其の七 圧倒的な『存在感』を歪に放つ孤高のマドンナ


 ――ガラガラガラッ――



 教室のドアが静かに開け放たれ、

 無数の視線が『ソコ』に集中する。


 現れた『一人の女子生徒』の姿が目に入った瞬間――、

 僕は目の奥がきゅうっ、と何かに強く引っ張られる感覚に襲われた。

 身体が硬直し、思考が止まりそうになった僕は思わず彼女から視線を外した。


 ゆったりと、

 凛としたさまで、

 『彼女』は自身の席へと向かう。


 周囲の生徒たちは氷像のように硬直し、

 どこに目線を向けるわけでもなく、

 ただ彼女が歩き去るのを待つ。


 彼女が教室の床へ足を踏みしめるたびに、

 狐のしっぽのように艶やかな黒髪が揺らいだ。


 音も無く着席した彼女は、

 まったいらな水面に小石を投げ入れるかの如く、

 声を発する。



 「――すみません、家の仕事を手伝っていたら、少し遅れました」







 ――如月きさらぎ 千草ちぐさ……、


 呼吸さえも忘れ、思わずまじまじと見入ってしまう『美貌』。

 教師でさえもたじろぎ、慌てふためいてしまうほどの鋭い『眼光』。

 機械のようなトーンで発せられる、深く低い『声』。


 『クラス』という小さな社会で、

 圧倒的な『存在感』を歪に放つ、

 孤高のマドンナ―――


 それが彼女、僕というフィルターから覗き見える、『如月 千草』という一人の女生徒の姿だった。


 彼女の『隔絶』は、学級委員長の『神代』や、図書委員の『不知火さん』、不良の『須磨』とはレベルが違った。彼女がクラスメートと話している所を見たことが無い。笑っている姿など勿論お目にかかれない。

 ――というか、授業中の発言以外で彼女の『発声』すら、聞いたことが無いかもしれない。



 彼女の存在は、クラスという一つの社会の『外枠』に居るようだった。


 『神代』のように妬まれるでもなく、

 『須磨』のように煙たがれるでもなく、


 『如月 千草』という一人の女生徒について、皆が一切の話題を避けた。

 それでいて彼女が教室に現れると、神仏を崇め恐れる老人のようにこぞって委縮した。


 彼女の存在は、画一化されたクラスという水面に『波紋』を生み出す。

 『波紋』はうねりを上げて、空っぽな僕らの自意識を、耳の裏側からそっと撫でつける。



 ――僕は、僕の高校生活において、『僕の平穏を脅かす可能性がある』と警戒視しているクラスメートが『二人』いる。


 学級委員長の神代でも、

 不良の須磨でも、

 同じ図書委員の不知火さんでも、


 ……もちろん烏丸でもなく――、


 

『如月 千草』は、そのうちの一人だ。



 ――何故だか、『強く興味を惹かれてしまう』という意味で、僕は、彼女の事をなるべく考えないようにしていた。






 「――そう、か。それは……、仕方ないな。うん、まぁギリギリ間に合ったし……、遅刻は免除だ。 ……え~っと、どこまでいったっけ、ああ、如月の次は――」




 ――キノシター

 ――ハイ


 ――サクラバー

 ――ハイッ


 ――シラヌイー――




 水面が、ふたたび『まったいら』に戻る。


 無機質に鳴るメトロノーム音のように、

 点呼と応答だけがつまらなそうに教室に響いた。



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