其の六 先客万来・奇々怪々
――朝のホームルームが始まるまでの、忙しない教室のワンシーン。
自分の席についてカバンから教科書やらノートを取り出していると、スッと目の前に人の気配を感じた。チラリと顔を上げると、「お前昨日10時間寝たのか」ってくらいさわやかの笑みを浮かべる一人のクラスメートが立っていた。
「おはよう! 水無月君! 準備しているところ悪いね…。 手を動かしながらでいいから、ちょっと話、いいかい?」
――
うちのクラスの、『学級委員長』。
頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗、その癖自分の能力に鼻をかけることをしない、爽やかな好青年。まさに『出来杉くん』みたいな奴で、女子生徒からの人気も高い。
――のだが、特別に仲が良い友達はいないようで、単独行動が多いのを僕は見逃していない。どちらかというと、クラスの輪からは『外れている』。
おそらく、彼が『出来過ぎる』故の嫉妬心で、彼の事を好ましく思わない男子が多いのだろう。事実、神代の居ないところで彼に対して言われなき悪口を叩いているクラスメートの下衆な閑談はたまに聞こえてくる。
神代を見ていると、与えられすぎてしまった人間というのも、それはそれで要らぬ苦労を強いられてしまうものだなと、なんだか複雑な気持ちになってくる。……別に同情なんてしないけど。
「――先週の金曜日、水無月君は風邪で学校を休んでいただろう? その日帰りのホームルームで、文化祭の出し物のアンケートをみんなに書いてもらったんだ」
言うなり、神代は整った白い歯をニッと見せながら、一枚の手書きで作られたアンケート用紙を取り出し、僕に手渡してきた。
「ああ、そうだったんだ。うん、ありがとう。今日中に書いて渡すよ」
「そんなに急がなくてもいいからね――、じゃあ、よろしく!」
神代は終始爽やかな笑顔を崩さず、さっそうと自分の席へ戻っていった。なんで朝からあんなにハキハキとしたトーンで喋れれるんだろう。ボイトレでも通ってんのかな。
僕は渡された紙を一瞥する。
――文化祭か……、面倒だな。成績に関係あるわけでもないし、当日は風邪引いたとか言ってサボろう――。
そんな邪な計画を胸に、
僕は一言、「特になし」と書いたアンケート用紙を机の奥にしまった。
※
「――で、したらよぉ! そいつ自分からガン付けてきた癖にちょっと小突いただけで半泣きになってやがんの!」
「ギャハハハハ! マジかよ! そいつマジだっせーなっ!」
……ああ、うるさいなー。
嫌でも耳に飛び込んでくる『しゃがれたダミ声』に、僕は思わず顔をしかめる。
――
と、それを取り巻く二人のチンピラ…、
偏差値が決して低いわけではないうちの高校に何故か紛れ込んでいる野獣。高校生とは思えないガタイの良さは、プロレスラーか米兵かヒグマ並だ。何を食べたらそんなにでかくなるのだろうか。
うちのクラスの中でも『異質な存在』で、常に三人で行動し、他のクラスメートとは殆ど交流を持たない。授業中に堂々とスマホを弄び、学校をサボることもザラだ。確信を持って言えるが、こいつらは絶対に進級できない。というか何故うちの高校に入れたのだろうか。
周囲に直接的な被害を加えるわけではないから、野獣にしては分別がある方なのかもしれないが、どちらにせよ『関わるべき対象』ではない事は明白だ。
「――なぁ、水無月もそう思うだろう?」
僕の隣の席の机に腰をかけている須磨が、ふいに下品な笑顔を見せてきた。
……えっ、なんで僕に振るの。
「……えっ、ああ、うん。そうだね。ハハハ――」
「そうだろう、そうだろう、ガッハッハ―ッ――」
大魔王みたいな笑い声が教室中に響く。
――何が一体そんなに面白いのか。というか、話に参加したわけでもない僕に何故急に声をかけたのか。混乱した頭で、僕は引きつった笑顔を浮かべながら身心ともにフリーズしていた。
※
……そろそろホームルームが始まるな。遅刻しないように毎日少し余裕を持って登校しているせいで、朝の余分な十五分が無駄に長く感じる。あ~、あくびが出そう――。
――トンッ、トンッ
ふいに、誰かに肩を叩かれた。
後ろの席に座っている烏丸だろうか。直接声をかければいいのに――
