其の四 追憶ノ終わりと、僕ノ決意
「……水無月、どうしたの、その『眼』――」
――燃え散る答案用紙の花びらに、騒然とする教室内をボーッと眺めていた中学一年生の秋――
隣に座っていたクラスメートの『
――烏丸は、僕の『ウンコマン事件』を知りつつなおも友好関係を続けてくれる唯一の存在だった。中学の三年間一緒のクラスで、僕にとってたった一人の話相手でもある。烏丸自身も人付き合いが得意なタイプじゃないのか、僕以外のクラスメートと話している所はあまり見ない。
「――『眼』……?」
「ああ……、なんというか……、いや、『直接見た方が早い』と思う」
烏丸は変に口ごもった様子で僕をトイレに行くように促した。その際、「あまり他の奴に見られない方がいい」と一言添えて――
わけがわからない僕は、とりあえず烏丸に言われるがまま、教室がパニック状態なのをいい事に、独りしれっと教室を抜け出し男子トイレに向かった。
トイレのカガミに写る自分の姿を見る。
――一瞬、自分が何を見ているのか、まったくわからなかった。
毎朝歯を磨きながらカガミ越しに顔を合わせているいつもの自分は、そこに写っていなかった。腰が抜けて立てなくなった僕は、自分が見たものを、『自分自身へ説明する』かのように、声を絞り出した。
「――な、なんだコレ……、僕の『眼』……、『真っ青』じゃないかッ――」
薄気味悪い化け物を目の当たりにするよりも、
『自分自身』の身に起きた『異変』の方がよっぽど恐怖を感じる。
『自分以外の何か』を嫌悪するなら、自分の領域から排除すればいい。
その場から逃げるか、関わらなければ、それで済む。
『自分の一部』が異形となってしまったら――、
醜悪を、受け入れざる得ない。
恐る恐る立ち上がり、鏡越しの自分をもう一度確認する。
……見間違いじゃない。
僕の『眼』は、濃い色のペンキで塗りたくったように、黒目の部分がおどろおどろしい『青』色に染まっていた。
「――とりあえず、落ち着けよ……」
気づけば、烏丸の姿が鏡越しに見える、心配して来てくれたのだろうか。
この時の僕は自分の変異にたじろぐばかりで、まともな思考が働かなかった。
――バチン、とトイレの電気が一人でに消えたが、それすら僕は気づかなかった。
烏丸は、僕に深呼吸をするように促した。僕は言われるがままに、目を瞑って、 ――自分の姿をみないようにして――、しばらくの間小さな呼吸を繰り返した。
十分くらい経つと、徐々に冷静さが戻ってくる。
心臓の鼓動も程なく落ち着いてきた僕は、勇気を振り絞って再び瞼を開けた。
毎朝、歯を磨きながらカガミ越しにボーっと眺める、
『黒目の自分』が、そこに居た。
僕は、安堵のあまりヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
……いや、僕が『ウンコマン』だから、『トイレの床に座るのなんて平気』、っていうわけではない。
とても教室に戻る気になどなれなかった。その後僕たちは、烏丸の提案で屋上に行って二人で授業をサボることにした。
屋上で僕は、僕の身の回りで発生する『怪現象』について烏丸に話した。
――『怪現象』が起こる原因が、僕の『マイナス思考』かもしれない、という事も。
僕は今まで、『怪現象』について人に話すことは無かった。『薄気味悪い奴』と好奇の目で見られるのがいやだったからだ。既に『人外』のレッテルを貼られていた僕だったが、孤独にさえ耐えれば日常の平穏を守ることができた。
何故だか、烏丸には話していいと思えた。
――僕自身、自分独りで抱え込むのが限界だったというのもある。『他人に興味を示さない』烏丸なら、余計な詮索などせず話を聞いてくれるという直感もあった。
――果たして、烏丸は黙って聞いてくれた。
「偶然の一致だ、気にするな」と慰めてくれた。
「青く染まった『眼』については、他人に見られない方がいい」とアドバイスをくれた。 ……烏丸自身も、『誰にも言わないから』と約束をしながら。
僕は、その日を境により一層他人と距離を置くようになった。
「また、あの日の修学旅行のように、友達と笑いながら過ごせる日常が訪れるかもしれない」という、小さな希望も投げ捨てた。
日常を重ねるうちに、僕の『予想』は徐々に『確信』に変わっていた。
――『怪現象』が起こるのは、決まって僕が『マイナスの思考』に囚われている時――
他人との距離を置こうと『明確に決意』したその日から、『怪現象』の発生が激減したんだ。
最初のうちは、独りでいる時に『言い知れぬ不安感』に襲われ、本棚から本が勝手にドサドサ落ちたりもした。鏡に写る真っ青な自分の両眼を見ながら、その場で吐いた事もあった。
――なるべく、何も考えないようにしよう。
僕は、家に居る時はもっぱらスケッチブックを開いて『模写』をすることにした。
とりわけ絵が好きなわけでもなかったけど、ペンを走らせている時は頭の中を空っぽに出来たからだ。インターネットで適当な風景を選んでは、ひたすらスケッチブックを線で埋めていった。
学校へ行き、授業を受け、烏丸とたまに談笑して、帰宅する。
家に帰ると一歩も外へは出ない。休日もなるべく家の中で過ごした。
そうこうしているうちに、僕の中学校生活はひっそりと終焉を迎え――、
気づけば高校生になっていた。
※
以上が、僕の思い出話――、
僕の、『過去』についての話だ。
現在の僕――、
高校一年生になった『
『死ぬまで、平穏に過ごす事』。
何に期待することもなく、
誰に干渉することもせず、
ただ、『死ぬまで、生きる』。
「若い奴が、何、早々に人生を諦めちまってるんだ」と、お叱りの声が聞こえてきそうだ。
何かに挑戦してみたいと思う気持ち。
新しい世界に飛び込んでみようとワクワクする気持ち。
そんな『上向きな思考』が沸き上がるたびに、心の中の『青眼の僕』が呆れたように笑う。
『お前に、そんな資格が、あると思うのか?』
問いかけられて、口をつぐむ。
答えが出ないまま、僕はスケッチブックに向かってペンを走らせる。
――もう、いい。
――もう、いいんだ。
僕は、誰に干渉する気もない。
誰の人生も邪魔しようと思わない。
――だから――
頼むから、
誰も、僕の人生を邪魔しないでほしい。
そう思った。
そう思っていた。
……そう、思っていたのになぁ――――
――彼女に、『青眼』を見られてしまうまでは――
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