其の二 現実世界は、「目の前が真っ暗」になってもリセット出来ない


 様子がおかしくなった僕をみて、クラスメートが訝し気に声を掛ける。



「……葵君、なんだか顔色悪いよ。どうしたの…?」


「……うん、ちょっと…、いや、かなり…、おなかが…、いたい…、かも」


「えっ! ……それヤバいよ。山頂はまだ先だし……。な、なんとか頑張って」


「……うん、頑張る…、なんとか…」



 そうは言ってみたものの、生理現象は『頑張る』とか『頑張らない』でどうにかなる類の問題ではない。来るべきモノが来てしまえば、全てを水に流すことはできない。

 ――いや、うまい事を言っている場合ではない。僕は身体を縮ませ、全神経をお尻に集中させた。



 ――ヒュー、ヒュー、ヒュー……



 ヨガの達人のように、奇妙な呼吸を等間隔に繰り返し、ただ、歩く。

 もはや『しりとり』どころではなくなってしまった。『うん』が付いたら人生レベルで負けが確定してしまう。




 ――全身にイヤな汗が流れる僕の元に、ふと、希望の声が届いた。



「――あ、葵くん! あそこの山小屋……、『トイレ』って書いてあるよ!」


「……ま、まま、マジで!?」



 ――『捨てる神』あれば、『拭く紙』もある。

 ……いやだから、そんな事言ってる場合じゃないんだってば。


 真っ青だった僕の顔に、赤みが帯びる。

 僕は気を抜いて出るものが出てしまわぬように、慎重に歩を進めた。

 



 ……もう少し、もう少しで僕の楽園が黄金色の解放を――


 思考が若干バグってきている僕は山小屋にたどり着くと、中に一つだけ設置されてある木造の個室トイレットのドアノブを、わなわなと手を震わせながら掴む。


 ……やった……! 助かっ―――



 ガチャガチャっ!







 ――かぎがかかっていた。



 …


 …


 …


 …えっ……?




 ――「目の前が真っ暗になる」という言葉は、RPGゲームで主人公パーティが全滅した時などによく散見される表現だが――



 この時の僕は、

 文字通り、

 『目の前が真っ暗』になった。







 ―――と、ここまでは、よくある(?)『とある小学生男子がウンコマンと呼ばれるまで』という題目の、世に溢れる哀しき物語の1つとして、特段珍しいエピソードでもないだろう。

 この程度の話であれば、『まぁまぁ、ガキの頃の失敗の一つや二つ……、俺にだって』と不幸自慢大会に名乗りを上げる乱入者を静止する気は、僕にはない。



 だけど、ちょっと待ってほしい。


 ここからの展開が、『僕の場合』は、ちょっと違ったんだ。



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