ヒグマ…、じゃなくて『須磨』が目の前に立っていた。
顔を耳まで真っ赤にし、
誇張無く『鬼の形相で』、
眉間にしわを五本くらい寄せながら――――
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