さっきの須磨とのやり取りで無駄にエネルギーを消耗していた僕は、やや不機嫌な顔で、あくびを噛み殺しながら振り返る。
――烏丸は席に居なかった、代わりに一人の女生徒がしおらしい様子で立っている。
「……あ、水無月君、ちょっと話したいことがあるんだけど……、今、いいかな――」
――
薄茶色のロングヘアがよく似合う、背の高いおっとり美女。
ゆったりとしたトーンで旋律される少しアニメっぽい声と、時折見せる天然振りが愛らしく、隠れファンも多い。つい先日、遅刻して慌てて教室の中に入ってきた彼女が床に置いてあった誰かのカバンに蹴躓いて派手に転倒した『不知火さんいちごパンツ丸見え事件』は記憶に新しい。
――一見なんの問題も無さそうに見える彼女だが、意外と一人で居ることが多い。彼女の場合、誰かから敬遠されているというより、自ら交流を持たないように壁を作っている感じがする。昼休みはもっぱら一人で本を読んでいる姿が目に付くので、僕と同じで意図的に人と関わらないようにしているのかもしれない。理由は不明。
「――水無月君、先週の金曜日、風邪でお休みしてたでしょ? ……図書委員の定期MTGがあったんだけど、明日の昼休み、皆で書架整理をすることになったの」
――そういえば僕は図書委員だった。
うちの高校は『委員会』への参加が強制であるが故、一番楽そうな委員にしたんだけど、意外と仕事が多くて少し後悔している。サボってしまえばいいのだが、『悪目立ち』を避けたい僕にとって、集団から外れた行動はご法度だ。毎週末に行われるMTGやらたまに行われる書架整理にも律儀に参加している。
うちのクラスの図書委員は僕と不知火さんだけで、委員会での活動は必然的にペア行動になる。クラスでは目立たない彼女の動向に詳しいのもそのためだ。もしかしたら彼女は烏丸の次くらいに話す機会の多いクラスメートかもしれない。
「そうなんだ、教えてくれてありがとう」
「……うん、ちゃんと伝えたから……、忘れずに……、ね?」
彼女は控えめに笑うと、くるりと踵を返して自分の席に戻っていった。
――「可愛いな」と、思わなくもない。
瞼の裏に潜む、
『青眼』の僕が無表情でこっちを見ている。
……別に、思っただけだよ。
心の中で、『青眼』の僕に弁解する。
『青眼』の僕は、
返事もすることなく、表情を変えることもなく、
ただ、こっちを見ている。
※
――キーン、コーン、カーン、コーン……
……ようやく朝のホームルームか、なんだか朝から先客万来だったな。
ガラガラと教室の前のドアが開け放たれ、スーツ姿の担任教師がズカズカと中に入ってくる。
「おはよー、出欠取るぞー」
やる気があるのか無いのかもわからない、『ルーティンワーク』の型にかっちりはまったトーンで担任教師が声を上げる。
――アサクラー
――ハイ
――イチジョウ
――ハーイ
――オリベ―
――ハイッ
教師の声というのはよく通る、とりわけて大きな声を出しているようにも見えないのに、なぜか一音一音がハッキリ聞こえる。彼らは、『教室』という約10メートル四方の空間内に、全生徒に均等に声を届ける術を長年の教師生活で体得しているのかもしれない。
一方、生徒たちの返事はもはや生きているソレとは思えないほど覇気が無く、朝の出欠の挨拶ともなるとまるでゾンビの唸り声だ。
『出欠確認の返事をしている』という前提の状況があるからこそ、「はい」って言ってるんだろうな、と変換して認識することが出来るが、音だけ拾うと「ヴォイ」とか「モイ」とか、まるで意味の無い記号が出力されているだけのように感じる。
――カラスマー
――ハイ
――キサラギ―
――……
――……キサラギ―?
一人の生徒の不在によって、
ベルトコンベヤーが故障したみたいに、
流れ作業が一時停止する。
校則が特段に厳しいわけではないうちの高校では、生徒の遅刻や欠席などザラにある。朝の時点でクラスメート全員が揃っている方が珍しい。
故に誰かが休んだりしたところで、「寒くなってきたし、風邪かな」とボンヤリ想像するくらいで、僕の感情が揺れることは基本的には無い。
――ただ、その人物、
『キサラギ』と呼ばれたその生徒に関しては、別だった。
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